『それぞれの風の物語 喫茶テンノットより』著者新刊エッセイ 中場利一
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2022/03/10

風のやむ場所

 

浜地区と呼ばれる場所で生まれ、育った。
今はもう少し高台に居を移したが、それでもしょっちゅう、その独特の風が吹く場所へと顔を出している。ガキの頃からの友達が居て、ずっと通ってた店があり、知り合いや年長者が息づいているからだ。

 

他とは明らかに違う風が吹いている。
たとえば防波堤に腰を下ろし、足をプラプラとさせていると頬を撫でるような心地いい風が吹く。それを10ノットの風と呼ぶ。浜地区にはいつも10ノットの風が吹いている。
近くに漁港があり、風に乗ってセリの声が聞こえたり、漁船のエンジン音も聞こえる。古いアパートはあるがマンションなんてものはない。細い路地を抜けるとコールタールを塗った壁が現れ、傾いた家を木で支える道に出て、そこを左に曲がると猫の額ほどの運動場を持つ小学校が見えてくる。

 

あまり遠くへ行ったことのない大人が朝からブラブラと歩き、大声で話し合っている。洗濯物は道へとはみ出た物干しに干し、見かけない奴が立っていると「オマエだれや……」と、五分もしないうちに近所の男どもがやって来る。みんな顔見知り、すべての住人がすべての住人を知っている。あの人は漁師、あいつは船大工、あの子はあいつの息子、あの人はヤクザ、彼はめずらしくサラリーマン、あの娘は白タクをやってる奴の娘。老若男女すべて知った仲だ。浜地区同士で結婚をすると、新郎の父親なんか新婦の赤ちゃんの頃を知ってたりするし、新婦も義父になる人を年中見かけて親しく話してたりするから「ヨシヒコちゃん」と普段道で会った時のように呼んでしまう。

 

いつも10ノットの風が吹いている。
しかし人それぞれ、違う風も持ち合わせている。そんな風がふと、やむ瞬間がある。小さな町の小さな喫茶店に集まる風、人、物語。ずっと前から書きたかった。

 

『それぞれの風の物語 喫茶テンノットより』
中場利一/著

 

【あらすじ】
心地よい風の吹く、大阪南部の海辺の町。妻子に逃げられた男が元カノに拾われた先は「喫茶テンノット」。兄を亡くしたイカナゴ漁師、離婚して娘と別れた友など、町には義理や人情が渦巻いているー。元祖・ヤンチャ作家の描く感動作。

 

中場利一(なかば・りいち)
1959年、大阪府岸和田市生まれ。’94年『岸和田少年愚連隊』でデビュー。「岸和田」シリーズの他に『離婚男子』『カオルちゃーん!! 岸和田少年愚連隊 不死鳥篇』などがある。映像化作品も多数。

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