高度成長期に日本人がピアノ好きになった理由
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ryomiyagi

2020/02/24

 

令和2年を迎えた今年、2020年。日本中が東京オリンピックで沸き立つなか、ワルシャワではピアノ界の大イベント・5年に一度の「ショパン・コンクール」が開催されます。日本人にとってのピアノスターであるマルタ・アルゲリッチと マウリツィオ・ポリーニという2人の物語を通して、20世紀後半〜現在までの日本と世界のクラシック音楽史を辿ります。

 

※本稿は、本間ひろむ『アルゲリッチとポリーニ』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

 

■文化の成熟とクラシック音楽

 

1970年(昭和45年)前後。時は高度経済成長期。

 

ニューファミリーと呼ばれた人々は都市部にできた団地に住み、3Cと呼ばれる耐久消費財(カラーテレビ、クーラー、カー)を手に入れ、収入が増えると今度は郊外にできた一戸建て住宅をローンで購入。リビングルームの窓にはレースのカーテン、壁際にはヤマハやカワイのアップライトピアノが鎮座した。

 

他方の壁際に置かれたカラーテレビは、月を歩く宇宙飛行士、オリンピックで金メダルを掲げるアスリート、ヘルメットをかぶって角棒を持った大学生たち、山荘の壁をぶち壊すクレーンの映像。小さな魔法の箱は実に様々な風景を映し出した。

 

その中に、着物姿でピアノを弾く中村紘子、真っ赤なドレスを着てコーヒーのCMで微笑む中村紘子もいた。NHK交響楽団を引き連れてヨーロッパ・ツアーを成功させ、ショパン・コンクール(正式名:フレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクール)に入賞。そして芥川賞作家と結婚した世界的ピアニストは、この国のスターになり、夫婦揃ってショーケースに入ったセレブリティになったのだ。

 

文化の成熟? あるいはそのプロセスにあったのかもしれないが、我々が行っていたものの正体は“消費”である。

 

ピアノメーカーのヤマハとカワイは全国にピアノ教室を展開した。そして生徒たちにピアノを売った。そして、幼い男の子と女の子はバイエルをさらい、モーツァルトをさらい、発表会で拙いピアノを弾いた。

 

それを見て、そのお友達もピアノを買った。ピアノを習っていてもうまくクラシック音楽に馴染めない生徒やピアノが置けない住環境の人々(経済的な事情も含めて)に対しては、ヤマハはエレクトーン、カワイはドリマトーンという電子オルガンを投入した。

 

スキルを磨いて電子オルガン奏者になったらなったで、結婚式や各種イベント会場(野球の試合でも電子オルガンが演奏されていた)でBGMを演奏するなど活躍の場はあったのだ(特にエレクトーンは独自に進化していてオペラのオーケストラの部分を1台で演奏できるので、最近はちょっとしたオペラの名曲演奏会などに重宝している)。

 

高度経済成長の象徴として東京オリンピック(1964年)や大阪万博(1970年)があった。

 

我々は大阪万博にスヴャトスラフ・リヒテル(1915年、ジトミール生まれ)が来るといえばチケットを買い、ムラヴィンスキーの代わりに来たアルヴィド・ヤンソンスにもちゃんと拍手を送った。カラヤンが来るとチケットを買った。アルゲリッチが来るとチケットを買った。ポリーニが来るとやっぱりチケットを買った。買えない時はNHKがちゃんとその模様をオンエアしてくれた(多くの者がN響の定期会員になった)。

 

バブル期に入ると拍車をかけるように様々な大物アーティストが来日コンサートを行った。

 

1983年には満を持してウラディーミル・ホロヴィッツ(1903年、キエフ生まれ)が初来日したが、老評論家に「ヒビの入った骨董品」と評されてしまう。

 

アルゲリッチが憧れたホロヴィッツ。彼女のその様を見てアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが嫉妬したホロヴィッツ。だが、ホロヴィッツはある事情でコンディションが悪かった。そんな時もある。

 

そのわずか2年後(1985年)、ホロヴィッツの失態を挽回するかのように、ブーニン・ブームが起こった。19歳でショパン・コンクールに優勝したスタニスラフ・ブーニン(1966年、モスクワ生まれ)の特集番組をやっぱりあのNHKが組んだのだ。

 

我々は『衝撃のショパン・コンクール・ライヴ』という今にして思えば大げさなタイトルのレコードを喜んで買った。このミスタッチだらけのレコードをきっかけにクラシックを聴き始めた人もたくさんいる。

 

ほどなく彼は旧ソ連からドイツに移住し、4大レコード会社と言われたEMIと契約してレコードも数枚リリースしたが、いつの間にか姿を見かけなくなった(日本のブームのあと日本人の奥さんをもらうあたりベイ・シティ・ローラーズのレスリー・マッコーエンのようでもある)。

 

あまりにも小さな比熱。そいつが小さいほどちょっとした燃料を投下するだけですぐフィーバー(炎上?)する。だが冷めるのも早い(アルゲリッチとポリーニは比熱が大きいので、時間がかかる分しっかり人気が定着した)。

 

■マスメディアによる「スター・システム」

 

NHKはその後も埋もれていたピアノスター、イングリッド・フジコ・ヘミング(1932年、ベルリン生まれ)に光を当て、彼女もスターになった。

 

そのおかげで、中村紘子しか満員にできなかった地方のホール(そのほとんどにスタインウェイ&サンズのコンサート・グランド・ピアノが鎮座している)を埋めるキラーコンテンツが一つ増えた。

 

もう一つ増やそうと画策したわけではないだろうが、全盲の天才作曲家の番組をオンエアし様々な事情でコケてしまったが……。

 

NHKだけではない。フジテレビは五嶋みどり(1971年、大阪生まれ)の弟でヴァイオリニストの五嶋 龍(1988年、ニューヨーク生まれ)を彼が小学生の頃から追いかけていたし、BS朝日は全盲のピアニスト辻井伸行(1988年、東京生まれ)のドキュメンタリー番組を制作した。

 

そのマスメディアの特性を最大限に生かした手法は全くもってアメリカのそれである。

 

『エド・サリヴァン・ショー』でリムスキー=コルサコフの《熊蜂の飛行》やヴィエニャフスキの《華麗なるポロネーズ》を演奏した車椅子姿の青年(イツァーク・パールマン)を一晩でスターにしたように、タングルウッド音楽祭で二度も弦を切りながらレナード・バーンスタイン(1918年、ローレンス生まれ)の《セレナード》を弾ききった14歳の少女(五嶋みどり)が翌日のニューヨーク・タイムズの一面を飾ったように。

 

NBCのオーケストラを振るアルトゥーロ・トスカニーニ(1867年、パルマ生まれ)のように岩城宏之や外山雄三がN響を振ってベートーヴェンを演奏し、山本直純はレナード・バーンスタインのように面白おかしくオーケストラをいじりながらテレビショーを展開した。

 

スター・システム? そうスター・システム。

 

朝日新聞や毎日新聞だって太田幸司やジャンボ仲根といった甲子園のニューカマーを紙面に載せることで部数を伸ばし、それを見た読売新聞は長嶋茂雄、王貞治で部数を伸ばした。

 

1950年代のハリウッドのスタジオ然り。デトロイトのモータウン・レコード然り。宝塚歌劇場然り。日本放送協会然り、なのである。

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