人は人生という舞台で演じ続ける定めなのか――朝井まかてさん『輪舞曲』
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直木賞作家・朝井まかてさんの新刊は、大正時代に活躍した女優・伊澤蘭奢の物語。「ひょんなことから興味を持ったのですが“この人、好きだわ”と思って書き始めたわけじゃない(笑)」と朝井さん。そんな蘭奢の不思議な魅力に、読み進めるほどハマっていく自分に気づくはずです。

 

人生も“自分”を演じる一つの舞台。その演劇性に迫る小説になりました

 

『輪舞曲』
新潮社

 

登場人物たちの心理描写を細やかに描きながら、テンポよく物語を展開させることで知られる時代小説家の朝井まかてさん。これまで幕末期の水戸天狗党を支えた歌人・中島歌子、葛飾北斎の娘・応為、幕末長崎の女商人・大浦慶など歴史上の女性たちの物語を多数紡いできました。新刊『輪舞曲』では大正時代に活躍した新劇女優・伊澤蘭奢を描きます。

 

物語は、蘭奢が脳溢血で亡くなり、その葬儀を執り行った愛人・内藤民治に声をかけられた3人の男たちが昼餐に集まるシーンから始まります。集ったのは、蘭奢と恋人関係にあった活動弁士・徳川夢声、津和野の薬種商を営む祖父母に育てられた息子・伊藤佐喜雄、蘭奢を慕っていた文学青年・福田清人。内藤は蘭奢の遺品のなかから未発表の原稿や日記が出てきたと言い、遺稿集を出したいので協力してほしいと相談します。内藤は「遺稿を読むごとに彼女が遠ざかる」と戸惑い、夢声は「蘭奢は“私、四十までに死ぬの”が口癖だったから、その死は自らの意志によるもの」と言います。男たちはそれぞれ蘭奢とのかかわりを思い出していき……。

 

登場するのはすべて実在の人物たち。内藤民治は「中外社」という出版社の社主兼政界のフィクサーで、女優では自活できない蘭奢を雇っていました。徳川夢声は日本一有名な活動弁士、福田清人は児童文学作家、伊藤佐喜雄ものちの芥川賞候補作家です。

 

「私はチェーホフの戯曲『桜の園』が好きなのですが、構想時に帝国ホテルに『演芸場があった』という論文を読みました。そこで上演された『桜の園』に主演したのが伊澤蘭奢でした」

 

伊澤蘭奢は松井須磨子の後を継ぐ女優。新劇の人にとっては“知る人ぞ知る”存在ですが、朝井さんは名前を知る程度でした。

 

「ところが、偶然、彼女の遺稿集が古書店で手に入ったんです。改ざんも指摘されていますが、読むと蘭奢は露悪的でセンチメンタルで、結構、嫌な女なんです(笑)。そのうえ、彼女の周囲にいる男たちがとにかくすごい。そもそも寛永6(1629)年に女歌舞伎など女性芸能が禁止され、300年ぶりに日本の女が“演じること”を取り戻したのが新劇。その草創期が松井須磨子や蘭奢の時代です。そういう背景を含めて書いてみたいと思いました」

 

蘭奢は“私、四十までに死ぬの”と言い続け、実際に38歳で亡くなります。朝井さんは“友だちにはなれそうにない”と断りつつ、熱い言葉で続けます。

 

「蘭奢は“抑圧された女性性の解放を!”なんて拳を突き上げるタイプではないととらえています。ですので、本作品で描いたのは“人間の演劇性”なるもの。
蘭奢は〈母〉と〈妻〉の役から降りて〈女優〉という役を選び、人生にも演劇性を濃厚に持ち込んだ女性でした。周囲はさまざまな彼女に翻弄され、ときに嫌悪し魅了される。
でも蘭奢ほどではないにしろ、人生を一つの舞台だと考えれば、私たちも相手や場面が変わるごとにさまざまな〈私〉を演じ分けていると思うんです。言い換えれば、接する人間の数だけ違う〈私〉が存在することにもなる。その一瞬を切り取って永遠に留めるのがまさに演劇、俳優や女優の本分ということになるのでしょう。
この小説を書くことで、そういった人間の演劇性について迫ることになったと思っています」

 

伊澤蘭奢とはいったいどんな女性だったのか。ページをめくるたびに異なる顔をした蘭奢が浮かび、読み手を幻惑する――。そんな蠱惑的な読書体験を堪能できる快作です。

 

■朝井さんの本棚から

 

おすすめの1冊

『新訳 チェーホフ短篇集』
アントン・チェーホフ 著
沼野充義 訳
集英社

 

「チェーホフの短編13本をロシア文学研究者であり名エッセイストの沼野充義氏が豊かな言葉を駆使して新しく訳した珠玉の作品集。チェーホフの改訂版で、沼野さんの解説もすごく面白く、いつも寝る前に1つ読んでいます。」

 

PROFILE
あさい・まかて◎’59年大阪府生まれ。’08年小説現代長編新人賞奨励賞を受賞してデビュー。’13年に発表した『恋歌』で第3回本屋が選ぶ時代小説大賞と’14年に第150回直木賞、同年『阿蘭陀西鶴』で第31回織田作之助賞、’16年『眩』で第22回中山義秀文学賞、’17年『福袋』で第11回舟橋聖一文学賞、’18年『雲上雲下』で第13回中央公論文芸賞、『悪玉伝』で第22回司馬遼太郎賞と大阪文化賞(個人に贈呈)を受賞。

聞き手/品川裕香
しながわ・ゆか◎フリー編集者・教育ジャーナリスト。’03年より『女性自身』の書評欄担当。著書は「若い人に贈る読書のすすめ2014」(読書推進運動協議会)の一冊に選ばれた『「働く」ために必要なこと』(筑摩書房)ほか多数。

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