上皇陛下が30年間の「おことば」の末に辿り着いたある願い:「ことば」から探る平成(4)
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bw_manami

2019/07/09

“昭和ではなかった”時代、平成。
明治、大正、昭和と比較され続け、「令和」の時代となった今もなお、それ自体を語ることのできないおぼろげな「平成」を、天皇陛下のおことば・ITと広告をめぐる言説・野球とサッカーが辿った道など、同時代に語られた「ことば」をもとに探っていく極私的平成論『「ことば」の平成論』が、光文社新書から刊行されました。
刊行を祝し、本書の一部を公開。
この30年間とは、一体何だったのか?
私たちは平成から、何を引き継ぐことができるのでしょうか?
「おことば」編 第二回、そして最終回です。

 

 

◆「殯」への忌避

 

「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」の中で、最もことばを費やしているのは、この「殯」を避ける気持ちです。

 

更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。

 

その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。

 

それゆえ、「こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」のだと、率直に、そのお気持ちを述べています。

 

言うまでもなく、天皇の死、崩御は、国民的な関心であり、古来、日本全体が喪に服し、ひとつの時代の終わりを悼んできました。ひとりの皇帝が死に、ひとつの時代が終わります。

 

「一世一元」を決めた明治以降は、とりわけ、その傾向が強くなっています。

 

中でも、昭和の終わりにあたっては、自粛ムードが漂いました。

 

「おことば」にあるように、「これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及」んだのです。

 

この「おことば」では、こうした影響を避けるためにも、体調が悪くなる前に退位し、そして、「喪儀に関連する行事」と、「新時代に関わる諸行事」の同時進行を避けるべきだと主張しています。

 

それは、「胸に去来することもあります」といった婉曲な、遠回しの表現にとどまるものではありません。こうした主張が、「おことば」の後半に置かれている点に明らかです。

 

「残される家族」、すなわち、自らの跡を継ぐ皇太子に対する配慮のみならず、おそらくは多分に「家族」同然にとらえている国民に対する思いとして、こうした「殯」への忌避があります。

 

背後には、本章で見てきた天災への「おことば」があります。

 

天災へのお見舞いを重ねるうちに、上皇陛下は、大量死への忘却と無関心が襲う国民性を見出しています。

 

同時に、ただひとりの死である、天皇崩御に対する異様なほどの関心にも注目しています。

 

こうした両極端に分裂する死生観を前にして、膨大な死者をもたらす天災に意識を向けよう、と国民に呼びかけたものの、東日本大震災から時が経つにつれて、それは裏切られます。

 

日を追うごとに、東北や福島への関心は薄れていきます。

 

であれば、少なくとも、後者の天皇崩御への異常な関心の集中をやわらげたい、と上皇陛下は願ったのではないでしょうか。

 

それが「殯」への忌避として、この「おことば」にあらわれています。

 

その忌避とは、何でしょうか。

 

それは、昭和から平成への移り変わりに際して明らかになっていたのではないでしょうか。

 

言い換えれば、平成の始まりの現象だったのではないでしょうか。

 

すなわち、上皇陛下にとっては、平成の30年近い歳月の果てに、いくつもの「おことば」の末に、しぼり出した願いが、結局は、その始まりの現象へと戻っただけなのではないでしょうか。

 

「殯」が重々しい課題として持ち上がったのは、平成元年(1989年)のことです。

 

本章で見てきた30年間の「おことば」の末に、上皇陛下がたどりついた地点は、なんと、一周回ったスタートラインだったのではないでしょうか。

 

◆昭和「ではない」平成の天皇として

 

しかし、それは決して驚くに値しません。

 

なぜなら、平成とは、昭和「ではない」ことを、最初から運命づけられていたからです。

 

昭和とは何かが違う、昭和のようには何かうまくいかない、昭和であればよかったのに……そういったいくつもの愚痴と後悔とあきらめの積み重ねが、平成にほかならないからです。

 

そして、本章で見てきたように、上皇陛下の「おことば」もまた、同様です。

 

昭和における天皇との違いを際立たせることに躍起になっていたのではないでしょうか。

 

それは、良く言えば独自色であり、「平成流」と言えるでしょう。

 

が、反面では、それは、模索と迷いの道筋ではなかったでしょうか。

 

端的には、天災をめぐる「おことば」にあらわれています。

 

阪神淡路大震災では「安全な国」を願ったその象徴たる存在は、16年後の東日本大震災の後には、忘れないこと、関心を持ち続けることを願うようになりました。

 

もはや、安全は手に入らない、せめて、忘れないでいてほしい、と切なる願いを込めるようになりました。

 

それだけではありません。

 

自らの「殯」という昭和末期最大のタブーに、自分から言及しただけではありません。その「殯」を避けようと呼びかけます。

 

それは、昭和の否定であり、昭和との差異の演出です。

 

すなわち、日本国の象徴たる天皇自らが、昭和「ではない」スタイルを30年近く探し続け、そして、めぐりめぐって、まわりまわって、スタート地点に舞い戻ったのです。

 

だから、どれほど天皇によって平成を語ろうとしても、それは、最終的には昭和「ではない」ありさまを確かめる作業にとどまるほかありません。

 

平成がどんな時代だったのかを、天皇に託してまとめようとしても、結局のところ、昭和とは違った、という当たり前で面白みのない結末にたどりつくほかないのです。

 

なぜなら、ほかならない天皇自身が、そのように考え、行動し、結論づけているからです。

 

そして、昭和「ではない」痕跡は、天皇だけではありません。

 

いたるところにその症状は広まっています。

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「ことば」の平成論

「ことば」の平成論 天皇、広告、ITをめぐる私社会学

鈴木洋仁(すずきひろひと)

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