現役看護師の僧侶が語る、死の予兆が現れ始める「死の3か月前」頃から起こる3つのこと
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bw_manami

2019/02/04

死の間際、人の体と心はどう変わるのか?現役看護師の僧侶が、平穏で幸福な死を迎える方法と、残される家族に必要な心の準備を記した光文社新書『死にゆく人の心に寄りそう』(玉置妙憂著)が刊行になりました。刊行を記念して、『死にゆく人の心に寄りそう』の一部を公開します。玉置さんが語る「医療と宗教の間のケア」とはどのようなものなのでしょうか?

 

 

1)外界に興味がなくなり、内に興味が向く

 

まず初めに、死にゆくとき、人の体と心にどのような変化が起こるかを見ていきましょう。

 

人には個人差がありますから、必ずしもこの通りになるわけではありませんが、だいたいの流れを知っておけば、いざというとき慌てずに済みます。

 

死の予兆は、おおむね3か月前から現れ始めます。

 

多くの場合初めに現れるのは、外に向かうベクトルがなくなって、内向きになることです。人に会ったり出かけたりしなくなり、世の中で起こっていることにも興味がなくなって、テレビや新聞も見たくなくなります。特にこれといって体がつらいわけではありません。考えてみれば、死に向かうとき外界に興味がなくなるのは、当然のことではないでしょうか。

 

私たちが、たとえば天気予報やニュースを見て外界の情報を収集するのは、生きるために外に出かけて行くからです。じきに着地しますというときには、もう出かけて行く必要がありませんから、外の情報を収集する必要がなくなります。雨が降ろうが雪が降ろうが、外で何が起こっていようが、関係ないのです。

 

その代わり自分の内側に興味が向いて、これまでにどういうことをしてきたか、それでどうなったか、などといったことをしきりに話したりします。端からは、「また昔の自慢話をしている」と見えることもあるのですが、本人にしてみれば、昔のことを話しながら一生懸命自分自身の人生の整理をしているのです。

 

出かけもしないで昔話ばかりしているのですから、家族はとても心配になります。それで、「家にばかりいるとボケちゃうわよ。たまには外に出てきたら?」などと言いますが、本人は出かけようとしません。

 

この時期はいわば、家族が見ている世界と死にゆく人が見ている世界が、だんだん離れていく時期なのです。

 

2)食欲が落ちて食べなくなる、やせる

 

しばらくすると、今度は食欲がだんだんと落ちてきます。

 

私たちがものを食べるのは、肉体を維持するためです。もうじき死ぬということは、この肉体を脱ぎ捨てるということですから、肉体を維持するための栄養は、それほど積極的に摂らなくてもよくなるのです。したがって、ごく当たり前のこととして、食が細くなります。そして、やせていきます。

 

しかし、周囲の人たちには、着地態勢に入ったことがわかりません。死が近いことに気づかないのです。それで「食べなきゃダメだ」と、無理にでも食べさせようとしますが、「何も食べる気がしない」とか「おいしくない」と言って、食べません。具合が悪いから食べないのではなく、自然の流れとして食べなくなっているのですが、周囲はそれがわかりませんから、心配して病院に連れて行きます。

 

病院は、「食べないんです」と訴えられれば、なんとかしなければなりません。そこで、食物を細かく刻んだり、ペースト状にしたりして、まずは形態を変えて食べてもらおうとします。食べてもらえなければ、高カロリーの輸液を点滴する。それで間に合わなければ、鼻から胃までチューブを通して栄養を入れる。それでも間に合わなければ、胃に穴を開けて胃瘻を作り、胃に直接栄養を入れる。このようにして、栄養が摂れない状態をなんとか阻止しようとするのです。

 

栄養を入れれば、”餓死”はまぬがれます。とはいえ、着地態勢に入った人がもう一度元気になって歩けるようになる、走れるようになる、ということではありません。数か月、あるいは数年という単位で寿命が延びることはありますが、その間ベッドを降りて自由に動けるか、何か楽しいことができるかといえば、難しいかもしれません。一旦着地態勢に入った人は、何をしても着地に向かって高度を下げていくものです。

 

もちろん、まだ着地態勢に入っていない人の場合は、胃瘻を作って栄養を入れることが無駄ではありません。回復して元気になり、胃瘻を外せる人もいます。しかし、そのようなケースは基本的に何らかの病気で、治療の一環としての胃瘻です。それまでと特に変わったことがないのに食が細くなった、というようなケースとは異なります。

 

3)眠くなり、夢を見ながらうつらうつらとする

 

この時期にはまた、よく眠るようになります。昼も夜もなく、うつらうつらと眠っているのを見ると、家族はまた心配になります。眠ってばかりいると、体も頭も鈍ってしまうような気がするからです。それで、無理にでも起こして「趣味の集まりにでも行ってきたら」などと言いますが、出かける気配はありません。

 

夫も、この時期にはよく眠っていました。本人としては、「あまり寝てばかりいてはいけない」という気持ちがあったのでしょう、よく私に許可を求めてきました。「寝てもいいですか?」と。「どうぞ寝てください」と答えていましたが、このときはまだ「余命3か月を切った」とは思っていませんでしたから、単純に「体が睡眠を欲しているのだろう」と思っていただけです。

 

この頃の眠りは、熟睡ではなく浅く、夢をたくさん見ているようです。夫もたくさん夢を見ていましたが、病棟の看護師をしていた頃も、患者さんからよく「夢を見ていた」と聞きました。

 

起きているときに、興味が内に向いて昔話をよくするのと同様、うつらうつらとした意識の中でも、これまでのことを思い出し、人生を整理しているのかもしれません。

この記事の書籍

死にゆく人の心に寄りそう

死にゆく人の心に寄りそう医療と宗教の間のケア

玉置妙憂(たまおきみょうゆう)
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