大阪万博準備中に初めて気づいた「団塊の世代」の存在
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一九七〇年当時の高校三年生は、ほぼ全員が万国博を見ているはずである。この年、高校生の修学旅行は日本万国博へ行くよう文部省から指示が出ていたからだ。私の働きかけで決まった方針だった。

 

開催の三年ほど前、私は観客の動員に自信が持てないでいた。そこで少なくとも高校生の修学旅行は万国博に来てもらおうと考えた。文部省に出向いてその交渉をするとともに、高校三年生の人数を確認した。全国から高校生に来てもらうためには宿泊施設が必要になる。もともと京都・奈良は修学旅行の人気コースであったし、甲子園の高校野球もあるため、大阪周辺には団体向けの宿泊施設が整備されている。だが、念のため、それで足りるのかどうか、人数を把握しておこうと考えたのだ。

 

ここで私は軽いショックを受ける。驚くほどの人数が存在することが分かったからだ。宿泊施設が全く足りない――、うろたえる私に文部省の担当者は言った。

 

「万国博の開催は三年後ですから、修学旅行で万国博に行くのは今の中学生です。この世代になるとぐっと人数が減るから大丈夫ですよ」

 

当時の高校三年生こそ、私がのちに名づけることになる「団塊の世代」だった。

 

第二次世界大戦直後の昭和二二(一九四七)年から昭和二四(一九四九)年に生まれた世代は、前後の世代に比べて人数が多く、小学校、中学校、高校と、通過する先々で校舎不足、教員不足の問題を起こしていた。そのため文部省など教育関係者は、この巨大なカタマリ世代を熟知していた。しかし、それ以外の官庁の人々は、まだこのことに気付いていなかった。

 

万国博が開催される一九七〇年になると高校生の人数が減ることが分かり、宿泊問題は解決を見た。しかし、特定の世代に巨大な人間のカタマリが存在することは私の心を強くとらえた。これほど人数の多い世代がこれから大学に入り、社会に出たら、日本経済に多大な影響を与えるに違いないと。

 

むろん、この時点でこの世代と「団塊」という言葉は結びついていないし、自分自身がのちにこの世代を主人公とした小説を書き、作家になるなどとは夢にも思っていなかった。しかし振り返ってみれば、私の運命を大きく変えたベストセラー小説『団塊の世代』の萌芽は、万国博の準備のために身を粉にして働いていた日々の中にあったのである。

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