『ラストダンスは私に 岩谷時子物語』著者インタビュー村岡恵理【KEY WORD 3】加山雄三と坂東玉三郎
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2019/09/02

「君といつまでも」「男の子 女の子」などの大ヒット作詞家として、また越路吹雪の生涯のマネージャーとして、昭和を駆け抜けた異才の人、岩谷時子。
その生涯を描く渾身のノンフィクションを発表した著者の村岡恵理さんに、『宝塚歌劇』『2足のわらじ』『加山雄三と坂東玉三郎』3つのキーワードで、本にまつわるさまざまなエピソードを伺った。

 

写真提供/岩谷時子音楽文化振興財団

 

ともにヒットを連発した加山雄三・岩谷時子の絆は、特別ですね。

 

「加山雄三さんは、当時映画俳優としても売れっ子、私生活ではヨットを操り、泉のようにメロディが湧いてくる。乗りに乗っていたから、ピアノやギターで口ずさんでいるテープが、岩谷さんのもとに、どんどん送られてくる(笑)。岩谷さんはそれに負けじと格闘する。当時の加山さんは東宝のそれこそ宝物のような存在ですから、評判を傷つけるわけにはいかない。気も使ったはずだし、全霊を傾けて仕事をしたと思います。

 

それが伝わっていたからこそナベプロが途中で加山さんを今度は安井かずみさんと組ませてみようとしたときに、加山さんは「いや、今後も岩谷さんで」断わられた。当時としては珍しいことです。

 

岩谷さんのほうも、人気の絶頂にいながら、どこか芸能界について醒めた視点も持っていて、芸能人を超えた自然や宇宙といった大きな視点を持っている加山さんがすごく好きだったみたいです。越路さんも加山さんもそうですが、岩谷さんは「この人が好き」と思うと、とても深いところで結びつく。するとメロディに対して、何か底から湧き上がってくるようなぴったりとした言葉が岩谷さんの中に下りてくる。

 

愛せるかということが、とても大事。だから、好き嫌いは実ははっきりしていたのかもしれません」

 

その意味では、越路吹雪の夫でもあった作曲家の内藤法美とは確執がありました。

 

「大人同士として一緒に仕事していたしお互い認め合うところもあったでしょうけれど、2人は違いすぎました。特に、コーちゃんの愛しかたという意味では。彼女の才能を伸ばしたい岩谷さんと、彼女をひたすら心地よくさせたい内藤さんとでは、合うのは難しかったでしょう」

 

越路夫妻との確執の中で、坂東玉三郎との交流は、美しいですね。

 

「越路さんとは、この頃はすでに筋金入りの友情で、2人の関係が揺らぐことはないけれど、越路夫妻の経済観念のなさとか『もう疲れた、舞台なんかやめたい』とつねに不満たらたらのコーちゃんに、思わず『ろくでなし!』と言いたくなる場面もあったでしょう。そんななかで何のしがらみも感じずに、ふわりと柔らかな気持ちで応援できる若き才能あふれる玉三郎さんが慕ってくれて、岩谷さんはどれだけ慰められたことか。それでついつい、「玉三郎さんがね……」と越路さんの前でも知らず知らず口に出して怒らせてしまったりする。逆に言えば、越路さんとはそれを口に出せるような関係だったとも言えるんですが。それに、越路さんの死の絶望から立ち直るうえでも、玉三郎さんの力は大きかった。岩谷さんが愛した人たちは、誰もかれもスペシャル級のスターだけに、一度好きになると、岩谷さんはとことん寛容。恋する乙女みたいな可愛らしさがあるし、何かしてあげるのが大好き。宝塚ファンが、大好きなスターに差し入れしたくなるのと一緒で、岩谷さんはそういう一ファンに戻れるような乙女心を持ち続けた人でもありました」

 

村岡さんのお好きな岩谷作品ベスト3は?

 

「岩谷さんは、旅人だったと思うんです。そのせいか、旅や、さすらいを感じる曲が心に残っています。

 

本の中で言いますと、岩谷時子名義で書いた初めての作品、山口淑子さん主演の映画『上海の女』の主題歌「ふるさとのない女」。

 

そして、加山雄三さんのために書かれた「旅人よ」。旅人は岩谷さん自身でもあり、最愛のお父様のイメージでもあるのかな、と思います。岩谷さんの血の中にある、故郷を捨ててきた、生涯旅人だったということを象徴しているような歌だと思います。

 

最後は、越路さんが亡くなられた後に書かれたものだと思いますが、本のいちばんラストでご紹介した「道」ですね。あの詩は、岩谷さんそのもの。孤独であり、孤独を愛し、歩き続けた。

 

私自身、50歳で岩谷さんと向きあったことはものすごく意味があることだと思います。

 

長時間労働やハラスメントも当たり前の時代に、すごいヒット曲を書きながら、片方で何年にもわたって認知症を発症されたお母様のお世話をされていた。せっかく建てたお家は、日記によれば散らかり放題だったそうですし、たくさん稼いだ印税を使う暇もなかった。辛苦の多い人生ともいえるけれど、それでも仕事をし続けて、愛する人のために精一杯生きた。時にはしたたかだったかもしれないけれど、それは愛する人を守るためだったでしょう。ひるがえって考えた時、岩谷さんの体や心を本気で心配した人がどれだけいただろうと思ってしまうんですよね……。

 

今回、岩谷さんと接点のある方々にお話を伺ったなかで、皆さんが「岩谷さんはいつも穏やかで微笑んでいらした」とおっしゃるんです。微笑みの下には、色々なものが渦巻いていただろうし、もしかしたら全身で泣いていたかもしれないけれど、それでも相手に「嫌なもの」を残していないすごさ。レディであり続けた岩谷さんは、ワーキングウーマンの鏡だと思うんです。岩谷さんのようにはとても生きられないけれど、レディであり続ける努力は、していきたいと切に思います」

 

最近、村岡さんご自身の『宝塚熱』も高まっているそうですね。

 

「今回の本を書くにあたって、資料を読み込み手に入る限りの映画を見て、頭の中でつなぎ合わせて、それでも、お会いしたことのない、同時代の人ではない岩谷さんや主要な登場人物が自然に映像として私の中で動き始めるまでには数年かかりました。

 

過去の芸能への架け橋として、じつは中学・高校時代の友人が、大きな助けになってくれました。特に、服部克久さんと岸田今日子さん、昭和の演劇界、音楽業界の巨匠2人のお嬢様たちです。お2人ともに演劇をものすごく見ていて、しかも宝塚をこよなく愛している。そんな親友たちが間近にいたので、何かにつけ、助けていただきました。彼女たちと一緒に宝塚を見に行き、宝塚の良さも再認識することが出来て、それはとても有難かったです。余談ですが、母校の東洋英和は文化祭が宝塚風なんです(笑)。音楽部、演劇部、英語劇部それぞれがお芝居をするんですが、毎年宝塚のように男役が誕生して、盛り上がるんです。今年は「レ・ミゼラブル」もあるようです。

 

最近、宝塚歌劇に出かけると、「恵理!」と誰かしら元同級生に呼び止められることも増えました。更年期を迎え、日常にときめきがなくなって宝塚熱が再燃する同級生が多い(笑)。若い女の子たちが、舞台の隅々まで一生懸命やっている姿には、すごく心が浄化されますよ」

 

村岡恵理 プロフィール
1967年生まれ。成城大学文芸学部卒業。祖母・村岡花子の著作物、蔵書、資料を翻訳家の姉・村岡美枝とともに研究。その集大成として著した『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』(新潮文庫)は、連続テレビ小説『花子とアン』(NHK)でドラマ化もされ、親しまれている。また、『赤毛のアン』の著者であるL.M.モンゴメリの子孫やプリンス・エドワード島州政府と交流を続け、日本とカナダの友好関係促進につとめる。その他の著書は、『村岡花子の世界 赤毛のアンとともに生きて』(河出書房新社)『「赤毛のアン」と花子 翻訳家・村岡花子の物語』(学研マーケティング)アンを抱きしめて(絵/わたせせいぞう・NHK出版)など。

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ラストダンスは私に

ラストダンスは私に岩谷時子物語

村岡恵理(むらおかえり)

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