政治家の品格を「風圧」で読み解く(1)「強風圧」の大物政治家たち
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ryomiyagi

2020/02/14

 

「昭和の妖怪」岸信介、「人たらし」田中角栄、「たたき上げ」菅義偉、「壊し屋」小沢一郎…。永田町には、かつて政治アナリスト伊藤惇夫氏が「強風圧政治家」と呼ぶ政治家がたくさんいた。そして今は……?新刊『消えた「風圧」』から、「風圧政治家」の一部をピックアップ!

 

奇を隠し持つ昭和の妖怪 岸信介

 

第56,57代首相。弟は佐藤栄作、孫は安倍晋三。太平洋戦争後はA級戦犯として罪を拘留されるも無罪となる。と、これだけを読んでも、岸信介と名乗る政治家の妖怪ぶりは他の追随を許さない。正に威風堂々たる永田町の妖怪である。

 

“妖怪”のにこやかな笑顔に見送られて、事務所を出てからしばらく歩いた時、ふと自分の左の拳が強く握られたまま固まっていて、自分の意思では開かないことに気づいた。

 

と、岸信介を語る章は、なんとも意味深な、読み手にすらある種の怖さを共有させる言葉で始まる。
令和の御代では想像すら出来ない、「国体護持」の掛け声のもと日本がファシズムにも準えられる国粋思想にある中、彼はその中心に居た。およそ300万人の犠牲者(台湾、朝鮮籍の軍人・軍属・民間人を含む)を出し、国土を焦土を化した最中、岸信介と言う政治家は東条内閣の閣僚として日本の舵を取っていた。にもかかわらず、戦後も永田町に存在し、それのみか自らも首相を務めた後、実弟・佐藤栄作を首相とし、息子・安部晋太郎を外相、孫・安倍晋三を首相と、不死を思わせる黄金の系譜を貫いている。

 

その中で、唯一、今もはっきり覚えているのが、「私はね、何度も死を覚悟したことがあるんだよ」という言葉だ。いい加減なハッタリでこれに類する言葉を口にする人は少なくないが、この時感じたのは、それが”正真正銘”だという思いだった。
一見「とても優しいお爺さん」なのに、この時、何とも言えない迫力を感じたことは、今も忘れない。岸の周辺からは常に、表現しがたいオーラのようなものが発せられている気がして、そのかたちの見えない「何か」に圧倒され続けるなか、30分ほどでインタビューは終わった。

 

「人たらしのプロ」 田中角栄

 

小卒の総理大臣。第64、65代首相。日本列島改造論。といえば、戦後の復興を遙かに凌駕し、全国民に日本経済の高度成長を実感させた「人たらしの天才」と称された田中角栄である。日本列島そのものを改造するという、当時の日本人が誰もイメージすらできなかった壮大な計画を掲げ、その名の通り、列島の端々にまで巨大なブルドーザーを送り込んでは高速鉄道を延伸し、高速道路網を広げ続けた。
そうして迎えた「経済大国」の呼び名とともに、ロッキード社の航空機売り込みにまつわる贈収賄により逮捕収監される。

 

田中と直接、話したのは数回しかない。何かの報告に訪れた時、「おう」と言われたことや、お得意の「わかった」という言葉を聞いたぐらいの記憶しかない。だか、その後、政界で生きていく中で、いずれも間接的だったが、常にどこかで田中と繋がっていたような気がする。自民党時代、最も尊敬し、親しく接してもらったのは田中の「懐刀」と称された後藤田正晴だし、自民党を飛び出して新進党に身を投じたきっかけを作ったのは、「田中学校」の優等生だった小沢一郎と羽田孜である。

 

高度成長期のど真ん中、「金権政治」の総本山と目され否定的に評する者も多かったが、不思議なことに、そんな否定・批判論者までもが、稀代の政治家として彼を評価していた。「人たらしの天才」の名をほしいままに、角栄は、秘書はおろか、ただすれ違う警備員からも愛されていた。

 

日本の政界で敬愛の念を込めて「オヤジ」と呼ばれたのは田中ただ一人である。誰もが喜んで「たら」された。余計な付け足しかもしれないが、日本の政界で誰よりも多くの総理を「育てた」のは田中で、反旗を翻した竹下登と、参議院議員時代、田中派に属していた細川護熙を加えると、その数なんと5人である。

 

田中角栄。「金権政治」「土健屋」と揶揄され、海を越えた疑獄の末に逮捕収監されたにもかかわらず、未だに強烈な記憶を多くの国民に残す政治家。今もって彼は、「望まれるリーダー」的なアンケートに名を連ねる、「国民をたらし続ける」伝説の政治家だ。

 

「官邸のラスプーチン」菅義偉

 

現・内閣官房長官、菅義偉といえば、良くも悪くも戦後最長の安倍内閣を屋台骨を支える、ある種の凄みを感じさせる政治家だろう。
著者の言う「風圧を感じなくなった」、現代の永田町に在って、「風圧」とは違う「凄み」をまとう希少種ではないだろうか。

 

「突然のお電話、失礼します。私、経済産業省の○○と申します。中略 ご指定の場所に出向きますので、お時間をちょうだいできませんでしょうか」
2013年の10月のある日、僕の携帯電話に、まったく面識のない経産省の幹部から突然の電話が。一瞬、何のことかわからず戸惑った後、ハタと気がついた。2~3週間前のこと。菅と何か月ぶりに会った時、安倍政権が五輪招致の演説で「福島の原発事故による汚染水は完全にアンダーコントロールされている」と述べたことに、「本当に大丈夫ですかね?」と疑問を投げかけたのに対し、菅が「いや、大丈夫です。担当者に説明させますよ」と言ったことを。正直に言うと、僕はその時のやり取りを忘れかけていた。だが、菅はしっかり覚えていて、経産省の担当者にきちんとしじしていたのである。

 

菅義偉。この政治家に対する印象は複雑である。世襲議員が跋扈する中、「たたき上げ」の彼には「清潔」な何かを期待していたし、裏切られた感の否めない現在に至ってなお、他の議員には無い何かを感じさせられる。

 

菅はとにかく、驚くほど「こまめ」である。超多忙なはずなのに、彼は時間さえあれば、朝昼晩、誰かと会食している。その多くは一対一であり、相手は政権に協力的な人物とは限らない。批判的な立場をとる者とも積極的に会おうとする。例えば僕のような。
かつてはそうした政治家が少なくなかった。批判的な人物であっても会えばお互いの距離は微妙に縮まる。少しでも近づかせることができれば、政治家にとって損はないからだ。だが、最近の政治家の多くは批判的な人物と会おうともしないし、何かで出会うことがあっても、目も合わせようとしない。要するに「子ども」が増えてしまった。そんな今の永田町にあって、菅は間違いなく「大人」の政治家である。

 

幹部官僚の人事権を内閣が掌握している今、そこに「大人」の政治家が座っているだけで忖度は自動的にはかられるシステムが出来上がってしまっているように思う。「官邸のラスプーチン」「安部政権の生命維持装置」と呼ばれる政治家が、いつ梯子を外すか…。
それが、最長記録を伸ばし続ける安倍政権の行く末のような気がする。

 

「壊し屋」と呼ばれた男 小沢一郎

 

89年、自民党幹事長就任。98年、自由党結成(その後、民主党に合流)。2012年以降は、国民の生活が第一、生活の党、自由党の代表を歴任し、その間、「政界の壊し屋」の名をほしいままにした小沢一郎ほど、期待外れなハードパンチャー的政治家は居ない。
前出の菅が官房長官の存在感を押し上げたのに対して、彼ほど、自民党幹事長の名を知らしめた剛腕を知らない。

 

「政治家の根本は選挙制度だ。伊藤(正義。当時は自民党政治改革推進本部長)が『党内に反対が多くて』と言うから『誰が反対しているんですか? 竹下? 安部(晋太郎)? 渡辺(美智雄)? 誰も反対していませんよ。この3にんなら私が回って納得させます。要は総理(第76~77代内閣総理大臣、海部俊樹)の決断。これをやって辞めるくらいの覚悟がないとね』と言ったんだ」
パソコンに取り込んだメモには「1989年9月21日、赤坂K寿司で。小沢一郎言」と記されている。選挙制度改革を軸にした政治改革論議が、自民党内で過熱化し始めた頃だ。僕の中ではこの時期の小沢一郎が最も輝いていた、というか強烈なオーラを放っていたようなきがする。

 

最悪とも言われる現在の永田町を創り出した、この選挙制度改革にも彼は圧倒的な存在感を放っていた。その剛腕は最高潮に発揮された。だが、そんな剛腕であったにもかかわらず、この時期に自民党には自浄作用と言うか、自民党内に派閥と言う野党が敢然と存在していた。その点、現内閣の数と支持基盤にものを言わせて乱発する「閣議決定」と「強行採決」のような、ジャイアン的な子どもの遊びではなかったように記憶している。

 

当時は誰が小沢と接触したか、ということ自体が話題になるほど、小沢の一挙手一投足に関心が集まっていた。海部総理は「お飾り」で、実質的に動かしているのは小沢だというのは周知の事実だった。副幹事長たちも、派閥に関係なく、まるで「小沢親衛隊」のようだったし、直接、小沢に呼ばれて指示を受けることが多かった僕は、事務局の幹部たちから「俺たちを飛び越して、勝手なことを」といった怨嗟の声を浴びせられたり、嫉妬の目で見られて閉口したことを覚えている。

 

総理になるんだろうと、誰もが思った数少ない政治家であるにもかかわらず、一度もその意思を示さなかったようにすら思わせる。「剛腕」「壊し屋」の二つ名に勝るとも劣らない、「総理になろうとしなかった」不思議な政治家に思えて仕方がない。

 

文/森健次

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