サバンナの豪雨とマサイの戦士たち 車椅子トラベラー、アフリカをゆく(6)
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ryomiyagi

2020/05/27

著書『No Rain,No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周』で、270日間単独車椅子世界一周旅行を記した車椅子トラベラー・三代達也さん。世界一周に続ける形で、2019年秋、念願のアフリカ旅行を達成しました。その車椅子アフリカ旅行記6回目。車椅子でマサイの人々とドキドキのご対面!

 

 

マサイと僕

 

大雨の後の悪路に泣く

 

ケニア最終日の前日、サファリに尋常ではないほどの雨が降った。ロッジの屋根の数カ所から、雨漏りがしたたり落ちるほどの豪雨だった。停電が繰り返される夜は、常に緊張に包まれていた。
翌朝になると、大雨の影響で動物はほとんど見えなかった。これも正直な自然の姿なのだろう。

 

今日は早めに宿へ帰ろうとしたその道すがら。ぬかるんだ道でスリップを起こしまくり、深い泥地にハマってしまった。
抜け出そうと踏ん張り、ゴウゴウと鳴り響くエンジン音。しかし、一向に車は動かない。
雨はどんどん強くなる。視界もはっきりしない。

 

僕は恐怖した。5分10分と、悲鳴を上げるかの如くけたたましく鳴るエンジン音が、不安を煽る。ドライバーさんも、車から降りて色々と工夫をしている。
そして!やっと! なんとか抜け出すことができた。

 

しかしそれからも、スリップ&スリップの連続。ハンドルの制御ができず、縦横無尽に滑りまくる。横転したらどうしよう。

 

ライオンに食われるのかなぁ。
んなことあるわけないやろ!と思われるが、ここはケニアのサバンナ。
大いにありえるのである。
ドライバーさんの目にも緊張がにじみ出ている。一点の曇りなきまなこでハンドルを握り、ひたすら前へ進む。

 

そんな過酷な状況の中、なぜかフフッと笑いがこぼれてしまった。人は本当の恐怖を感じると、本能的に笑ってしまうのかもしれない。

 

ようやく天気も晴れてきて、スリップ地獄からも解放された。トイレに寄り、土の汚れを落とす。ドライバーさんは平気な顔をしている。

 

僕は不思議な気持ちになった。ついさっきまで「もしかしたら助からないかも……」なんて恐怖に襲われていたのに。天気が良くなって無事に脱出できたら、嘘のようにケロっとする感じ。

 

ありきたりだけど今健康でいられること、生きているということに感謝しよう。

 

車椅子トラベラー、マサイへゆく

 

最終日、マサイ族の村を訪ねた。
村は4〜5世帯くらいが住む小さなサークル状の形をしていて、周りは木の枝で覆われている。

 

木の枝で囲まれた村

 

まず、村に入る前に祈りを捧げられる。
村人たちが僕の周りをグルグル回ったり、ジャンプしたり、叫んだりする。若い女の子たちもその儀式に交じっていて、少し照れた感じがかわいらしかった。

 

そうして村の中へ案内してもらう。車椅子の人間を受け入れるのは初めてらしく、子どもたちは「なんだ、この生き物は…?」といった顔で口をポカーンと開けたままこちらを見ていた。
まず驚いたのはハエの多さだ。じっといると、気づいたら10匹くらい顔に止まっていた。
でも、数分で慣れる。

 

マサイの人たちからは興味深いことをたくさん聞いた。通訳の人を通して得た話なので、本当に詳しい人たちからのツッコミがあるかもしれないが、僕なりにわかったことをずらりと並べてみたい。

 

・まず、マサイ族の村はケニア以外にも多数あり、大小様々。
・一夫多妻性。
・ケニアマサイ族は、顔に丸のマークをつける。
・タンザニアマサイ族は、頬とおでこに三本線を入れる。
・土や糞などを固めた家は、女性が作る(1カ月ほどかかる)。
・男性はセキュリティのため、猛獣用の生垣を作る。
・昔は家畜を売ってお金を稼いだが、飢饉があり収入が少なくなったので、今は観光客に手作りのアクセサリーなどを売っている。
・朝は家畜のヤギのミルクと血を混ぜて飲み、昼は何も食べない。夜はヤギをつぶして肉を食べ、血を飲む。
・近くに学校があるが、大人になると都会の学校へ進学する人がいたり、都会で仕事をしたまま帰ってこなかったりもする。

 

女性が作るというマサイの家

 

村の課題を聞くと、水不足だという。
水を汲むのがとにかく大変で、何キロも先にある水汲み場まで水を持ってこないといけない。なので、道路ですれ違うマサイの人たちからはいつも「ウォーター、ウォーター」と言われる。トイレは平野の茂みで「青空排泄」だ。

 

ざっくり紹介するとこんな感じだった。
掘れば掘るほど出てくる。気がついたら質問だけで30分以上してしまった。

 

テンリさんという村長にも会う。年は92歳で、妻は8人。子どもは、上は50歳から下は17歳まで、娘が4人で息子は52人。75歳で子どもを作った。
衝撃的すぎて、村の入り口で会った子どものように、ポカーンと口を開けながら話を聞いていた。

 

ひとしきり村を見て回って入り口に戻ると、ズラリと簡易お土産屋さんが並んでいた。ビーズアクセサリーや、ネックレスなど、手作りの雑貨がいろいろ。
さっそく買い物開始!
お店ごとに会計するのではなく、最後に村長の息子が品数と種類を確認して値段を提示してくるスタイルのようだ。
事前にガイドさんに「この量だといくらくらいになるかな?」と聞いたら、「まぁ5000〜6000円くらいじゃないかな?」とのこと(以下、おおよその円換算)。
いざ村長の息子のところへ。一品一品、品物を確認しながら提示された金額は、

 

「2万円だ」

 

2万?にまん? 
闘いのゴングが鳴った。

 

ミヨ「2万?フフッ、僕は2000円しか払えないよ。」
息子「2000!?︎(コイツ、やってんなという表情で)、それはさすがに無理だ。1万でどうだ?」
ミヨ「(いきなり半額になっちゃうんだ!笑、と思いつつも)1万円? フフッ、わかったよ。どれだけ譲歩しても3000だ。それ以上は出せないなぁ。」
息子「7500!」
ミヨ「4000!」

 

バトルは続いたが、僕は最初から5000円は出すつもりだったので、
僕「じゃあこれとこれは要らないから5000で良いかな?」
村長「OKだ、ありがとう」

 

平和的に交渉を終えて、満足して帰路についた。

 

闘い疲れが出てきた

 

マサイが教えてくれたこと

 

マサイに来て感じたこと。それは、当たり前なんて何一つないんだ、ということ。
これまで旅をしてきて、日本の常識だけがすべてではないということは散々感じ取ってきたつもりだが、まだまだ甘かった。
それでも、やはり世界は少しずつ良い方向に変わってるんだと思えたのが、僕が最後にした質問の答えだった。

 

「障害を持った子どもや、怪我で足を悪くしてしまった人がいたらどうするの?」

 

その僕の問いに、村長の息子は淡々とこう答えた。

 

「実際、一昔前までは完全に家の中で隔離していた。でも、最近は政府が車椅子を貸与するという流れになっているらしい。なので、どこにでも出かけられるようになったんだ」

 

その答えを聞いたときに、素直にうれしくなった。
サバンナにぽつんとあるこのマサイの村の環境でさえ、体に特徴があっても、少しずつ一歩踏み出せる環境にあるんだ。
あきらめなければいけないことが、少なくなってきているんだ。

 

僕が旅を通じて感じたこうした「世界のリアル」を、もっと発信していこう。
世の中は少しずつ変化している。僕は、これからの未来を生きるのが楽しみだ。

 

そんなシンプルなことに気づかせてもらったマサイの人たちに、感謝の気持ちを抱きながら、次なる国ジンバブエに向かった(つづく)。

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一度死んだ僕の、車いす世界一周

一度死んだ僕の、車いす世界一周No Rain,No Rainbow

三代達也(みよ・たつや)

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