今秋開幕!5年に1度の「ショパン・コンクール」――初の日本人優勝者は誕生するのか?
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ryomiyagi

2020/02/28

 

令和2年を迎えた今年、2020年。日本中が東京オリンピックで沸き立つなか、ワルシャワではピアノ界の大イベント・5年に一度の「ショパン・コンクール」が開催されます。日本人にとってのピアノスターであるマルタ・アルゲリッチと マウリツィオ・ポリーニという2人の物語を通して、20世紀後半〜現在までの日本と世界のクラシック音楽史を辿ります。

 

※本稿は、本間ひろむ『アルゲリッチとポリーニ』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

 

■ショパン・コンクール2020

 

2020年はショパン・コンクール・イヤーである。

 

世界で最も有名なピアノ・コンクールともいわれるフレデリック・ショパン国際ピアノ・コンクールは、4月に予備予選があって、事前審査を通過したコンテスタント約80名が10月にワルシャワに集まる。

 

スケジュールは次のとおり。

10月2日  オープニング・コンサート

10月3〜7日  第1次予選

10月9〜12日  第2次予選

10月14〜16日  第3次予選

10月17日  ショパン第171回目の生誕記念コンサート

10月18〜20日  最終予選(ファイナル)

10月21日  優勝者コンサート

10月22日  第2位受賞者コンサート

10月23日  第3位受賞者コンサート

2002年には上原彩子がヤマハのグランドピアノを演奏してチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門で優勝したが、2010年のショパン・コンクールで優勝したアヴデーエワはヤマハのピアノをチョイスして優勝している。

 

あとは日本人優勝者を残すのみ、とピアノ関係者は思っている。

 

これまでの日本人入賞者をざっと挙げてみる。

 

1955年・10位(この大会は10位まで入賞者)の田中希代子
1965年・4位の中村紘子
1970年・2位の内田光子
1980年・5位の海老彰子
1985年・4位の小山実稚恵
1990年・3位の横山幸雄(1971年、東京生まれ)
1990年・5位の高橋多佳子(1964年、札幌生まれ)
1995年・5位の宮谷理香(1971年、石川生まれ)
2000年・6位の佐藤美香(1973年、大阪生まれ)
2005年・4位の山本貴志(1983年、長野生まれ)
2005年・4位の関本昌平(1985年、大阪生まれ)である。

 

お気づきのとおり、2005年を最後に日本人入賞者が出ていない。

 

■求められるのは、審査員に「YES」と言わせる「何か」

 

2010年、「ショパン生誕200年」記念大会では日本人のファイナリストすら出なかった。この年から、1次予選〜3次予選で演奏に対する点数のほかに、次のステージにどのコンテスタントを進ませたいか、という質問に「YES/NO」で答えるという評価が加わったのだ。

 

点数はいいんだけど、セミファイナルには相応しくないね、と審査員が思ったら「NO」を突きつけられてしまうのだ。逆に点数がちょっと悪くても、次のステージでもこのコンテスタントのピアノを聴きたい、と思わせれば「YES」。

 

つまりは日本人のコンテスタントには「審査員の心を揺り動かす何か」が足りなかった。

 

それは、ポリーニばりに正確に弾いても「ああうまいんだけどね」で終わってしまう可能性をも残す。逆にポゴレリチやスルタノフには有利に働いていたかもしれないシステムだが、やはり諸刃の剣だ。自分に近いコンテスタントが技術的に概ね低い点数でも、ほかの審査員に「YES」をたくさんつけて貰えばいい。

 

こうしたシステムで行われた2015年は、小林愛実が日本人ひとりファイナルに残った。彼女は十代にしてCDデビューを果たしている。つまりは「この若者のCDを世に出して皆様に聴いてほしい」と制作側が思う「何か」を彼女は持っていたということだ。

 

この「何か」がショパン・コンクールの審査員に「YES」をつけさせる「何か」と同じものだとは限らないが、それすらない若きピアニストがショパン・コンクールを勝ち進むのは難しい。

 

そしてショパン・コンクールは浜松国際ピアノコンクールとの親和性が高く、浜松経由でワルシャワを目指すコンテスタントが増えている(チョ・ソンジンは両方で1位になっているし、ブレハッチは浜松で2位、ショパン・コンクール1位)。

 

浜松の勝者には優勝ツアーが用意されていて、日本国内の各地のオーケストラと共演できる。これは大きい。できるだけコンチェルトを弾いておきたい。なぜならショパン・コンクールのファイナルで、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団とショパン《ピアノ協奏曲》を1曲弾かなければならないからだ。

 

実は、このファイナルでのパフォーマンスが最も重要。ブレハッチもアヴデーエワも予選の段階で「こいつすげーな感」が出ていた。このピアニストが優勝するかも、と思わせる何かである。それに加えて、ファイナルで最高のパフォーマンスを見せて初めてショパン・コンクールを制することができる。

 

ここでピアノのチョイスを変えて、つまりはより輝かしい音を求めてヤマハからスタインウェイに乗り換え、演奏中にコントロールを失ってしまうピアニストもいたと聞く。

 

そして、コンチェルトの《第1番》か《第2番》、どちらをチョイスするかもポイントである。

 

1995年はアレクセイ・スルタノフがファイナルで《第2番》を弾いて1位を逃した。《第2番》で1位を得たピアニストは1980年のダン・タイ・ソンまで遡らなければいけない。

 

そして、最終的に決めるのは審査員。生殺与奪権を握っているのは彼らだ。

 

1934年のウィーン国際ピアノ・コンクールでディヌ・リパッティ(1971年、ブカレスト生まれ)が1位にならなかったことで審査員のアルフレッド・コルトーが審査員を辞任したり、1955年のショパン・コンクールでウラディーミル・アシュケナージが1位にならなかったことで審査員のミケランジェリが議事録へのサインを拒否するなど、もともと我の強いアーティストや音楽学者が審査をするのだから一筋縄ではいかない。

 

審査員たちは自分がいいと思うコンテスタントには強いこだわりを持つ。裏を返せば、そうでないコンテスタントの優勝をそう易々と認めないということだ。

 

そうなると、そのハードルをクリアするスキルを持っている、大きなコンクールで上位入賞をしているコンテスタントが俄然有利だ。どうすれば、目の前にいる審査員の心を掴めるか、を知っているからだ。

 

さらには、主な国際コンクールで2位までに入れば予備予選は免除になるという規定もある(例えばチャイコフスキー・コンクールで2位に入っていれば、10月からワルシャワに行けばいいのだ)。

 

ここまで書き進めて、私の中では2人の若者の顔が浮かんでいる。

 

藤田真央と牛田智大である。

 

現時点で彼らがショパン・コンクールにエントリーするかは分からない。しかし、2人とも若いながらファイナルに進むだけの実力者だけに、彼らがエントリーしてくれれば間違いなくヤバイことになる。

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