物理学の旅…それは、2000年の長きに渡る超絶ダンジョン|冨島佑允『物理学の野望』
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ryomiyagi

2022/06/09

パソコンが登場して、およそ30年。当初は中古車が余裕で買えるほど高価な代物だったが、今ではほんの数万円出せば、当初のものを圧倒的に凌駕するハイスペックな機材が揃う。一家に一台はおろか、ゲームや仕事や映像編集にと、複数台を使い分ける個人ユーザーも珍しくない時代となった。かくも目覚ましい進化と普及を遂げたパソコンだが、人類の営みに対する貢献度は、活版印刷や火薬の登場にも引けを取らない。

 

そこに違いを見出すならば、人の世に登場した多くのツールが、使用されるに伴い改造・改革を繰り返し、時を経て進化したのとは違い、パソコンの進化には、技術以前に学術理論の前進が求められる。そんな中、2019年11月、日本が開発するスーパーコンピューター「富岳」が、4期連続の世界一を記録した。その演算能力は、1秒間に44京2010兆回の計算ができるという、想像を絶する凄まじさだ。
いずれにしろ、これほどの演算能力を獲得してもなお、世界各国の研究機関はさらに高い能力をと日夜しのぎを削っている。それにしても、どうして人類は、それほど高い計算力を必要とするのだろう。私のようなただの生活者にとって、京の位の計算など、その生涯で必要となる機会などあり得ない。しかし、それを地球人類という規模で考えるとき、それ程の計算能力を必要とする謎が、はるか昔から存在しているらしい。
そんな素朴な疑問に答えをくれたのが、先ごろ出版された『物理学の野望』(光文社新書)だ。著者は、院生の頃から、欧州原子核研究機構で研究員として、世界最大の素粒子実験プロジェクトに参加し、修了後はメガバンクのクオンツ(金融に関する数理分析の専門職)を務める冨島佑允氏だ。本書によれば、人類はアリストテレスやニュートンにより劇的な知的進化を始めて以来、数千年の時を経てもなお解き明かせない単純かつ超高難度な疑問に対する答えを探し続けているというのだ。

 

物理学が目指しているのは「万物の理論」を生み出すことです。「万物の理論」とは、全ての自然現象を説明できる究極の理論のことです。物理学においては、理論は全て数式で表現されますから、物理学が目指しているのは、世界の全てを説明する究極の数式を見つけることだとも言えます。ニュートンやアインシュタインの野望とは、まさにこれです。物理学史は、この世の全てを数式で説明してやろうという野望を持つ猛者たちが集い、苦労し、とんでもない間違いを犯し、それでも少しずつ前進していく過程です。

 

物理学による、万物を支配する理論を解明する旅は、古代ギリシャにおける、プラトンやアリストテレスに始まり、ニュートンなどによって前進し続けてきた。しかしそれは、宇宙をも解明するべく進歩し続けた理論をもってしても解明できない2つの謎が現れることにより、さらなる進化を求められることとなる。
その2つの謎とは何か。
一つは、ブラックホール。それは超重力が支配する空間であり、光をも飲み込む暗黒の天体。その存在は立証されているにもかかわらず、そこに飲み込まれた物体が果たしてどうなるのか、今もって解明することができないでいる。そしてもう一つの謎は、宇宙の起源である。果たして宇宙は、何時いかなる形で始まったのか。神なる存在が創りだしたという神話を究明する。この2つの謎に、紀元前から人類は営々と挑み続けているのだ。
そんな謎を解かんとする勇者たちの戦いは、いったいどのような形で展開していったのだろうか。

 

ニュートンまでの歴代の勇者(哲学者・科学者)たちは天を巡る戦いにあけくれていたわけですが、その戦いが一段落したことで視線は天から地へ移り、身の回りの何気ない「なぜ」に目を向け始めました。18世紀から19世紀は身の回りの「なぜ」をとことん追求することによって物理学が発展していった時代です。(中略)
身の回りの「なぜ」はたくさんありますが、物理学史を語る上では「熱」「光」「電気・磁気」の3つが重要です。これらは昔から知られていたけれども正体がよく分かっておらず、この3つを徹底的に考え抜くことで物理学が大いに進歩しました。

 

「熱」と「光」と「電気・磁気」。この3つの謎を解明することこそが、近代においての科学者たちの大命題であった。
21世紀。前述の身近な「3つの謎」はほぼほぼ解明され、それによって発展した科学技術は、私たちの生活を劇的に進化させた。スイッチ一つで闇は払われ、ボタンを押せば炊事・洗濯・掃除などの生活の雑事から解放される。そんな現代社会に暮らしつつ、18世紀や19世紀を振り返れば、そのありとあらゆる部分に信じ難い労力を要し、圧倒的な不便を想起させる。そんな労苦から現代人を解放してくれたのが、ニュートンやアリストテレスを祖とする歴代の勇者たちなのだ。彼らの飽くなき探求心と、尽きることない好奇心が、私たち人類に文明の利器をもたらし、生活を飛躍的に向上させたことは間違いない。

 

記録に残っているかぎりでは、最初に万物の理論を作ろうとしたのはアリストテレスです。しかし、彼が生み出し、その後2000年間にわたって信じられてきた理論体系は、真の意味での万物の理論からは程遠いものでした。それから多くの天才的な頭脳が果敢にチャレンジしていきましたが、今でも人類が手にしているのは、この世界の一部分を説明できる理論のみです。(中略)
つまり、宇宙の始まりやブラックホールなどの極限状況を説明するためには、全てを内包する「万物の理論」が必要なのです。そういった、究極レベルの自然現象まで説明できて初めて、物理学は完成するのです。レベル99の勇者がどんなレベルの魔物でも倒せるように、「万物の理論」の守備範囲は自然界全体、つまり全ての自然現象になるはずです。仮に、自然現象を(良い意味での)「手ごわい強敵」、自然現象を説明できることを「敵を倒して支配下に置く」と表現するなら、「ブラックホール」や「宇宙の始まり」は究極の自然現象であり、ラスボスの魔王と言えるでしょう。

 

「ブラックホール」と「宇宙の始まり」を解明することこそが、物理学にとっての究極の目的であり、物理学者を勇者とするなら、この二つの謎こそがラスボスなのだ。考えてみれば、人類は紀元前の昔から、およそ2000余年の長きにわたって、このラスボスに向けてのレベル上げに切磋琢磨し続ける旅人であり、そんな旅人を助ける物理学者たちこそが、次から次へと現れる困難なダンジョンに果敢に立ち向かう勇者なのかもしれない。
『物理学の野望』(光文社新書)は、およそ一般人には関係ないと思っていた物理学が、いかに私たちの暮らしに深く根差しているかを知らしめ、そんな物理学者たちが、何を目指して日々奮闘しているかを教える素敵な一冊だった。
アカデミズムの最奥に位置するかに思えた物理学が、究極のRPGだったと知り、とても身近な興味深い存在になった。

 

文/森健次

 


『物理学の野望』光文社新書
冨島佑允/著

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