ディズニーの生涯の野心とは?20世紀を代表する天才エンターテイナーの知られざる共通点。
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ryomiyagi

2021/07/09

 

チョビ髭に山高帽の装いで世界中を笑いと涙の渦に巻き込んだ喜劇王、チャールズ・チャップリン。愛くるしいキャラクターで子どもたちに夢と喜びを与えたアニメーションの帝王、ウォルト・ディズニー。普段は映画やアニメーションを見ない人だって、彼らのことなら知っている。その理由は冒頭で語られる。二人が世に登場してから100年あまり、ともに唯一無二の天才にして、他とは比べることができない存在だからだ。

 

チャールズ・スペンサー・チャップリンは1889年にイギリスのロンドン南部で大英帝国の娯楽ミュージック・ホールの芸人夫婦のあいだに生まれた。チャップリンの故郷であるロンドン南部のランべス地区は大衆娯楽の中心地で、5歳になるまでに子どもの3分の1が命を落とす最貧困地区だ。時には路上で寝ることもあった極貧生活のなか、突然声が出なくなった母に代わり、チャップリン自身も5歳で初舞台を踏むことになる。以降はご存知の通りだ。19世紀、世界を支配した大英帝国ロンドンできらびやかな舞台の世界から都市の絶望的な格差社会までを幼少期に体験したことで、チャップリンは人間と社会を冷徹に観察する力を身につけたのではと著者は述べる。

 

チャップリンが生まれて12年後、ウォルト・ディズニーはまだ新興都市だったシカゴに生まれた。アイルランド移民で大工の父親の仕事が上手くいかなかったことをきっかけに、一家はミズーリ州のマーセリーンに引っ越すことになる。父親が3000ドルで購入した農園にはさまざまな果物が実り、キツネやリスが走り回っていた。山や川の冒険にディズニーはすっかり夢中になったようだ。父親が農業経営に失敗すると、一家はカンザスシティへ移住し新聞配達がディズニーの仕事になった。

 

べつの土地でべつの人生を送ってきた二人には、いくつかの共通点がある。たとえば、チャップリンとディズニーにはどちらも兄がいて、どちらの兄も有能なビジネスマンとなってクリエイターの弟を支えたこと。そして20世紀のエンターテインメントを代表する天才たちは、日常の困難をユーモアに変えてしまう力を持っていたことだ。

 

「チャップリンは、母が新聞販売店のウィンドウで見かけて書きとめた喜劇の一部『プリシラ嬢の猫』の朗読を、学校の友達に披露していたところ、先生が感心してみんなの前で演じるように勧め、翌日すべての教室をまわって全校が爆笑に包まれた。
同じようにディズニーは、5年生(12歳)の時に、ボール紙のシルクハットと父親の燕尾服をまとい、顎髭をつけて、『人民の人民による人民のための政治』で有名なリンカーン大統領のゲティスバーグの演説を暗唱すると、それを気に入った校長に連れられて他の教室でも披露して喝采を浴びた。」

 

かつて俳優を真剣に目指していたディズニーは、チャップリンに心底憧れていたようだ。地元の劇場で開催されたチャップリンのそっくりさんコンテストに友人と出場して賞金も獲得している。しかし同時に彼は、自分たちの受けた喝采が芸に対して向けられたものではなく「子どもだった2人をみんなが面白がったからだ」と理解していた。プロデューサーとして成功するための素質がすでに備わっていたのだろう。やがてディズニーは、俳優の次に好きだった絵を描くことにのめり込んでいく。

 

だから、ディズニーが一匹のネズミに長年憧れてきたヒーローを投影したのは自然のことだったのかもしれない。チャーリー帽子は黒い耳に、ぶかぶかの大きなズボンは丸くて大きなお尻のズボンに。そして、あの特徴的なドタ靴や立ち方まで、彼らはとてもよく似ている。それもそのはず、ディズニーの妹のルースが証言しているようにディズニーの生涯の野心とは「もう一人のチャップリンになること」だったのだから。

馬場紀衣(ばばいおり)

馬場紀衣(ばばいおり)

文筆家。ライター。東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。
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ディズニーとチャップリン

ディズニーとチャップリンエンタメビジネスを生んだ巨人

大野裕之

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