bw_manami
2019/02/18
bw_manami
2019/02/18
作家・馳星周氏は8年前から登山を始め、地元・軽井沢の浅間山から八ヶ岳、燕岳、常念岳、白馬岳、奥穂高岳など日本各地の名峰へカメラを手に登り、その美しい山容を撮影し続けている。
登山家にして山岳カメラマンの平出和也氏は、2008年に登山界のアカデミー賞といわれるピオレドール(金のピッケル賞)を日本人として初めて受賞し、2018年には同賞の2度目の受賞を果たしている世界的クライマー。三浦雄一郎氏の「80歳エベレスト登頂」もカメラマンとして同行し、NHK「グレートトラバース百名山一筆書き」の撮影も平出氏の仕事だ。
世界的に評価されながら更に挑戦的な活動を続ける平出氏に馳氏からのラブコールが届いての対談実現となった。会話は意外にも「寂しがり屋」という話題から始まり――。初対談を3回にわたりお届けします(2018年12月6日収録)
――K2はまた行かれるんですか。
平出 いつかまた行きたい山です。あと1、2年はしっかりとよそでトレーニングして。あんなに「いい壁」の「いいライン」がまだ残っているのか、と思いますから。
馳 見たら登りたくなる壁なんですね。
平出 山を見てると何となくラインを探している自分がいるんですね。
馳 ああ、ルートを。
平出 安全にと言うか、それでいて美しいラインって……。
馳 美しいライン! 俺たちには全然分からん世界(笑)。
平出 正直言って、単純にテクニックだけで言えば、僕以上に登れる人って日本人にもいっぱいいるし海外にはもっといっぱいいるわけです。でも僕がちょっと優れているなと思うのは、人が気づいていない課題を見つける嗅覚、たぶんそこなんだと思うんです。もちろん実行する勇気も必要ですが。いくらテクニックだけあっても、そういう課題が見つけられなければそれを発揮できないじゃないですか。そのバランスがいいのかなとは思っています。登山でいま重要なのは課題を見つける能力――そういう場所を探す嗅覚が登山家も必要だし、ビジネスでもそうかもしれませんね。人がやったことのないことを見つけようとしたらその嗅覚は必要だと思います。その見つけた課題を、もしかしたら僕は途中までしか登れないかもしれない。でも世代を超えて20年後くらいに若いクライマーがそこを登ってくれたら、僕は若い世代にいいテーマを与えることができたと思えますね。
馳 そうだね。エベレストだって最初はみんな登れなかったわけですものね。
平出 この前、2度目のピオレドールをいただいた時、ポーランドで授賞式があって、シスパーレに初登頂したレシェック・チヒさんというポーランド人の方が僕たちにトロフィーを渡してくれて。
馳 へえー。
平出 その方は40年前に登ってるんです。僕たちに言ってくれた言葉が「40年前に僕たちが登った山に、いま世代が変わってテクニックも変わって、こんなラインから登ってくれてありがとう」って。チヒさんにとっても自分のことのように喜んでくれて。
馳 その方にとっても自分の山なわけですね。
平出 そうですね。そうですね。
馳 それがまたこうやって脚光を浴びるんだから、それは嬉しいと思いますよ。もう世代が全然違って、装備もテクニックも違うから、ああ、やっぱりあそこから登る者が現れた、と思うんでしょうね。
平出 時代が変わったと思うんでしょうね。それと同じようにもしK2で僕が見つけた課題を登れなかったとしたら、たぶんいずれ誰かが。
馳 いずれ誰かが登りますよね。
平出 だからそのくらいのプロジェクトに僕は挑戦したいなと思っています。自分ができなくても未来の誰かがやってくれるような。未来に影響を及ぼすような最初の一歩を踏み出したいなという。そういう可能性が山にはある。決まったルールはない。
馳 ないです。ルールは生きて帰ってくることだけですよね。
株式会社光文社Copyright (C) Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved.