「戦後70年」は誰にとっての節目だったのか?:「ことば」から探る平成(3)
ピックアップ

bw_manami

2019/07/08

“昭和ではなかった”時代、平成。
明治、大正、昭和と比較され続け、「令和」の時代となった今もなお、それ自体を語ることのできないおぼろげな「平成」を、天皇陛下のおことば・ITと広告をめぐる言説・野球とサッカーが辿った道など、同時代に語られた「ことば」をもとに探っていく極私的平成論『「ことば」の平成論』が、光文社新書から刊行されました。
刊行を祝し、本書の一部を公開。
この30年間とは、一体何だったのか?
私たちは平成から、何を引き継ぐことができるのでしょうか?
「野球」編に引き続き、「おことば」編、第一回です。

 

 

◆語る天皇

 

上皇陛下は、ご在位中、折に触れて語ってこられました。

 

「おことば」と呼ばれる以上、「語る」という表現はふさわしくないかもしれません。

 

しかし、歴史的に見て、これほどまでに饒舌な天皇陛下は、きわめて珍しいはずです。新年や終戦記念日、そして誕生日に限らず、さまざまな機会に触れて、「おことば」が出されました。

 

宮内庁のウェブサイトを見てみましょう。

 

たとえば、平成29年(2017年)には、新年一般参賀をはじめ、「主な式典におけるおことば」として7回、ベトナム訪問の前後に2回、そして、お誕生日に際して1回、の合計10回の「おことば」を発しています。

 

加えて、全国植樹祭などに際して5首のお歌が詠まれています。

 

こうした中で、近年、最も議論を呼んだ「おことば」は、言うまでもなく、平成28年(2016年)8月8日にビデオメッセージとともに公表された「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」です(以下、この章での「おことば」の引用は原則として宮内庁のウェブサイトによります)。

 

◆象徴としてのお務め

 

この「おことば」は、「戦後年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます」と始まります(以下、強調は本書筆者によるものです)。

 

もちろん、「戦後70年」は大きな節目には違いありません。

 

けれども、「戦後50年」と比べると、その大きさは、やや小さいと言わざるを得ません。

 

「戦後60年」と比べたとしても、やはり、節目としては小さく見えます。

 

実際、「戦後50年」は、メディアをはじめとして大きく取り上げられ、「村山談話」と呼ばれる首相談話も発せられました。

 

あるいは「戦後60年」もまた、当時の小泉純一郎首相による、いわゆる「郵政解散」中ではあったものの、それなりに耳目を集めました。

 

対して「戦後70年」は、安倍首相による談話だけは注目されたとはいえ、メディアをはじめ、戦争そのものへの振り返りは弱かったように見えます。

 

にもかかわらず、上皇陛下にとっての「戦後70年」は、そうした過去20年間の節目と比べても、大きなものでした。

 

それは、「平成30年」という、また別の節目や、あるいは、80歳という上皇陛下ご自身の節目と重なっているからでしょう。

 

ただし、それよりも、「戦後70年」を「大きな節目」ととらえている理由は、この「象徴としてのお務め」それ自体に含まれています。

 

では、その「象徴としてのお務め」とは何でしょうか。

 

上皇陛下は、次のように述べています。

 

私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

 

「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」とは、いったい、何を意味しているのでしょうか。

 

何も、上皇陛下自ら、唐突に、路上にいる人々の「傍らに立」とうとしているわけではないでしょう。

 

あるいは、藪から棒に、のべつまくなしに、だれかれ構わず「耳を傾け」たいわけでもないでしょう。

 

ましてや、悩み相談のように「思いに寄り添」おうとするわけでもないでしょう。

 

では、実際に何をどのようにしてきたのでしょうか。

 

その答えを、上皇陛下自ら、右の引用部に続いて述べています。

 

天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。

 

「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅」とは、平成6年(1994年)の硫黄島、父島、母島へのご訪問や、平成14年(2002年)の長崎県の五島列島へのご訪問を指しています。

 

普段、天皇陛下を目にする機会のほとんどない遠隔に住む国民をこそ、「傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添う」対象としています。

 

そして、その最たる対象が、皇太子時代から何度も訪れている沖縄の人々であることは、あらためて言うまでもありません。

 

上皇陛下の「おことば」は、次のように続きます。

 

皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 

「地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々」の日常を破壊し、そして、大きな苦しみと悲しみを与えた戦争こそ、上皇陛下が、常に念頭に置いてきたメルクマールにほかなりません。

 

だからこそ、「戦後70年」は「大きな節目」なのです。

関連記事

この記事の書籍

「ことば」の平成論

「ことば」の平成論 天皇、広告、ITをめぐる私社会学

鈴木洋仁(すずきひろひと)

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterで「本がすき」を

この記事の書籍

「ことば」の平成論

「ことば」の平成論 天皇、広告、ITをめぐる私社会学

鈴木洋仁(すずきひろひと)

RANKINGランキング