「山奥ニート」のリアル#10  怪我や災害を不安に思う人へ
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ryomiyagi

2020/06/30

 

和歌山県の限界集落で集団生活を営む「山奥ニート」。
集落のお爺さんやお婆さんのお手伝いなどをしてお小遣いを稼ぎ、なるべく働かずに生きていくことを実現した彼らの暮らしを、『「山奥ニート」やってます。』(石井あらた著・光文社)から全12回にわたって紹介します。

 

僕らが住んでいる地域、紀伊半島はちょうど台風の通り道になる。

 

今年も大きな台風が何度か来た。

 

僕はちょうどそのとき、旅に出ていて山奥にはいなかったんだけど、聞くところによると大きな被害を受けたらしい。

 

この山奥と町を繋ぐ道は2本ある。その片方は激しい風によって倒木で塞がれ、もう片方は道路の下の土が根こそぎ流れてアスファルトが宙に浮いている状態になった。

 

倒木が取り除かれるまでの4日間、ここは陸の孤島と化した。

 

交通だけでなく、電気も水道も止まった。

 

「それってめちゃくちゃ大変だったんじゃないの」と聞いたら、みんなは「大変だったけど楽しかった」と答えた。

 

お風呂や洗濯ができないから、川に入って水遊びしながら服を洗ったらしい。

 

電気がなくてテレビもゲームもできないから、電源が要らないボードゲームでずっと遊んでいたそうだ。

 

10人以上の人数で集まっていると、災害もイベントのひとつになってしまうのかもしれない。

 

僕自身、これだけの人数がいれば、だいたいのことはなんとかなる気がしている。

 

ここに住んできた人は、昔からなんとかしてきたのだ。

 

都会が災害の被害を受けたときの報道を見ていると、帰宅難民が出たり、商品の買い占めがあったりとかえって山奥より大変そうに見える。

 

洗濯物を手で洗ったり、焚き火をおこして料理したりといったことは、本来当たり前のことなんだ。でも、文明のおかげで普段やらずに済んでいるだけ。

 

山奥に住んでいると、いつもは楽してるんだし、少しくらいの間は仕方ないか、と自然と思える。ずっとは嫌だけどね。

 

だって、自然にはどうしたって敵わないと思うから。

 

僕らの家の裏山は、誰も手入れをしていない細い杉が立ち並んでいる。

 

大雨や地震によって土砂が崩れたら、僕らの家はまるごと埋もれてしまうだろう。

 

でも、なんかもう、それはしょうがないことだと思っている。

 

生きてりゃ死ぬこともあるだろうし、世の中死ぬ原因なんて無数にある。

 

ひとつ危険なことに対策したら、次に危険なことが気になるようになる。

 

生き物って心配するようにできている。

 

というか、心配できる生き物だけが生き残ってきた。

 

だけどその本能って、現代社会で生きるのに邪魔なこともあるんじゃないかな。

 

今の発展した文明の中では、死の危険性は野生よりずっと少なくなった。

 

だけど、僕らの脳は野生のときと同じように、危険がないか常に気を張っている。

 

そのせいでストレスを溜めているところもあるんじゃないか。

 

知らぬが仏。

 

少しくらい抜けてるほうがこの世の中では生きやすい。

 

それに、どうせいつかはみんな死ぬ。

 

がんで死ぬか、交通事故で死ぬか。みなさんは何で死にたいですか。

 

僕は災害で死ぬのはけっこう悪くない死に方なんじゃないかと思ってる。

 

自然は思い通りにならないもので、それが当たり前。

 

天の思し召しで死ぬなら、死ぬ瞬間に「まぁ、しょうがないか」と諦めがつく気がするからだ。

 

実際のところは死んだ人に聞くしかないから、わからないけど。本当はすごく後悔しつつ死ぬのかもしれない。

 

だけど僕は、いろんな保険をかけて長生きするよりも、若くして死んでも悔いが残らないようにやりたいことをやる生き方をしたい。

 

 

災害は起こる確率が少ないのもあって切り捨てているけど、怪我や病気はもっと頻繁に起きる。

 

ここに住んでいて、住人が重い怪我や病気になったことが今までで3回ある。

 

家に帰る途中バイクで転んで骨折した人、獲った魚や山菜の天ぷらばかり食べていたらひどくお腹を壊して入院した人、謎の虫に足を刺されて水ぶくれが野球ボールくらいに膨れて救急車を呼んだ人。

 

どれもみんなで協力して車で病院まで送ったり、服を持っていったりしてなんとかなった。

 

診療所は車で30分行ったところにある。診療時間は限られているけど、通院が必要な人も自分で足を確保できれば問題なさそうだ。

 

そもそも周りに住んでいるのは高齢者ばかり。僕らよりずっと病院を利用する。

 

その人たちがここに住めている以上、ちょっとやそっとの病気や怪我ならこの暮らしは続けられるはずだと思う。

 

だいたい、病気のほとんどの原因は仕事なんじゃないかと思う。

 

山奥に住み始めてすぐのこと。梅農家さんに梅拾いの手伝いを頼まれた。

 

収入のところで話した梅農家さんは青梅を出荷していたけど、ここでは熟して地面に落ちた梅を拾って、その日のうちに梅干しとして漬ける。

 

重いコンテナを持ち上げる必要があって、かなりの重労働だった。

 

なんとか最終日の手伝いが終わった次の日、朝起きると腰に激痛が走った。起き上がろうとしても無理。痛い痛い痛い。

 

ゆっくり這って車に乗って、他の山奥ニートに病院まで送ってもらった。

 

お医者さんからは「そのお仕事はこれからもありますか?」と聞かれた。

 

もう終わったので行きません、と答えると「それなら安静にしていれば大丈夫です」と言われて薬も出してもらえなかった。

 

もしあのとき、次の日も仕事だったら痛み止めを飲みつつ、また重いものを運ばなきゃいけなかったんだろう。

 

だいたいの怪我や病気は仕事で無理しなけりゃ治る。

 

ストレスだって万病の元だ。

 

原因が心因だってはっきり証明することはできないけど、大きなストレスにさらされ続けると免疫力が低下するのは周知の事実。

 

仕事に追われて、病院に行く暇すらない生活をしているより、お金はなくとも時間がたくさんあってのんびりしてるニートのほうが絶対に健康的だと思う。

 

山奥でニートしてるって人に言うと、みんな僕が将来病気になったときのことを心配する。だけど、働くことで病気になるリスクを増やして、病気に備えるのは本末転倒なんじゃないだろうか。

 

田舎に住んでいる高齢者は認知症になりにくいという。

 

自分が日々生活するために手と頭を動かさなきゃいけないからだ。

 

だけど、街にいる子どもの家に引っ越したとたん、認知症になる。

 

街にいると自分の役割がなくて、人の役に立つどころか迷惑をかけているのではないかと感じてしまうそうだ。

 

このあたりの爺さん婆さんはみんな元気で格好いい。簡単に人を頼ったりしない。自分ひとりで大概のことをやってしまう。

 

僕もあんな風になれたらいいな、と思う。

 

これから先の50年、何があるかなんて誰にもわからない。

 

年金制度が破綻するかもしれないし、円が暴落するかもしれない。

 

一番いい備えは、怪我や病気をしたときのために貯金することじゃなく、自分ができることを増やしていくことなんじゃないだろうか。

 

ここに住んでいると、どうもそう思えてならない。

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「山奥ニート」やってます。

「山奥ニート」やってます。

石井 あらた

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