利益4000円の宿を買った男 東南アジアでゲストハウス経営
ピックアップ

bw_manami

2019/07/29

バンコク、ホーチミンシティ、シェムリアップ……。ときに孤独でも、騙されても、この街にいると心が楽になる。旅をすることで救われ、やっと心が自由になった。人生の答えを求めアジアで暮らす人たちの、心温まるストーリー。『新版「生きづらい日本人」を捨てる』第2話から一部をピックアップ!

 

一年の利益、46ドル

 

早朝にバンコクを発った。タイのアランヤプラテートまでバスで行き、そこから国境を越え、相乗りタクシーに乗って、カンボジアのシェムリアップに向かった。午後2時頃には着いてしまった。

 

国道6号線が街の中央を走っていた。そこに面して市場があり、その脇に食堂があった。できあがったおかずを入れたトレーを並べた店だった。2、3品を指さすと、皿に盛ったご飯の上に載せてくれる。アジアならどこにもあるスタイルだった。

 

少し遅い昼食だった。千切りにしたしょうがと豚肉を一緒に炒めたおかずがいい味だった。食べ終わり、値段を訊いた。

 

「1.5ドル」

 

僕は1ドル札を2枚出した。

 

「お釣りはカンボジアリエルでもいい?」

 

僕はうなずいた。食堂を切り盛りしていたのはおばさんだった。ツアー客はまずやってこない地元の人向けの店だ。

 

会話はすべて英語だった。こんなに英語が使われる街は、これまでのカンボジアではなかった。カンボジアのリエルは桁が大きいので、支払う金額を訊くのに苦労する。プノンペンですら、市井の店は英語がほとんど通じない。

 

「この街、楽かも……。物価も安いし」

 

市場を出、国道に沿った道を歩きながら呟いていた。

 

シェムリアップでは、ヤマトゲストハウスという宿に泊まった。

 

そこで出会った西村清志郎は、シェムリアップにやってきて8年になる。38歳。シェムリアップに拠点を置く旅行会社に勤めている。このゲストハウスには、個人的にかかわっている。はじめは旅行会社も出資していたが、それほど収益があがらず、何人かの個人が出資する形に変えた。

 

ヤマトゲストハウスがオープンしてから8年ほどが経っていた。西村もときどき顔を出していた。ここが売りだされることになった。その話に、西村が乗ったわけだ。

 

「でもね、買ったときの前年の利益が46ドルだったんですよ」

 

「46ドル?」

 

思わず訊き返してしまった。1ヵ月の利益ではない。1年間の利益――。もちろん、スタッフへの給料などの経費を払った後に残った額だ。赤字ではない。いや、そういうことではなかった。46ドルといえば、この頃のレートで4000円ほどである。

 

「夢があったんです。シェムリアップに来る前、オーストラリアに4年間いました。あっちにはボルダリングバーが何軒もあった。壁がボルダリングの練習スペースになっているんです。シェムリアップにいる日本人って、夜が暇でしょ。することがない。こういうバーができればいいかと思ってね」

 

シェムリアップの中央を貫く国道6号線は、意味もなく広い。ヤマトゲストハウスもこの通りに沿って建っている(写真/下川裕治)

 

1年の利益が46ドルということは、いつ赤字に転落してもおかしくない状況だろう。

 

「6月と10月はかなり赤字が出る。6月の赤字は2000ドルを超えます。ほかの月で、なんとか補っている感じ。でも、収益が出ても、食堂を広げたり、改修に金をまわしてますから、利益はほとんどないことに変わりはないんですけど」

 

なぜ西村は、このゲストハウスにこだわるのだろうか。

 

孤児院での経験

 

西村がシェムリアップにやってきたきっかけは孤児院だった。そこで英語を教えるという話に乗ってやってきた。

 

3ヵ月がすぎた頃、持参した金の減り具合が早いことに気がついた。もともと、6ヵ月間のつもりで孤児院にきたから、多額の現金はもってこなかった。

 

物価の安いカンボジアでは、100ドルもあれば1ヵ月は暮らせた。ところが、財布のなかのドル紙幣が妙に早くなくなっていく。盗難の可能性があった。

 

孤児院の子供たちは、授業の間の休み時間や昼休みに、グラウンドに出てサッカーや縄飛びをして遊んだ。いつもその輪に西村も加わっていた。

 

あるとき、財布の入った鞄を、グラウンドの脇に置いてみた。帰り際に調べてみた。10ドル札が1枚だけ消えていた。

 

翌朝、院長に相談してみた。院長は悲しそうな表情を浮かべ、彼なりの判断で犯人と思われる男児の名前をあげた。その推測は、西村と一致した。

 

その男児は、しばらく前から英語の授業だけに顔を出していた。いつも菓子を持参し、皆に分けていた。おそらく、生徒たちの輪のなかに入りたくて、盗んだ金で菓子を買ってきたのだろう。

 

男児は院長からなにをいわれるのかわかっているようだった。彼を呼びだそうとすると、急に自転車に飛び乗り、孤児院から姿を消した。

 

西村のなかで、こみあげるものがあった。ここで英語を教えているだけでは、カンボジアの問題は解決しない。

 

シェムリアップで、ガイドとして働きはじめたのはその後だった。

 

西村は彼なりの方法で、カンボジア人に金が支払われる流れをつくろうとしているのかもしれなかった。

 

遺跡はシェムリアップという観光都市をつくりあげてしまった(写真/下川裕治)

 

以上、下川裕治氏の近刊『新版「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社知恵の杜文庫)から再構成しました。(つづきは本書で)

 

下川裕治
1954年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。新聞社勤務を経て独立。アジアを中心に海外を歩き、『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)で作家デビュー。以降、アジアや沖縄をメインフィールドに、バックパッカースタイルでの旅を書き続けている。

 

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