現役看護師が語る、夫を亡くした私が僧侶になったわけ
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死の間際、人の体と心はどう変わるのか?現役看護師の僧侶が、平穏で幸福な死を迎える方法と、残される家族に必要な心の準備を記した光文社新書『死にゆく人の心に寄りそう』(玉置妙憂著)が刊行になりました。刊行を記念して、『死にゆく人の心に寄りそう』の一部を公開します。玉置さんが語る「医療と宗教の間のケア」とはどのようなものなのでしょうか?

 

 

出家しようと思ったのは、四十九日に納骨を済ませた、その頃でした。迷いはまったくありませんでした。看取りという大仕事を終え、なんとなく「現世の仕事は終えた」という気がしたのです。また、これから一周忌、三回忌、七回忌とずっと続けていくときに、「自分で法事をしたい」と思った、ということもあります。

 

そこで、まず子どもたちに、出家することを告げました。自分の気持ちに迷いはないものの、子どもたちがなんと言うかは気になりましたから、多少の緊張感を持って告げたのです。ところが、上の子は「ふーん」と言っただけ。下の子はまだ小学生だったために、出家の意味がわからず、「何?」と聞き返しました。「お坊さんになる」と答えると、やはり「ふーん」という返事。次に両親に告げると、こちらも「ふーん」。もっと大きなリアクションがあるかと思ったのに、なぜか誰も驚かないのです。

 

後日、高野山の尼僧学院で一緒に修行した女性たちの中には、「剃髪したら親が泣いた」とか、「泣いて止められた」という人もいたのに、拍子抜けするほどあっけない出家宣言でした。

 

夫を送り終わったとき、「現世の仕事は終えた」気がしたのは、学生時代の思いが鮮明に蘇ったからでもあります。
1980年代、私が学生だった頃は、NHKの番組『シルクロード』が、喜多郎さんのテーマ曲とともに大ブームでした。放送を見た私は、「前世は中国の僧侶だったに違いない」と思い込むほどその風景に惹かれ、両親に頼み込んで北京に1年間語学留学をしました。

 

北京に着いたあとは、留学といっても勉強はそこそこに、バックパック一つで、当時はまだ日本人がほとんどいなかった奥地を旅して回りました。4等車の硬い座席に何日間も座りっぱなしで、移動しては乗り継ぎ、歩き、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が通った道をたどったのです。そして、タクラマカン砂漠にたどり着き、その景色を目にしたとき、「ああ、ここには来たことがある」という既視感が湧き起こり、胸から溢れ出ました。「やっぱり、私の前世は中国の僧侶だったのだ」と、思ったのです。

 

ただ、それなら帰国してから仏門に入るとか、仏教を勉強するとかしそうなものですが、まったくそのようなことにはなりませんでした。ごく当たり前に大学を卒業し、就職して、結婚しました。まだ若く、おしゃれや恋愛にも興味があったからで、要するに時が至っていなかったのでしょう。

 

「出家しよう」と思ったのは、看取りが、やはり大仕事だったからだと思います。大仕事が終わったら、ずっと忘れていた学生のときの気持ちが、鮮明に蘇ったのです。原点回帰とでも言ったらいいでしょうか。厚く被さっていたものがサッとめくれて、「ああ、そうだった」と思った。「戻るべき場所は、あそこだった」と。そして、出家したのです。

この記事の書籍

死にゆく人の心に寄りそう

死にゆく人の心に寄りそう医療と宗教の間のケア

玉置妙憂(たまおきみょうゆう)
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