ジョージ・W・ブッシュ政権の司法副長官に任命される『より高き忠誠 A HIGHER LOYALTY』#2 ジェームズ・コミー
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トランプ大統領はなぜ、私をクビにしたのか? 前FBI長官による衝撃の暴露。

ジェームズ・コミー著『より高き忠誠 A HIGHER LOYALTY』より

2018年4月17日にアメリカで刊行され、1週間で60万部を売り上げた本がある(初版は85万部)。前FBI長官ジェームズ・コミーの著者『A HIGHER LOYALTY(より高き忠誠)』だ。FBI長官の任期は10年である。それは時の大統領の政治的圧力に屈することなく、その捜査方針を貫くためだ。ところが2017年3月、就任したばかりのトランプ大統領に突如解任された。まだ5年以上の任期を残していた。「トランプ陣営のロシアとの癒着に関する捜査妨害」が解任の真の理由として囁かれているが、真偽は定かではない。ブッシュ大統領に司法副長官、オバマ大統領にFBI長官に任命されたコミー氏はなぜ解任されたのか? 邦訳版(藤田美菜子・江戸伸禎訳)の緊急出版にあたり、その衝撃の内容の一部を10回にわたり連載する。

 

 

マンハッタン地区の連邦検事として、ワシントンにある司法省の副長官に報告を行うのは私の業務のひとつだった。司法副長官(DAGという略称で呼ばれることが多い)は、司法省のナンバー2にして最高執行責任者である。ごくひと握りの長官付きスタッフを除き、司法省の全職員からの報告が、まずは副長官のもとへ送られ、しかるのちに長官に伝えられる。いかにもお役所らしい馬鹿げたシステムとはいえ、それなりにおもしろそうな仕事だと私は思っていた。

 

2003年の夏のこと、当時の司法副長官であったラリー・トンプソンがマンハッタンまで私を訪ねてきた。すっかり消耗した様子で、秋には退任するつもりだという。彼は後任としてこの私をジョージ・W・ブッシュ大統領に推薦したいと言った。興味はあるかい?

 

答えはもちろん、イエスだった。連邦検事の仕事に愛着はあったものの、ニューヨークはあいもかわらず、私の家族にとってすばらしい環境とはいいがたい場所だったからだ。家賃の問題から、私はオフィスから50マイル(約80キロ)も北に住んでいた。通勤に時間がかかるため、パトリスや子どもたちと過ごす時間もなかなかとれなかった。子どもたちの演奏会やスポーツの試合、学校の保護者面談を欠席しなくてはならないことも何度もあった。あるとき私は、夕方6時に始まるリトルリーグの試合を応援するために4時にオフィスを出た。しかし、地獄のような帰宅ラッシュに巻き込まれて、試合の大部分を見逃してしまった。こうしたことが起きると心が痛んだ。私はこんな親になりたかったわけではない。もし家族でワシントンに引っ越せば、あいかわらず仕事に忙殺されるだろうが、通勤時間に毎日3、4時間もかけなくてすむようになる。もちろん、政治の中枢に入っていくことのリスクは心得ていた。ニューヨークのあるジャーナリストは、「コミー氏、ワシントンへ」と題した記事のなかで、私の転職について多くの同僚が抱いていた懸念を紹介している。いわく、ワシントンに移っても私が持ち前のユーモアを失うことはないだろう。しかし、魂を失わずにいるのは難しいのではないか?実のところ、私自身も同じ不安を抱いていた。とはいえ、家族のためにはワシントンに移るのがいいに決まっている。悪いことがあったところで、たかがしれているだろう。

 

そこで私はワシントンに向かい、ジョージ・W・ブッシュ政権で大統領法律顧問を務めていたアルベルト・ゴンザレスに会うことにした。面会はウエストウィング(訳注:ホワイトハウスの西棟)の2階にあるゴンザレスのオフィスで行われた。私がホワイトハウスの法律顧問を訪ねたのは、これが初めてではない。1995年、短期間ではあるが、上院委員会のために働いたことがあるからだ。クリントン夫妻がアーカンソー州の不動産開発会社《ホワイトウォーター》に対して行った投資と、それに関連する諸問題を調査するためである。そのなかには、クリントン大統領の次席法律顧問であったヴィンス・フォスターの自殺と、フォスターの死後に彼のオフィスから書類が消失した件が含まれていた。委員会の法務スタッフとして働いた5カ月のあいだ、私はウエストウィングの2階を訪れ、フォスターの職場であった続き部屋のオフィスを調査することになった。委員会が抱いていた疑惑のひとつは「ファーストレディであるヒラリー・クリントン、もしくは彼女の指示を受けた誰かが、フォスターの死後に彼のオフィスに入り込んで書類を持ち去ったのではないか」というものだ。結論がなんであれ、それが出されるずっと前に私は委員会を離れていたが、同じホワイトハウスの2階にあったヒラリー・クリントンのオフィスから大統領法律顧問のオフィスまでの距離を歩いて測ったことをいまでも憶えている。

 

また、2001年の春にもウエストウィングを訪れたことがある。当時リッチモンドの検事補だった私は、あるテロ事件の被疑者を起訴することによって、事件の資金提供者/首謀者としてイラン政府を告発しようとしていた。1996年にサウジアラビアで発生した「コバル・タワー爆破事件」では、アメリカ空軍の兵舎が爆破され、19人のアメリカ人が死亡したほか、何百人もが重軽傷を負っている。このような告発は外交問題にかかわるため、発足したばかりのブッシュ政権では国家安全保障チームの中心人物が一堂に会し、司法長官のジョン・アシュクロフトから、イランを告発する根拠は十分にあるという説明を受けることになった。アシュクロフトの秘書は、長官のホワイトハウス行きに私を同行させることにしたが、シチュエーションルーム(危機管理室)での会議には出なくてもいいと言っていた。長官が細かい点を参照したくなったときのために、会議室の外で待機していればいいと言うのだ。そんなわけで、私はリラックスした気分で初めてのシチュエーションルーム見学を満喫していた。会議で発言するのはおろか、出席さえしなくていいのならこれほど気楽なことはない。しかし、そんな気楽なひとときも長くは続かなかった。私はすぐさま水底に引きずり込まれることになった。

 

秘密会議室の扉が閉まってから何分もたたないうちに扉はふたたび開いた。そこに立っていたのはコリン・パウエル国務長官だった。

 

「検察官は誰だ?きみか?」私をじろりとにらみつけ、パウエルは吠えた。
「は、はい、閣下」私はつっかえながら返事をした。
「では、入りたまえ」パウエルは命じた。会議のすべり出しはあまり順調にはいかなかったらしい。

 

パウエル大将は私を小さな会議室へと引き入れると、テーブルを挟んでちょうど彼とドナルド・ラムズフェルド国防長官の真正面にあたる席にすわらせた。テーブルの上手は、国家安全保障問題担当補佐官であるコンドリーザ・ライスの席だった。私の両側には、いささか顔を紅潮させた司法長官と、FBI長官のルイス・フリーがすわっている。それから20分間というもの、私はふたりの強面の閣僚から質問攻めにあった。私が手がけている事件について、そして私が手に入れた証拠について説明するうちに、スーツに汗がにじんでゆく。彼らの質問が尽きたところで、ようやく下がるように言われた。会議がまだ続いているなか、私はふらふらと退室した。コバル・タワー爆破事件の背後にはイラン政府の関与があったという告発を起訴状に含める承認が下りたのは、それから数週間後のことだ。

 

そのホワイトハウスに、私はまた戻ってきたのだ。ウエストウィングのメインフロアには天井の高い立派なオフィスがいくつも並んでいるが、そのひとつはほかならぬオーバルオフィス(大統領執務室)である。ここに来るたびに思うのだが、建築家はほかのフロアの天井を低くすることで、メインフロアの天井を高くできたに違いない。とりわけ割を食っているのが地下だ。後年私は、安全保障に関する会議のために長い時間を地下で過ごすことになるが、ドアの高さが6フィート7インチ(約2メートル)しかないのには閉口した。私が入るときは慎重に身体をかがめなくてはならなかったが、その様子は連れの透明人間にうなずいているようにでも見えたことだろう。この「うなずき」が、いかに頭をぶつけるぎりぎり手前で調整されていたかに私が気づいたのは、ジョージ・W・ブッシュ政権の半ばで革靴のソールとかかとを交換したときのことだ。修理された靴は、私の身長をいつもより半インチほど底上げしていたらしい。シチュエーションルームでの大統領との会議に遅れまいと急ぎ足だった私は、いつもどおりに身体をかがめたところ、頭をしたたかに打ちつけた。思わず後ろにのけぞるほど強い衝撃だった。シークレットサービスのエージェントが「大丈夫ですか?」と訊ねてきたので、私は「ああ」と答えてそのまま中に入ったが、目には星が散っていた。大統領、そして安全保障チームとともに席についたとき、私は頭皮に液体がつたうのを感じた。出血していたのだ。そこで私は、こんなときに誰もがすることをした。たえず頭をかたむけ、髪の生えぎわより下に血が流れるのを阻止しようとしたのである。そんな私を見て、ブッシュ大統領が何を思ったかは神のみぞ知るだが、少なくとも彼に血は見せずにすんだのだった。

 

ゴンザレスのオフィスがある最上階も、地下ほどには窮屈でないという程度のものだった。天井の低い部屋にはいくつもの小さな窓がへし合うように配置されていて、腰を下ろしたときにはほっとしたものだ。ゴンザレスは、ブッシュがテキサス州知事だった頃から彼を支えてきた人物で、温かみがあって愛想がよく、一周してむしろ苦痛に感じられるほどにやさしげな話し方をした。彼との会話には、ぎこちない間がつきまとった。司法副長官の「面接」としては、たいしたことは訊かれなかったように思う。ホワイトハウスは「ジョン・アシュクロフト司法長官に対抗できるくらいタフな人材を求めている」とゴンザレスは言い、私にそれができるかと訊ねた。

 

大統領が自ら選んだ司法長官に対してずいぶん妙なことを言うものだと驚いたが、私は早くもワシントンの流儀を学びつつあった。つまり、この街では誰もが他人の忠誠心と動機を測ろうとしているのだ。それも、たいがいは本人のいないところで。保守派のアシュクロフトは、かつて自らも大統領選に出ようとしたことがあった。ジョージ・W・ブッシュが当選した2000年の選挙のことである。マンハッタンの検事局にいた私には見えていなかったが、ホワイトハウスとアシュクロフトのあいだには緊張感が漂っていた。司法長官はゆくゆくは政界に出ようとしているうえに、その目指すところはブッシュ大統領と必ずしも一致していない、と見なされていたからだ。それが部分的にでも真実なのかどうかはわからなかったが、ともあれ私は、相手が誰であれ脅しに屈することはなく、常に自分が正しいと思ったことをすると、大統領法律顧問に請け合った。ゴンザレスはこの答えに満足したようだった─少なくともそのときは。ゴンザレスとブッシュ政権の高官らは、私の司法副長官就任を承認した。アシュクロフトとは就任前に手短に話をしただけだ。彼はすでに私をよく知っていた。そして2003年12月、私は司法省本部内にあるオフィスに移り、家族とワシントン郊外に引っ越す準備に取りかかった。

 

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