愛されるための身体が壊れたあとで――曽野綾子『砂糖菓子がこわれるとき』
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BW_machida

2020/08/13

 

生はひとりでやりおおせるものだ。しかしひとりで愛しあうことはできない。『砂糖菓子がこわれるとき』は、ただひたすら「幸せ」を求めた肉体派女優の空しくも華やかな生涯を描いた一冊。作中に散りばめられた主人公の不安と、同じだけの喜びを絶妙としかいえない筆圧で見事にすくいあげていく。

 

マネージャー兼友人の春江に「エゴイストで男を困らせること以外脳のない女」と言わしめた肉体派女優の千坂京子は、男たちの愛情を一身に受けるがいつもうまくいかない。映画プロダクションの社長に求婚されるも死別。健康で明朗な野球選手と結婚するが離婚。劇作家と結婚するも出産に失敗して離婚。大学教授に迫られるが、相手は自制心を失った既婚者だった。

 

でも、これほど多くの男性遍歴がありながらも京子にとっては心のすき間を埋めるには少し足りない感じ。その欠落感は誰と結ばれても満たされない。

 

売れない女優時代を経て、苦しい生活のためにヌードモデルの撮影に挑み、多くの男性と恋愛し、結婚し、離婚もする。やがて睡眠薬を常習するようになり、謎めいた死を迎える。その意味では派手な女優がハリウッドさながら愛を貫き短い一生を終えた愛の悲劇の物語である。だが、作者の工夫はもっと繊細で複雑だ。

 

京子の一見過激な人生は、主体的な行動というより、受動的な選択の結果である。肉感的な役しかまわってこないことにコンプレックスを持ち大学に通うが、彼女は肉体派女優としての世間の非難と侮蔑を知っている。

 

「けれどどうしたらいいと言うのだ。それがまぎれもない私なのだ。私は自分をよく見せかけようとしたり、嘘をついたりだけはできない。どうしてみんなが、こんな無惨さに、平然と耐えて生きているのか、私にはわからなかった。どうしてみんな、そんなに偉くて強いのだろう。泣ける時はまだ楽だった。私は泣くだけ甘えていたのだ。」

 

京子は、男性から手紙と一緒に贈られてきたタクシー代を使うべきかどうか悶々と悩み、かといって電車で料金を浮かすのも悪い気がするので、目的地の近くに駅前で車を拾うも「ずっと乗って来たように見せかけるのに、駅前から乗ったんです。せっかく送って頂いたのに悪いと思ったから……」と正直に答えてしまうほど、いじらしい女なのだ。

 

京子という女は、誰よりも女らしい。どんな女性よりも女性らしく、故に無垢で愚かで、哀しいほど愛らしい。幼女のようでもあり、母親のようでもあり、老女のようにも見えてくる。まさに分身のように、京子という一人の女にこれまで私が出会ってきた女性たちの姿が重なる。

 

そういえば彼女も……と、ふしぎな既視感に駆られる。一生にいったいどれだけの愛があれば満足できるのだろう。京子の友人は、彼女の葬儀で「愛してはいなくても愛されているというだけで、京ちゃんはしあわせになれる人だったから」と答えている。だけど、最後に京子は愛されるための身体も失ってしまったのだ。

 

砂糖菓子が壊れるとき
曽野綾子/著

馬場紀衣(ばばいおり)

馬場紀衣(ばばいおり)

文筆家。ライター。東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。
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