患者の視点で死を受け入れる物語を描く|藤岡陽子さん最新刊『きのうのオレンジ』
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現役看護師でもある藤岡陽子さんは生命と対峙する作品を多数発表しています。新作は久しぶりに患者側の視点で書いた長編小説。「“人と人がつながる”ということは記憶を共有すること」と藤岡さん。死を受容しつつ希望を持って生きる姿を抑えた筆致で描く、落涙必至の感動作です。

 

“誰の中にも記憶を共有する人がいる”とこの作品を通して言いたかったんです

 

きのうのオレンジ
集英社

 

「これまで医療従事者側の視点で書くことが多かったのですが、今回は患者側の視点で、がんが発覚してからの心理、つまりショックを受け、恐怖に襲われ、怒り、悲しみを経て受け入れる過程を、時間の流れを追いながら書いていきたいと思ったのが出発点です」

 

 現役の脳外科看護師という藤岡陽子さんは、新作『きのうのオレンジ』について、そう語ります。

 

「死を受け入れていく過程を横軸とすれば、縦軸には“共有の記憶”というものを書きたいと考えました。“ある日、あのときの出来事がのちの人生において意味を持つ”ということは誰にでもあると思います。どの家族にも共有ファイルがあり、その中に家族としての記憶が保存されている、みたいな感じでしょうか」

 

 物語は、東京で多忙な日々を送る33歳の笹本遼賀が、大学病院で受けた胃カメラの検査結果を聞くシーンから始まります。結果は悪性腫瘍。手術日も決まり、いったん家に戻った遼賀は「なぜ、自分が……」と恐怖におののき、へたり込んでしまいます。そのとき、郷里の岡山で体育教師をしている双子の弟・恭平から荷物が届きます。中には、15歳のころ、登山好きの父に連れられて登った冬山で遭難した際に履いていたオレンジ色の登山靴が入っていました。その靴を見て、遼賀は、あの日、自分は生きるために吹雪の中を進んでいったと思い出し……。

 

 書き始めた当初は病気が治る方向にしたかった、と藤岡さんは続けます。

 

「人間はどういうきっかけで死を受け入れていくのか。そこをずっと考えていました。私は看護師ではありますが、脳外科なので若いがん患者さんと関わることがありません。それで、そういう患者さんと関わる20代、30代の看護師の方々をずいぶん取材しました」

 

 取材や日ごろの経験から、藤岡さんは、一つの仮説を立てます。

 

「年齢に関係なく、自分の生きてきた生を肯定でき、自分自身の人生に納得したときに死にゆく準備もできてくるのではないか、と。そう考えたとき、主人公は平凡な人生を歩んできた、ごく普通の善良な青年にしようと思いました。特に目立つわけでもない、自己評価が高すぎるわけでも低すぎるわけでもない、そんなリアルな青年が死を受け入れていく過程を描きたかった。結局、命の長さではなく、生き抜いたモノがあるかどうかではないかと思いまして……」

 

 ところが、本が完成する前に、世界中で新型コロナウイルスが蔓延し始め、社会は急激な勢いで変わっていきました。

 

「こういう時期だからこそ、多くの人の中でいつにも増して孤独感が強くなっているのではないでしょうか。だからこそ“誰の中にも記憶を共有している人がいる”と作品を通して言いたかった。辛つらいとき、寂しいとき、孤独なときこそ、亡くなっていった人の言葉や過去に自分を信じてくれた人の言葉などが自分を支えてくれます」

 

 作品に込めたメッセージを熱く語る藤岡さんですが、脳外科の看護師を辞めるつもりはないときっぱり。

 

「脳外科は日本社会の最前線。現場に出ることでわかること、気づかされることがたくさんありますから。私は与えられた生を生き抜くことが人間の使命だと思っていますが、死はいつ誰にでも起こりうることです。1日だけのつながりだとしても、そこで共有される記憶を手放さず持って生きていきたい。その積み重ねが大事だと思うのです」

 

 死を受け入れる物語ですが大仰な悲壮感もお涙頂戴もありません。人間への強い信頼と深い情愛がリアルに描かれた濃密な逸品です。

 

藤岡さんの本棚から

 

おすすめの1冊

灯台からの響き』集英社
宮本 輝/著

 

「父の代から続く中華そば店を経営する康平が、亡くなった妻宛てに来ていた手紙をきっかけに旅に出ます。市井の人々の姿を通じて、人生の尊さを訴える傑作。“テルニスト”としてこの本をおすすめしないわけにはいきません!」

 

PROFILE
ふじおか・ようこ◎’71年京都府生まれ。’06年「結い言」が、宮本輝氏選考の北日本文学賞の選奨を受ける。’09年『いつまでも白い羽根』でデビュー。著書に『手のひらの音符』『晴れたらいいね』『おしょりん』『満天のゴール』『跳べ、暁!』など。

 

聞き手/品川裕香
しながわ・ゆか◎フリー編集者・教育ジャーナリスト。’03年より『女性自身』の書評欄担当。著書は「若い人に贈る読書のすすめ2014」(読書推進運動協議会)の一冊に選ばれた『「働く」ために必要なこと』(筑摩書房)ほか多数。

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