「死」を考えるようになる――吃音者の悩み(2)
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自ら吃音があり、幼少期から悩み苦しんできた医師の菊池良和さんは、どもることで人に笑われたり、びっくりされたり、怒られたり、といったことばかりを繰り返す中で、いつしか、吃音は悪いこと、恥ずかしいことだと思うようになっていました。そして、どうにかしてどもらない状況を作りたいという気持ちが強くなっていったと言います。前回に続いて、菊池さんの体験談に耳を傾けましょう。

 

予期不安

 

吃音のある人は、どもる経験を重ねるうちに、だんだんと、この言葉でどもるだろうということが事前にわかり、話す前に不安感を持つようになっていきます。

 

「どもるかな、どもらないかな。どもりたくない」

 

その不安が的中してどもってしまうと、やはりそうなったかと気分が落ち込み、

 

「なんて自分はダメなんだろう」

 

と、劣等感を覚えることが多くあります。

 

この不安感は「予期不安」と呼ばれ、吃音のある人を苦しめますが、それから逃れるために、吃音のある人はあらゆる“吃音を隠す努力”をし始めるようになります。それには主に次のような方法があります。

 

挿入――「あのー」「えっと」を使う

 

私(菊池)の場合、話し始めに次のいずれかの語を使うと、連発性・難発性吃音が明らかに減りました。

 

「あのー、あのー、あのー、あのー、国語の宿題どこだっけ?」

 

「えっと、えっと、えっと、えっと、えっと、えっと、菊池です」

 

というふうに話すようになりました。

 

吃音は90%以上、最初の一音で生じます。しかし、冒頭に「あのー」「えっと」を繰り返すと、そのうちに「このタイミングなら言葉が出る」という瞬間が訪れ、その一音が出せるのです。

 

そして、いつしか意識しなくても「あのー」「えっと」をつけるのが癖のようになり、友達には、「菊池は“あのー”ばっかり言っている。“あのー”はいらないから、早く言って」と怒ったように言われることも増え、そのたびに、「しょうがないじゃん、どもるよりいいだろう」と心の中でつぶやいていました。

 

助走――言いやすい前置きをつける

 

「あのー」「えっと」を使い続けているうちに、いつしかその二語ではなく、自然に言いやすい様々な言葉を前置きとしてつけることを覚えるようになります。たとえば、自分の名前を聞かれたとき、

 

「私の名前はきくちです」

 

と、“私の名前は”をつけるとどもらない場合があります。意味としても自然なので聞き手にも違和感はないものの、隠れた努力を要します。

 

置き換え――言葉の順序を入れ替える

 

言葉の順番を入れ替えて言いやすい語を先に出し、言いにくい言葉をそれに続けることでどもるのを回避するという方法もあります。

 

「昼休みになわとびの練習をしよう」

 

と言いたいのに「昼休み」の「ひ」が言いにくいと感じたら、

 

「なわとびを昼休みに練習しよう」

 

と順序を入れ替えるという具合です。これはコミュニケーション的にも問題ないため、私は日常的に使っていました。

 

言い換え――どもらない言葉を選ぶ

 

言いにくい言葉をどうしても言わないといけない場合には、言葉そのものを別の語に置き換えることもします。たとえば「昨日」と言うのが難しいなぁと感じたら、「火曜」「19日」など、同じ意味になる他の語で、そのときにパッと頭に思い浮かび、言いやすそうなものに瞬時に言い換えるのです。ただし、ときにおかしな言い換えになってしまうこともあります。

 

「先生と何話していたん?」の「話して」が言いにくいなぁと感じた瞬間、「会話して」「告げ口して」「コミュニケーションして」「談話して」などが浮かび、そのとき最も言いやすかった「告げ口して」を選んでしまい、「先生に何を告げ口してたん?」と言ってしまって誤解され、友達から距離を置かれたこともありました。

 

言いづらい言葉を瞬時に別の言葉に置き換えるために、リストを頭の中で思い浮かべるのは、吃音のある人特有の隠れた努力と言ってもいいと思います。

 

随伴症状――膝を叩く、腕を振るなど

 

発話とは直接関係ありませんが、どもりそうなときに一緒に生じる身体の動きを随伴症状といいます。

 

私は、なかなか第一声が出ないときに膝を叩いたらすっと言えたという経験をして以来、座っているときは膝を叩きながらしゃべるようにしました。傍からは余計な仕草に見えますが、本人としては、どもるよりずっといい、という気持ちでした。

 

随伴症状にもいろいろあり、私が知り合った人の中には、腕を振って第一声を出す人、足を鳴らしながらしゃべる人、歩き回る人、跳びながら「私の名前は○○△△です」という人もいました。

 

中止――話すのをやめる

 

小学2年生のとき、友達に「サッカーがしたい」と言おうとしたら、「サ、サ……」とどもってしまったことがありました。どもる姿を友達に見られたくなくて、私は話すのを中断して笑っていました。言いたいことを言うよりも、ただその場に自然な姿でいられるようにすることを選ぶ。これもまた、吃音のある人がよく取る方法だと言えます。

 

回避――しゃべる場面から逃げる

 

吃音のある人は、しゃべらないといけない場面から逃げることで、どもって落ち込んだり、劣等感を抱いたりすることを防ぐということをよくします。

 

中学1年生のとき、翌日台風が直撃するのが確実だという日がありました。休校になれば、当日の朝、そのお知らせが電話連絡網で流れてくるので、自分も次の人に電話をかけなければなりません。それが私にはどうしても嫌だったので、電話連絡が回ってくる前に家を出ることに決めました。

 

「今日は休みじゃないの?」と言う親の制止を振り切って家を出ることになりましたが、私は、電話がかかってくる前に家を出られたことにほっとしながら、台風の中をずぶ濡れになって学校まで行きました。私には、電話をするくらいなら、台風の中を学校に行くほうがマシだったのです。

 

「死」が頭をよぎる

 

しかし、ここで挙げてきたように「吃音から逃げる」ことは、実は一番の問題だと私は現在考えています。私は話す場面から逃げることを続けた結果、小学校高学年からは、ときに「死」について考えるようにもなりました。究極の回避を望んでいたのだとも言えます。

 

どもることは悪いことだと思い込んでいたので、なんとしてもどもりたくなかった。でも、日々の生活の中でしゃべらないわけにはいかなくて、どうしたらいいかわからなかったのです。吃音のことは誰にも相談できませんでした。また、私に、

 

「どもってもいいんだよ」

 

と教えてくれる人は一人もいませんでした。

 

以上、『吃音の世界』(菊池良和著、光文社新書)の内容を一部改変してお届けしました。

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