内澤旬子の島へんろの記(4)生きてきた中で、「家から一番近い」旅
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ryomiyagi

2020/12/24

四国の中の、香川の中の、さらには小豆島だけで88箇所の札所があることを知っていますか?島に移住して6年目の内澤旬子さんが、いつかはやりたいと思っていた島へんろに挑戦。ヤギ飼いのため長期間留守にはできず、半日単位でコツコツと札所を回る「区切り打ち」。迷い、歩き、また迷い…。結願するまでの約2年を描いたお遍路エッセイ『内澤旬子の島へんろの記』の一部を、数回にわたって掲載します。

前回記事はこちら

 

小豆島はオリーブだらけ

 

 ひとりでお遍路巡礼する。しかも徒歩で。それは私の気持ちの中では、とてもしっくりすっぽりバッチリ嵌まる行為。歩くという単純反復運動とともに、頭の中を空っぽにしたいともがくもよし、人智の及ばない大きな存在に、思いを馳せてみるもよし。ひとりであるからこそ、自由にできる。そもそも団体行動も組織も苦手で、ひとりでいることは全く苦にならない。慈空さんに「遍路はひとりで歩くのがいい」と言われ、ちょっぴり嬉しく思った。

 

 ただし問題がひとつある。猛烈な方向音痴をどうするか、だ。小豆島に来てから四年目となるのに、いまだに島を大まかに一周する国道県道以外の道が、ほとんどわからない。頭に入っていない。自宅から港、スーパーマーケット、役場、郵便局、そしてホームセンターといくつかの飲食店。あとは友人の家数軒。それ以外の場所を訪ねる機会は、とても少ない。

 

「島で生まれた人でも、自分の生活圏以外の場所を知らない人は結構多いんですよ。歩き遍路のいいところは、島の中をくまなく歩いて知ることができることです。それぞれの集落によってたたずまいも違います」と慈空さんは言う。

 

 八十八か所に奥の院と番外の六札所を加えた九十四か所の中には、寺院や山岳霊場にまざって、堂庵なるものが五十ほどある。集落の真ん中にまさにちんまりと立っているそうだ。ああ、なんとか庵て書いてあるところですね。こんな小さな無人のお堂が札所なんだ、と思って眺めたことがある。無人だからといって、侮るなかれ。運転中にチラッと見るだけだけど、いつもどこも綺麗に掃き清められ、千羽鶴などが飾られている。各集落の老人会か婦人会か、よくわからないけれど、毎日手入れに通っている方々がいると思われる。

 

 お寺や山の霊場は、かしこまった、少し威圧的な空気すら感じられる場所であるが、堂庵は違う。長い年月そこに住む人々の暮らしの中に根付く、祈りの場という感じだ。堂庵の札所を訪ねるには、集落の中の細い路地を歩かねばならない場合も多々あるという。

 

「だからね、私は遍路する人には白装束をつけることを勧めています。普段着でも構わんのですが、住宅地の路地を歩く時に、不審者に間違われずに済むから」(慈空さん)

 

 なるほど……。小豆島の場合、平地の面積が少ないせいか、集落の中の路地が細くてくねくねしているところがたくさんありそう。そういう路地を歩くのは風情があって楽しいだろうけれど、そこに住む方々にとってはどうか。島民である私自身、誰でもウェルカムな気持ちになれるとは、思えない。このご時世、洗濯物を干している時に知らない人がウロウロしていたら、ちょっと構えるのではないかな。

 

 これはふつうの広い道

 

ふつうの山道

 

里の道

 

さらに迷い道

 

こんな小さなシールが命綱になる

 

 考え出したらどんどん気が重くなる。これが四国八十八か所やそのほかの巡礼地ならば、ここまで気にしない。よそ者として観光客として、好きなように(もちろん一定のマナーは守るけれど)歩くだろう。住んでいる島だからこそ、気になってしまう。ちょっと気恥ずかしいなと思っていたんですが、回る時はきっと白装束にします。気が小さいもので。

 

「私の印象ですけど、島で生まれ育った人の中でも、歩き遍路で一周回った人は、特に『島はひとつの島』ととらえて話をする人が多いように思います」(慈空さん)

 

 そう。この島はもともと三つの町から成っていて、今は合併して二つとなったけれど、それぞれの縄張り意識が、大変高い。本州どころか四国から見たって小さな島にすぎないのに、二つの町で別々に観光パンフレットを作っていて、土庄町の特産品はごま油、小豆島町(旧池田町+内海町)はオリーブオイルとなっている。土庄町でオリーブを育てている農家さんは?? なんてことがいくつもある。当然地区、集落ごとの意識も強い。交通機関や情報伝達手段が発達していなかった時代には、今よりもっと強かっただろう。それがさらに昔の、少なく見積もっても江戸時代から続く巡礼という行為によって、グローバルと言ったら大げさかもしれないけれど、ひとつの島として俯瞰する視点を獲得できる。実に面白い。

 

こんな感じ

 

 グローバルと言えば、弘法大師は千年以上も前の人間なのに、とんでもない距離を移動していた。とはいえ、移動と俯瞰の末に得られるものを過信するのは危険だ。これでも私は世界三十か国は旅してきたけれど、何かを得たかと言われても、「どこもそれぞれ、違います。違いを尊重しながら楽しみましょう」くらいのことしか言えない。凡人なもので。もちろん素晴らしい経験だったのだけど。今回の巡礼を旅と呼ぶなら、おそらくこれまでの旅の中で、一番「家」から近い旅だ。

 

 ちょうど来月に「女子へんろ」の最後の会がありますよと、慈空さんに教えていただき、参加申し込みをした。今回の十一回目で、ちょうど全札所を制覇し、結願となるという。単発での参加も大丈夫とのこと。

 

 みんなで歩くのは得意ではないけれど、実際に歩くとどんな感じなのか、遍路のお作法や歩き方、読経の仕方などなど、知りたいことがたくさんある。こういうものかとわかりさえすれば、ひとりでもなんとかなるだろう。ちゃっと行ってさくっと体験してこよう。つづく

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