東京は二度と行きたくない カラオケ店とラーメン屋台で食いつなぐ、バンコク「外こもり」ライフ
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バンコク、ホーチミンシティ、シェムリアップ……。ときに孤独でも、騙されても、この街にいると心が楽になる。旅をすることで救われ、やっと心が自由になった。人生の答えを求めアジアで暮らす人たちの、心温まる人生。光文社知恵の森文庫『新版「生きづらい日本人」を捨てる』第1話から一部をピックアップ!

 

「東京は二度と行きたくない」

 

バンコクにあるカオサン通りから1本の路地を入っていくと、そこにちょっとした中庭のような広場が出現する。この一画は、昔からの安宿が営業を続けている。日本人が多いことでも、カオサンのなかでは知られたエリアだった。

 

「はじめてバンコクに来たのは、普通の旅行だったんです。シンガポール経由の飛行機で、バンコクではインターコンチネンタルに泊まって……。カオサンに足を踏み入れたのは2度目に来たとき。そのとき、日本で一時期集中的に働いて、その資金で、バンコクでなにもせずに暮らすっていうスタイルを知ったんですよ」

 

「外こもり」というスタイルに、厳密な定義があるわけではない。しかし、こう語るフクちゃんの資金を見ると、日本で一気に稼ぎ、その金が尽きるまで海外で暮らすという「外こもり」の典型だった。

 

バンコクに行けばなにかある。彼らはさまざまな思いを胸に、この街の空港に降り立つ(写真/下川裕治)

 

「それしか選択肢がなかった」

 

長く滞在することを目的にバンコクにやってきたときのことを、フクちゃんはそう語った。

 

フクちゃんは東京生まれの東京育ちだった。専門学校を卒業し、20代の後半まで東京で働いていた。その後、バンコクで「外こもり」の生活になった。

 

「外こもり」だから、収入を得る場所は日本だった。しかし彼が働いた工場は、土地勘のある東京ではなく、名古屋だった。バンコクで買ったのは、バンコクと名古屋の往復航空券だった。お金を稼ぎに日本に戻っている間、東京に戻ることも、父親と連絡をとることもなかった。彼は20代の半ばで、母と死別していた。

 

「金がなくなって日本で働かなくちゃいけなくなったんですが、飛行機はバンコク発券の名古屋往復にしました。名古屋に着いて一泊して、翌朝、派遣会社のオフィスに出向いて。そこで登録すると、だいたいすぐに仕事がみつかるんです。車関係の下請け部品工場。金を貯めるポイントは住み込みにすること。いろいろ引かれて手どりは14、15万円ってとこです。だいたい70万円貯まったら、バンコクに戻るんです。そう、名古屋から」

 

なぜ、日本で働いた金でタイのバンコクで暮らす生活を選んだのかと訊いたとき、フクちゃんはこういった。

 

「皆、30代はあっという間にすぎてしまうっていうじゃないですか。時間が流れるのが早くなるって。だったら、30代をゆっくり生きてみようって思ったんですよ」

 

彼と話していると、それが後でとってつけたようなバンコク外こもりの理由のように聞こえてくる。フクちゃんは東京という街からはじき出されてしまったのではないかと思うのだ。

 

あれはどんな話をしていたときだったろうか。話が東京に及んだとき、フクちゃんの顔つきがちょっと変わったように思えた。

 

「東京は二度と行きたくない」

 

 その語気の強さに一瞬戸惑った。働いた10年ほどの間に、東京はそれほどまでに忌み嫌う土地になってしまっていた。

 

日本とタイを行ったり来たりしたのち、フクちゃんがバンコクのある日本語学校に採用されたとき、その経営者の面接があったという。経営者はタイ人と日本人のハーフだった。  

 

日本の学校を卒業し、その後、タイで学校をつくった。

 

「どうして日本に帰らないんです?」

 

と経営者が訊いたとき、フクちゃんはこう答えたという。

 

「日本では辛いことばかりだった。日本を恨んでます」

 

バンコク経済圏の人口は1000万人以上といわれる(写真/下川裕治)

 

40代をどこで生きるか

 

その後、バンコクの居酒屋が経営するカラオケ店で働いていたフクちゃんは、やがて居酒屋の店員になった。そして深夜、その居酒屋の裏路地でラーメン屋台をはじめた。
フクちゃんがつくるラーメンは、お世辞にもおいしいとはいえなかった。電気の鍋で麺を茹で、どこかで仕入れてきた袋入りの業務用スープを温め、そこにたれを入れる。そして具材を載せて出してくれるだけだった。それは僕にもつくることができるラーメンだった。

 

フクちゃんは居酒屋のある建物で暮らしていた。食事は店の賄いだった。金はなかったが、カオサン時代に比べれば、スクムヴィット通りの路地裏暮らしは平和そうに映った。日本という妖怪のような国への敵意が、影を潜めていったような気もする。。

 

もう40歳に近づこうとしていた。

 

以上、下川裕治氏の近刊『新版「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の杜文庫)から再構成しました。(つづきは本書で)

 

下川裕治
1954年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。新聞社勤務を経て独立。アジアを中心に海外を歩き、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)で作家デビュー。以降、アジアや沖縄をメインフィールドに、バックパッカースタイルでの旅を書き続けている。

 

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