「叶わなかった甲子園への青写真」人生のレールを外れたからこそ見えたもの ~奇跡の48年生には、イチローを超えかけたもう一人の男がいた~
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2019/09/30

根鈴雄次(ねれいゆうじ)。中学時代からパワフルなバッティングが評判を呼び、数多の高校野球名門校の間で激しい争奪戦となった男がいる。甲子園で活躍し、プロに行く—-誰もがそう信じて疑わなかった彼は、高校入学からわずか1ヶ月後の「不登校」によって“野球界の王道”からコースアウトしてしまう。引きこもり、中退、渡米、定時制高校卒業からの法大入り、そして二度目の渡米……周囲に惑わされることなく「己の声」を聴き、自分の可能性を信じて道を切り開いてきた男の半生は、私たちに何を教えてくれるのか。

 

※本稿は、喜瀬雅則『不登校からメジャーへ ~イチローを超えかけた男~』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

 

エクスポズのユニホームを身にまとう根鈴

 

◆“怪物”を育てた男

 

東京から電車を乗り継ぎ、およそ3時間。茨城県鹿嶋市は、サッカーJ1の強豪・鹿島アントラーズのホームタウンでもある。Jリーグの試合当日には、深紅のレプリカユニホームに身を包んだサポーターたちで、JR鹿島神宮の駅前はごった返すという。

 

「それ以外の日は、このあたり、人がいませんよ」

 

笑いながら、タクシーの運転手さんが明かしてくれた。

 

その静かな駅前から、小高い丘に向かって車で約10分。下校する生徒たちの横をすり抜けるようにして、車は鹿島学園高の正門前へと到着した。

 

「相当、遠かったでしょ?」

 

野球部監督の鈴木博識(すずきひろし)が、プレハブの部室で、温和な笑顔とともに出迎えてくれた。

 

1989年(平成元年)創立の同校には、2018年(平成30年)現在も甲子園の出場経験はなく、県ベスト4が最高成績だ。

 

決して強豪とはいえない、歴史も浅い野球部に鈴木が監督として迎えられたのは、2015年(平成27年)8月のことだった。

 

鈴木が築き上げてきた実績は、実に輝かしい。

 

1996年(平成8年)から14年間、母校・日本大学の監督として、全国大学選手権で準優勝2度。村田修一(元・横浜~巨人、現・巨人2軍打撃兼内野守備コーチ)、長野(ちょうの)久義(巨人~広島)ら、プロの世界でも一線級で活躍する選手たちを、数多く育て上げている。

 

1950年(昭和25年)生まれ。還暦も越えた名将が、最後の挑戦の場として選んだのは、もう一度、高校生と一緒に、甲子園という「夢」を追うことだった。

 

鈴木は1968年(昭和43年)夏、栃木・小山高のエースとして甲子園に出場。初戦(2回戦)の高松商戦では、8回まで1失点の好投も、同点で迎えた9回にサヨナラ負けを喫している。

 

日大、そして社会人の三菱自動車川崎でも活躍した後、1981年(昭和56年)から、指導者生活をスタートした。

 

まず青森商で5年間監督を務め、1987年(昭和62年)から日大藤沢高の監督に就任した。

 

赴任当時、日大藤沢には甲子園出場経験がなかった。

 

自分もプレーした夢の舞台に、生徒たちを立たせてやりたい。

 

情熱的な指導ももちろんだが、いい選手がいると聞けば、休日も惜しんで、スカウティングのために足を運んだ。

 

監督就任直後の、暑い夏の日のことだった。鈴木は、中3の有望な左打者を視察するため、神奈川県内のあるグラウンドに出向いた。

 

ところが、その選手と同じチームで一塁を守っていた体のがっちりした「別の選手」の動きに、いっぺんに心を奪われた。

 

「バッティングのパワー。ヘッドスピード。スイングの強烈さ。それは、すごかったですよ。この選手、いいなあと」

 

それが、中学2年生の根鈴だった。

 

シニアリーグでは、軟式ではなく、硬式のボールを使う。緑中央リトルシニア(現・横浜青葉リトルシニア)に入団した根鈴の、中1での初めてのゲーム。つまり、硬式での第1打席でいきなり、本塁打を放ったという。

 

根鈴は、聞こえてくる“自分への高評価”がうれしかった。

 

「今で言うなら、清宮(幸太郎=現・日本ハムファイターズ)君みたいに、ずぬけた体で目立っていたみたいです。パンチ力も『神奈川県で1番』と言われて、打ったら周りが『おーっ』って」

 

小6の時点で、すでに身長170センチ、体重85キロ。その恵まれた体格を生かした豪快なバッティングは、県内でも早々と、評判になっていた。

 

すごい体の中学生が、ホームランを打ちまくっている–。

 

根鈴に着目したのは、鈴木だけではなかった。

 

横浜、桐蔭学園、東海大相模。名だたる強豪校の監督や関係者が根鈴のプレーを視察に訪れた。

 

「ウチの学校に来てくれないか」

 

にわかに“怪物争奪戦”が勃発していた。

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不登校からメジャーへ

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喜瀬雅則(きせまさのり)

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