本堂は絶壁の上!?「修行の島」の表情豊かな霊場たち 『内澤旬子の島へんろの記』
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2021/01/27

 

「宝石がぎっしり詰まったような島」。エッセイストやイラストレーターとして活動する内澤旬子さんは、瀬戸内海に浮かぶ小豆島をこう表現します。そんな絶景の地として一般にも知られる小豆島ですが、実は四国八十八ヶ所とは異なる八十八の霊場がある霊兼あらたかな場所でもあるのです。『内澤旬子の島へんろの記』(光文社)では、2016年に小豆島へと移り住んだ著者の内澤さんが、道に、人生に迷いながら歩いた小豆島八十八ヶ所の遍路の軌跡が記されています。今回は古くから「修行の島」として知られる小豆島の多彩な霊場を紹介します。

 

「まさに修行!」の山岳寺院

 

“小豆島の遍路道は、島の絶景を数珠つなぎにしたようなものだ。歩いていて退屈な景色はほとんどないと言っていいくらい、変化に富んだ景色を楽しむことができる。”

 

そう内澤旬子さんが語るように、自然豊かな美しい景色を楽しむことが出来るのが小豆島遍路の魅力の一つ。けれども、小豆島遍路には美しいだけではない一面もあるのです。
それが「山岳寺院」。山岳寺院とは、山谷や洞窟の地形を利用した霊場のこと。小豆島八十八ヶ所には14の山岳寺院があります。そのうちの一つ、第七十二番札所「奥の院 笠ヶ瀧」を訪ねた際の内澤さんの様子がこちら。

 

“しかしお寺の中を少し進んだところで、気が付いた。自分が来た道がお寺の裏口みたいなものであり、本堂かと思ったのは単なる休憩室。本堂はこれからまだ先で、ほぼ絶壁みたいな岩に鉄の手すりを打ち込んだところを登攀しなければ、辿り着かないのだ。岩壁の上に、お堂のようなものがちらりと見える。うわ―ーーあああ。これだったのか……。”

 

“鎖や手すりづたいに上る岩壁の距離というか面積が、頭抜けて大きいからだろうか。一応ほぼ規則的に足の届くところに段がついているので、階段と呼んでもいいのだが、限りなく絶壁に近い。そしてそこを登らなければ辿り着けないという立地もなかなか……。まさに修行!という感じなのだった。” 

 

小豆島霊場にはこうした山岳寺院がいくつもある。

 

笠ヶ瀧は、ゴツゴツとした岩肌露な山中にぽつんとたたずんであります。そしてその本堂に辿り着くには、絶壁のような参道をゆくのみ……小豆島遍路にはこのように、古くより仏教修行の地であった小豆島らしい、険しさを持った霊場もあるのです。

 

ここは日本?絶壁の先に見る別世界

 

そうした険しい自然の中にたたずむ山岳寺院の荘厳さに、内澤さんは日常世界とは全く別の雰囲気を感じ取っていました。

 

そしてふと、かつてエチオピア旅行で訪れたデブレ・ダモ修道院のことを思い出します。この修道院は急峻な岩山の頂上に建てられており、笠ヶ瀧と同様に絶壁をよじ登ることでしか辿り着けない秘境の聖地です。動物すらもオスしか入ることを許されない厳格な女人禁制の修道院であるため、女性たちは死後、修道院墓地に埋葬されるときになってようやくその聖地に入ることが出来るのだそう。
「死んだら上に行ける」。内澤さんの脳裏に、ウットリとした表情でそう教えてくれた山のふもとに住む修道女の顔が浮かび、内澤さんは次のようなことを考えます。

 

“笠ヶ瀧の絶壁の岩場をよじ登る時に、その先に、ふと気楽に天井界を思ってしまう。奇妙なことだ。信仰から距離を置き、神頼みも占いすらも否定して、ほぼ封印してきたはずなのに。登りつめた先に別世界があるのかもと思えてしまうのは、無意識に埋め込まれた感覚なのだろうか。”

 

宗教的なモノを遠ざけて生きてきた内澤さんですら、絶壁を登った上には何か別世界があるのではないかと感じさせてしまう、山岳寺院にはそんな不思議な引力がありました。

 

ここはエチオピア?トルコ?と錯覚するほどの岩窟っぷり。

 

暮らしの中の祈りの場

 

こうした非日常的な雰囲気を持つ霊場がある一方で、それとは対照的な「堂庵」も数多くあります。堂庵は、集落の中にちんまりと立っている「○○庵」などと名付けられたお堂で、お寺ではないものの、仏さまが安置された参拝の場です。小豆島内には50ヶ所ほどありますが、「こんな小さな無人のお堂が札所なんだ」と思ってしまうほど、さりげなくあるのだそう。

 

「堂庵」はお寺ではないが仏様が安置され、地域としての役割を担うことが多い。「堂」と「庵」の違いは明確ではなく、規模もさまざま。

 

“お寺や山の霊場は、かしこまった、少し威圧的な空気すら感じられる場所であるが、堂庵は違う。長い年月そこに住む人々の暮らしの中に根付く、祈りの場という感じだ。”

 

こう内澤さんが言うように、堂庵は家々に囲まれた立地にあることが多く、日常に溶け込んだ場所としてあるようです。あるところでは隣にある民家とあまりに密接しているために、隣家の台所仕事の音を耳にしながら参拝する、なんていうことも。

 

また、生活に密着した堂庵は周辺住民の憩いの場にもなっています。内澤さんが堀越集落の中にある第五番札所「堀越庵」を訪れた際には、お堂の中で住民の集会が行われていました。

 

“路地を歩いて堀越庵に着くと、なにやら人の気配がする。なんと、本堂の中にぎっしりと人が座っているではないか。遍路ではなく、集落の住人の方々と思われる。” 

 

住人の方々に囲まれ緊張しながらも本堂で巡拝を済ませた内澤さんは、一人の女性から「これ、お接待」と、手作りのいちご大福を手渡されます。

 

“うわー、今まで回ってきてこんな手作りのお接待なんてはじめてだ。とても嬉しい。庵を出ようとしたら、「今月の誕生日は誰々さんと誰々さんです……では……」と、ピアノの演奏はじまり、ハッピーバースデートゥーユーと歌声が重なった。あの小さな庵のなかにピアノがあるとは。幸せな気持ちになりつつ、庵のすぐ上にあった社の東屋でいちご大福をいただいた。生地も餡も苺も、素晴らしくおいしかった。” 

 

厳しい修行の場としての山岳寺院、そして暖かい地域交流に出会える堂庵。2年にわたり八十八の霊場を回った内澤さんは、小豆島遍路は歩いていて退屈することがないと言います。
その理由は、異なる表情を持った霊場を併せ持つ「修行の島」が、それぞれの魅力によって遍路者の心を動かし続けことにあるのかもしれません。
『内澤旬子の島へんろの記』で語られる、行く先々の霊場での印象深い思索や出来事は、そんな風に小豆島遍路の奥深い魅力を教えてくれます。

 

文/藤沢緑彩
イラスト/大林慈空

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