500ものスタートアップに関わった渋沢栄一のビジネスの原点とは?
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ryomiyagi

2021/03/17

 

「日本経済の父」と呼ばれ、その功績から1万円札の次の顔に内定している渋沢栄一。2021年度大河ドラマの主役にも選ばれたことで今、その生涯に注目が集まっている。幕末から近代化へ向かう目まぐるしい時代を生き抜いた男の根幹にあった思想とはいかなるものか?『渋沢栄一に学ぶ大転換期の乗り越え方』(光文社新書)は、彼の残した名著「論語と算盤」と論語そのものを題材に、現代の生き方やビジネスのあり方を考える。

 

家業でビジネス感覚を身に着けた

 

実業家として近代日本を作った渋沢栄一を語る上で、欠かせない要素がある。
それは、渋沢の生家が農業を営むかたわら「藍玉作り」をしていた点だ。藍玉は、藍染めをする際に使われる染料だ。
藍玉は乾燥させた藍の葉を原料とし、それを酒造りのように丁寧に発酵させていく。発酵が進んだらそこにふとんをかけ温度を調整しつつさらにじっくり寝かせる。最後にそれらの工程を経た葉を臼でついて練り上げたものを丸く玉にまとめる。非常に手間がかかる商品であり、それを使った藍染めの糸は高級品だ。渋沢家は藍葉を仕入れ、藍玉の製造販売を手掛ける裕福な農家だった。
渋沢は13歳の頃よりその家業を手伝ってきた。

 

この経験こそが、後に「日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一のビジネス感覚の基礎を育んでいきます。
そもそも藍玉は投機商品です。投機の基本は「安く買って、高く売る」。
藍葉を買い入れるときは「品質がいいもの」を見る目が必要ですし、世の中の相場を知り、安いときに買い集めるセンスや判断力が求められます。といって「安く、買い叩けばいい」わけではなく、仕入れ先との信頼関係も築いていかなければなりません。

 

本書の著者・田口佳史氏はこのように話す。藍玉は丁寧に手間をかけて作っていく職人技が必要な商品であると同時に、原価や売価を考えて作り販売するという商人的なセンスが必要なものだった。
実家が裕福で教養のある家庭であったことも、渋沢を日本経済史に残る傑出した人物にした要因としてあることは間違いないが、こうしたビジネス感覚が自然と身に着く仕事を子供の頃から経験していたことも重要な要因だったのだ。

 

16歳、転機となった身分制度への憤り

 

ほかに渋沢栄一を作った経験としては、身分制度への憤りを感じた出来事があると田口氏は言う。

 

地域の農民たちが揃って代官のところへ招集されたことがありました。本来なら父親が行くところですが、16歳の渋沢は父の代わりとして、たまたまその集まりに参加しました。そこで代官は「今度、お姫様の輿入れがあるから、御用金を申し付ける」と言い放ちます。つまり、結婚資金として追加徴税するわけです。

 

これに対して渋沢は、「普段からきちんと税を支払っているのに、そんなことでさらに徴税するのはおかしいじゃないか!」と猛烈に腹を立てた。しかし士農工商の身分制度が絶対の時代。武士に一農民が逆らうことはできず、結局は支払うことになる。

 

このできごとは、渋沢の生き方や考え方に少なからぬ影響を及ぼしました。
渋沢にとって士農工商という身分制度こそ憎むべき対象で、幕府政治に対する大きな反発心を抱くようになっていきます。

 

渋沢はその後、幕末の時代の流れの中で攘夷思想に染まり、23歳の時には外国人居留地を焼き払う計画を立てるなどして政府からにらまれるような存在となる。しかしその計画を中止した翌年には、一橋慶喜に仕える役人になっていた。

 

ここが渋沢のおもしろいところで、ただ感情に任せて騒ぎ立てるだけでなく「農民ではダメだ」「武士にならなければ、世の中は変えられない」と冷静かつ的確な思考力も持ち合わせ、必要とあらば、軽々と身分をとびこえていきます。

 

世の中を変えるという大志を胸に、攘夷思想を翻して幕臣になった渋沢。この目的のためには立場にこだわらない大胆なキャリアチェンジの発想が、後に大蔵省を辞めて実業家として活躍する渋沢の柔軟さに生きている。

 

感動癖が成長を作った

 

こうした経験に加えて、元来の感動癖も渋沢栄一という人物が「日本経済の父」へと成長するのに大いに寄与したという。
新政府の役人となった渋沢は、日本の近代化に向けて次々と新しい制度を導入していった。その改革のもととなったのが、27歳でのパリ渡航だ。徳川慶喜の弟・徳川昭武に随従してパリ万博使節団の一員としてパリに行くことになったのだ。
船でパリに行く道中、香港や上海、サイゴン、シンガポール、セイロン、アデン、マルセイユなどに寄港し、西洋流の進んだ文化や技術で発展した街を見て渋沢は驚く。

 

以前、渋沢栄一の玄孫(ひ孫のさらに子ども)にあたる渋澤健さんと対談しました。渋沢健さんは「渋沢栄一がパリ万博へ向かう途中、スエズ運河の建設工事を見たことも大きかった」と語っていました。あれだけ大規模な事業を、国家事業ではなく、民間でやってしまっている。そのことに渋沢は大いに驚いたと言います。

 

目的地のパリでも、また隣国のヨーロッパ各国を周った際にも目の当たりにする「世界の今」に驚きの連続だった。中でも、こんなエピソードがある。
渋沢たちがベルギーを訪問した時のことだ。当時のベルギー国王レオポルド2世が日本の使節団を出迎えた。国王からベルギーでどんなものを見たかと聞かれた渋沢は、製鉄所を見てきたと話す。すると「それは素晴らしい。製鉄は今後貴国にとっても欠かせないものになるでしょう。これからはますます鉄が必要な時代になるので、そのときはぜひベルギーから提供させていただきます」と、国王自らセールスをしてきたのだ。
これに渋沢は仰天する。江戸時代の常識からしたら、身分の高い一国の主が商人の真似事をするなど考えられない話だったからだ。

 

しかし、こうした経験により渋沢は、
「これからは商人の世の中が来る」
「国が商売を後押しする」
「経済を軽く見ているうちは近代国家になれない」
と開眼していくのです。

 

田口氏は、渋沢のこのようなエピソードを知れば知るほど、「感動癖」「感激癖」とでも呼ぶべき特性を見ることができると言う。

 

一つ一つの体験に感動し、感激することによって、どんどん吸収し、自らの血肉としていく。そんな吸収力も渋沢の大きな特徴と言えるでしょう。

 

変化の時代を生き抜き、近代日本を作り上げた渋沢栄一。彼が残した数々の功績は、それはあらゆる経験を自らの糧として生かす性格が基礎にあってこそ成されたものだったのかもしれない。

 

文/藤沢緑彩

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田口佳史

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