家族、友人、仕事相手……誰と話す私が本当の自分? 「自分に自信がない」人こそ持つ強みがある
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ryomiyagi

2020/05/05

「自分とは何か?」就職活動、社会人生活、家庭の中で……。人生の様々な場面でぶつかるこの問いに、就活中の具体的な問題の解説から、心理学、ソクラテス以来の哲学までを横断し、生徒5人とそれぞれの専門家とのディベート形式で迫っていく高橋昌一郎『自己分析論』。その中から、自己観と文化性の関係についてご紹介します。

 

※本稿は、高橋昌一郎『自己分析論』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

 

 

■「相手によって自分が変わる」のは、健全な状態

 

心理カウンセラー ところで、ちょっと思い浮かべてほしいんだけど、あなたたちは、親の前にいる自分、友達の前にいる自分、先生の前にいる自分、バイト先にいる自分が同じだと思う? それとも違うかしら?

 

文学部A それは、かなり違うと思います。先生やバイト先の店長のような社会人に対するのと、家族や友達に対するのでは、言葉使いからして違っていますし……。
言葉遣いだけではなくて、それぞれ違う自分を使い分けているとすると、いったい本当の自分とは何なのか、わからなくなってきました。

 

経済学部C A子は、相手によって自分が変わるの? 私は、あまり変化ないんだけど……。

 

文学部A C子から見た私って、どんな人?

 

経済学部C A子は、すごくマジメで、頭がよくて、しっかりしていて、頼りがいがあって、誠実な人でしょう。

 

文学部A それがね、両親から見た私は、人見知りの心配性で、がんばり屋だけど、すぐにクヨクヨする弱虫で、理屈ばかり言う頑固者で、それなのに甘えっ子なのよ。まるで、別人じゃない?

 

経済学部C 赤ちゃんのときから育ててくれたご両親の前では、自分の「素」を出しているんじゃない?

 

文学部A そうすると、両親の前の「私」が本物で、C子の前にいる「私」は、別人を演じているということ?

 

経済学部C それは、どうかな……。どちらが本物というよりも、どちらもA子の一面なんじゃない?

 

心理カウンセラー カール・ユングという有名な精神分析医がいてね。彼は、「社会的な役割や立場などのために人前で演出している自分の姿」のことを「ペルソナ」と名付けている。人が社会で生きていくために、いろいろな「ペルソナ」を持っていることは、ごくノーマルな状態なのよ。
ただし、あまりにも特定の「ペルソナ」と一体化してしまうと、本来の自分を見失うことになるから注意しなければならないと、ユングは警告しているけどね。

 

経済学部C それは、どういうことですか?

 

心理カウンセラー たとえば、学校で生徒に厳格な教師がいるとして、家庭でも同じ教師を演じ続けたら、家族は大迷惑でしょう?

 

経済学部C あははは、たしかに。

 

文学部A いつでも教師を演じているなんて、本人も辛いのではないでしょうか?

 

心理カウンセラー そうそう。その意味で、A子さんが多種類の「ペルソナ」を持っているのは、むしろ健全な状態だともいえるのよ。

 

■生活する文化圏の性質で「自己観」も変わる

 

心理カウンセラー それと同時に、「自己概念」には「文化性」が強く関係していることがわかっていてね。ミシガン大学の文化心理学者北山忍とヘイゼル・マーカスが一九九一年に発表した有名な論文があるんだけど、彼らは、日本やアジア圏で顕著な自己観を「相互協調的自己観」と定義した。
この文化圏では、「自己」は、他者や周囲の環境と結びついた「関係重視の実体」として捉えられる。したがって、人間関係や社会関係の中で意味付けられる自分の特性が「自己」の中心に位置することになるのよ。

 

それに対して、欧米文化圏で見られる自己観は、「相互独立的自己観」と定義されている。この文化圏では、「自己」は、他者や周囲の環境との「関係から独立した実体」として捉えられる。したがって、個人の才能や動機などの特性こそが「自己」そのものだということになる。

 

医学部E つまり、アジア圏のような「集団主義」文化圏では、「自己」は集団の中で存在価値を持つから「相互協調的自己観」になるけれども、欧米文化圏のような「個人主義」文化圏では、「個人」が尊重されるから「相互独立的自己観」になるということですね。

 

心理カウンセラー そうそう。ちょっとわかりにくいから、北山とマーカスの論文にある概念図を描いてみるわね。

 

 

文学部A この図によれば、「相互独立的自己観」では「自己」は完全に他者から切り離されているのに、「相互協調的自己観」では「自己」が多くの他者と重なり合っていますね。この重なり合いの総計が、「自己」として認識されるということなのでしょうか?

 

心理カウンセラー そういうことになるわね。欧米文化圏では、幼い頃から人と違う部分を「個性」として尊重して、人と違うからこそ「自分」だという意識を持つ。
ところが、アジア文化圏では、どちらかというと人と違う部分を表に出さないようにして、他者と同調する過程の中で「自分」を意識しようとするわけ。

 

医学部E 欧米諸国の人たちがすごく積極的に自己アピールするのは、それによって「自分」の存在意義を確認するためなんだろうね。

 

■日本人が持つ「自分の弱点を肯定的に受け入れる力」

 

法学部B それに対して、日本では「出る杭は打たれる」から、皆「自分」の意見をハッキリと言わなくなる。周囲の「空気」を読みながらしか発言できないから、自信がなさそうに見えるのかもしれない。

 

心理カウンセラー 日米中三か国の高校生約3400名を対象にした調査によれば、「私は他人に劣らず価値のある人間だ」に肯定的に答えた高校生は、アメリカ89%・中国96%・日本38%、「私は人並みの能力がある」は、アメリカ91%・中国94%・日本58%、逆に「私にはあまり誇りに思えるようなことはない」は、アメリカ24%・中国23%・日本53%だった。

 

法学部B 日本の高校生は、本当に自信がないんだね。半数以上の高校生が「私にはあまり誇りに思えるようなことはない」と思っているなんて、嘆かわしい。

 

経済学部C でも、逆に、90%以上が「他人に劣らず価値がある」とか「人並みの能力がある」というのは、多すぎでしょう?
アメリカと中国の高校生が「自信過剰」すぎるんじゃないかな。

 

心理カウンセラー いいポイントに気付いたわね。
実は、この調査から、信州大学の社会心理学者菊池聡は、アメリカと中国の高校生に「自制や謙虚な姿勢が少ない」のに対して、日本の高校生は、むしろ自分の弱点を「肯定的」に受け入れて自己の向上を目指しているのではないか、と分析しているのよ。

 

医学部E たしかにそうかもしれませんね。「自信過剰」すぎる「相互独立的自己観」の方だと、自己が社会から受け入れられないときに、ボキッと折れてしまうかもしれない。

 

心理カウンセラー デューク大学の心理学者パトリシア・リンヴィルが提起した「自己複雑性モデル」によれば、「自己概念」が複雑な人の方が、否定的体験に対するダメージが少ないという利点があるのよ。
がんばっても思うような成果が出ない、誠意を尽くしてもわかってもらえない、いろいろな行動が裏目に出て失敗が連続するなど、人生には、想定外の否定的体験が起こりうる。その際、「相互独立的自己観」よりも「相互協調的自己観」の方が「感情的反応が軽減される」という研究結果が出ているの。

 

経済学部C つまり、A子みたいに複雑な自己を持っている人の方が、打たれ強いということね!

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