たけしとさんまが作った“型”!「お笑い第二世代」がテレビ界で生き残り続けられる理由
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ryomiyagi

2021/07/05

第七世代芸人は、お笑い界に新しいムーブメントを生んだ。バラエティ番組でその姿を見ない日はないほどの人気だが、その勢いにも負けずお笑い界のメインストリームに君臨し続ける芸人たちがいる。お笑い第二世代に属し、40年以上テレビで活躍しているビートたけし、明石家さんまだ。彼らがいまだに第一線で活躍し続けられる理由とは何なのか? 『お笑い世代論』(光文社新書)
を上梓したお笑い評論家・ラリー遠田氏の世代分析を読み解くと、その理由の一端が垣間見えた。

 

 

第一世代が作り、第二世代が受け継いだ「テレビ芸」

 

劇場に、イベント会場、今の時代ならYouTube。お笑い芸人の活動の場はいくつかあるが、それでも主戦場はテレビだろう。そのテレビでの芸の基礎を作ったのは、いかりや長介、萩本欽一ら第一世代だ。

 

第一世代以降、芸人が「売れる」とは「テレビにたくさん出る」ということを意味するようになった。戦後の芸人の歴史を振り返るうえでは、彼らがテレビとどう関わってきたか、ということを考えざるを得ない。
第一世代と呼ばれる芸人たちは、テレビという新しいメディアに適応することで、一時代を築いた。

 

日本メーカーから初めてのテレビが発売されたのが1953年。同年に地上波放送が始まって以降、「三種の神器」の一つとしてテレビは一般家庭にどんどん普及した。いかりや長介、萩本欽一といった第一世代が活動を始めたのはちょうどそうした時期。

 

彼らは、舞台で見せる芸とは違うテレビ向けの「テレビ芸」を発見し、それを極めたことで時代の寵児となった。

 

いかりや長介は、同じネタを繰り返し使うことが一般的だった舞台のお笑いから脱し、飽きっぽい視聴者に向けて新しいネタを次々に提供するテレビのお笑いを身に付けた。萩本欽一は、ときにテレビから見切れるほどの奔放なアドリブで舞台上を駆け回り、観客に絡む「素人いじり」芸を生み出した。こうした今のお笑いに通じるような「テレビ芸」を発展させたのが、次の世代のビートたけし、明石家さんまである。

 

バラエティの「型」は第二世代がつくった

 

1947年生まれのビートたけしと1955年生まれのさんまは、1947年~1951年生まれを含む「団塊世代」と1952年~1960年生まれの「シラケ世代」にまたがった世代。ラリー氏によると、団塊世代とシラケ世代の特徴は、新しい価値観の中で生きた世代だということ。どちらも戦後の生まれであり、高度経済成長期の変容していく時代の中で青春時代を過ごした。

 

そんな中で、第二世代のたけしとさんまは独自の芸風を打ち出した。
たけしは過激な毒舌と、キレのいい江戸っ子口調を漫才に取り入れた。「言ってはいけない」とされるルールをあえて踏み越えることも、「僕」「君」といった上品な言葉遣いが一般的だった東京の漫才で「テメェ、この野郎」「冗談じゃねぇよ、バカ野郎」などと言うことも、まったく斬新なことだった。また、伝説的なお笑い番組『オレたちひょうきん族』ではコントを演じると同時に番組の企画にも携わりヒット番組を支えた。

 

さんまは、その『ひょうきん族』でトーク力を生かして活躍を見せた。持ち前の瞬発力を駆使したアドリブは会場を大いに盛り上げた。第一世代の作りあげたコント番組『8時だョ!全員集合』がきっちりと組み立てられた笑いであるのに対し、『ひょうきん族』はその場のノリや勢い重視。ディレクターの言われたとおりに演じるのではなく、独自の個性を持った芸人が積極的に番組作りに参与して作り上げていたのだ。

 

『ひょうきん族』は、演者とディレクターが対等の関係で作られた初めての番組だった。
その後、視聴率を取れる人気と実力を備えたタレントの発言力はますます強くなり、タレント主導で作られる番組が増えていった。たけしやさんまはそのような番組作りの先駆者となった。

 

目新しさやアドリブを重視するテレビ芸の流れを汲む中から生まれた『ひょうきん族』。
ラリー氏は、このように今のバラエティの「型」になるようなものを作った世代こそが第二世代だという。

 

「型」と共に生き残る第二世代

 

そうした第二世代のお笑いは、圧倒的母数を誇る団塊世代によって受け入れられた。たけしやさんまと同世代の団塊世代たちは、物心ついたころからテレビを見る習慣がある。視聴者の中での割合が高い世代でもある彼らは、たけしやさんまを同世代のヒーローとして見守るようなところがあったとラリー氏は指摘する。

 

しかし、第二世代の根強い人気の理由はそれだけではない。ラリー氏は、さんまやたけしが第一世代の「テレビ芸」をもとに発展させて築いたバラエティの「型」にも、その理由があると話す。

 

さらに、彼らは80年代の漫才ブームや、そこから始まったフジテレビバラエティの黄金時代を経て、テレビというメディアに最適化されたテレビ芸を確立した。(中略)
彼らが作ったバラエティの「型」は、その後も形を変えて、世代を超えて、ずっと生き続けている。
だから、彼ら自身も、そうした型と共に生き残っているのだ。

 

『ひょうきん族』の後に作られた『風雲!たけし城』(TBS)や、『ビートたけしのスポーツ大将』(テレビ朝日)は、たけしのアイデアがもとで実現した番組だ。『天才・たけしの元気が出るテレビ』(日本テレビ)でも、「早朝バズーカ」「失恋傷心バスツアー」などたけしの奇想天外な発想を生かした企画が発信された。
一方のさんまも、『恋のから騒ぎ』(日本テレビ)でアドリブ満載の素人いじりを見せ「ひな壇トークバラエティ」の先駆けを作った。『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ)でもタレント相手に自由自在なトークで笑いを引き出し、放送開始から瞬く間にお茶の間の人気を集めた。

 

それぞれ独自の才能を生かし新しいお笑い番組を世に出してきた第二世代。テレビに適応した芸を受け継ぎバラエティの「型」を形成した彼らが、今も生き残っていることは必然なのかもしれない。

 

文/藤沢緑彩

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お笑い世代論ドリフから霜降り明星まで

ラリー遠田

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