コンパニオン女性とどんちゃん騒ぎ…なぜ「消防団」は最期の『聖域』と呼ばれるのか
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BW_machida

2021/06/07

 

2021年初頭。昨年秋に発足した政権を率いる菅義偉総理は国民に向けて、迫り来るコロナ禍に目指す日本の社会像として「自助・共助・公助」を政策理念として掲げた。聞こえはいいが、国が為すべき公助の前に共助があり自助があるとする、ハンドルを握る者が掲げるべきではない極めて無責任な理念である。
自助とは個々の営みであり、共助とは共に生きることであり、公助とはそれらを支える社会基盤を指す。そして、彼ら国家の為政者が言う分かり易い「共助」の形として、消防団なる自衛組織が全国の市町村に存在する。

 

日本全国には、およそ81万8478人(2020年4月現在)の消防団員がいる。私の周囲にも、地元の消防団員として活動する友人が何人もいる。彼らは、日ごろからヘルメットや法被といった消防団員を示す装備を身近にし、通報があれば現場に駆け付ける。
まさに「共助」の担い手である。
そんな彼らこそが、日ごろは異なる仕事をしながら、近在に火事が起これば現場に駆け付けて消防のサポートをし、災害時における避難誘導や遭難救助などを担う、民間人で組織された心強い団体……のはずだ。
毎日新聞の記者である著者が、阪神・淡路大地震や熊本地震などを取材するうちに見えてきた消防団の闇の部分を、更に深く取材し一冊にまとめたのが『幽霊消防団員』(光文社新書)だ。
そこには、消防団に幾人もの友人を持つ私に軽く衝撃を与える事実が列記されていた。

 

「いろいろ調べていくと、消防団員はボランティアじゃなかったんです。そもそも報酬や手当がもらえるなんて入団時に一切説明を受けていませんし、なぜか個人の銀行口座は分団が管理しています。分団の機庫(消防団の備品などがそろう建物)の中にある冷蔵庫には焼酎やビールが常にいっぱい。旅行ではコンパニオンの女性を呼んでどんちゃん騒ぎ。もう、どうしたらいいんですかね」(中略)
悲痛な訴えだった。閉鎖的な組織風土のため、他の消防団の実情を伝えると安堵の表情を浮かべたり、声のトーンが落ち着いたりする人が多かった。取材を進めるほど、ずさんな管理体制が次々に判明した。

 

都会で暮らしていると、消防団の姿などなにかの祭礼の時でもなければ目にすることは無い。言うまでもなくそれは、余りにも人が多いことと、住民個々のつながりが地方のように濃密ではないからだろう。
隣の部屋に誰が住んでいるのかもわからない都会では、個々の人生観や価値観に触れることはある種のタブーとなっているし、世代を超えて暮らしてでも居ない限り入団のお誘いが来るようなことは無い。都会に暮らしていれば、パトカーは言うに及ばず、昼夜を問わず救急車や消防車が忙しく行き交っている。
これが地方都市ならば、ましてや郊外の町村地区なら、消防団の姿はどこにでもある。
火事が起これば、駆けつけた消防団によって初期消火は行われるし、消防車が現れて後も周辺の交通整理やなにかに消防団員の姿を見ることができる。台風が来れば、地域の河川を見回るし、遭難者が出ればそこにも出動する。
消防・警察・自衛隊など公助が活発に機能する都市部においては、消防団に対する意識はかなり希薄だ。いや、希薄なままで居られるのが都市部なのかもしれない。
しかし、そんな都市部にも消防団は存在する。そして、悲しいかな存在する以上、他の地域の消防団と同じような問題を孕んでいるらしい。

 

幽霊消防団員の常態化や報酬や手当の横領、団員へのパワーハラスメントといった問題は各地で起きていた。意外だったのは地方都市に限らず、首都圏でも同様の事例が起きていたことだ。都内では港区、中央区、大田区、多摩地区など。団の運営に疑問を持った人たちが声を上げても、他の団員から報復処置を受け、いざこざは今も続いている。団員だけに限らず、団員の家族や消防団活動に疑問を感じている地域住民、消防団員に報酬や手当を支給する業務についていた行政職員からも反響があった。

 

私のような地方出身者から見れば、田舎の消防団のように出動機会の多くない都会の消防団にも等しく報酬や手当が支給され、それらがまた同じように横領されているのだと聞くと、なんともやり切れない気持ちになってしまう。
一日も早い、制度や組織の改革こそ望まれるが、報酬や手当を支給している行政の監視の目は一体どれほど行き届いているのだろう。
本書は、そこにも一様では無い問題を提起している。

 

自治体の担当者は、幽霊消防団員の存在を認識しているからこそ、発覚することを極度に恐れている。取材では、自治体名や個別の不正事案が明るみに出るのではないかと警戒心が漂っていた。無活動の団員数はゼロ人という回答をいったんもらったにもかかわらず、幽霊団員と接触していることを東京都町田市の担当者に伝えると、数字を訂正し直す場面もあった。後ろ向きの姿勢を象徴しているようなエピソードだ。

 

本書の冒頭でも、著者がこの問題を取材しようととある自治体職員に理由を問いただすと、その職員の口から「消防団は最期の『聖域』って呼ばれているんですよ」と、衝撃的な言葉を聞かされている。
「聖域」とは神聖な土地。犯してはならない場所、手を触れてはならない分野を意味する。
では消防団とは、一体なにをもって「犯さざる場所」「アンタッチャブルな分野」なのだろうか。
警察や消防といった公的機関が整った都会とは違い、地方の農村部などでは消防団に対する期待は大きい。それは火災や地震に限らず、近年では集中豪雨や台風被害など大規模災害が頻発し、被災地に対する人的・金銭的援助の想定地をすでに超えているか、超えようとしているからに他ない。要は、毎年のように、それも各地で見舞わられる大規模災害に対して、国が賄える援助には限界が見えてきたということだろう。
そう考えると、今年初頭に菅総理が口にした「自助・共助・公助」の本音の部分が聞こえてくるようだ。要は、公的援助を頼る前に国民個々が奮闘努力し、そこに限界があれば地域社会で助け合ってください。出来る限り、国はあてにしないでくださいという意味に他ない。

 

よってそこには、相も変わらず準備すべき消防団員数という数値目標だけを掲げた政策があり、そんな政府に上げるに相応しい数値のみを期待する行政の姿勢が透けて見える。
だからこそ、そんな数字を下支えする幽霊消防団員の存在や、そこに支給される報酬や手当をめぐる消防団の実態など、白日の下に晒すわけにはいかないのだろう。
と、本書を読めば読むほど、消防団やそれにまつわる行政に強い憤りを感じる。

 

しかしそんな私にも、消防団で活動する友人は少なからず居る。そして私が思う限り、彼らは妻も子もある模範的な一市民だ。酒を飲めば愉快に笑うし、誰かに不幸があれば涙を流す。そして、いったん出動となれば、可能な限りの活動をするに違いない。
果たして、そんな彼らが罪人なのだろうか。一市民レベルには関係ないと思いがちな、不正や公金横領がすぐそばにあることに気づかされた。
『幽霊消防団員』(光文社新書)は、そんな一市民の私にも厳しい問題提起を投げかけてくる恐るべき一冊だった。

 

文/森健次

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