目上の人に「ご苦労さま」使っていいのか悪いのか
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『写真:AFLO』

 

これから、現代小説の中へ、ことば探しの旅に出かけましょう。

 

「小説の中へことば探し? どういうこと?」という声も聞こえてきそうです。「小説というのは物語を楽しむものでしょう。小説のことば尻なんか捉えてどうするんですか」

 

なるほど、普通はそうかもしれません。小説の読者は、物語の状況がどう展開するか、登場人物の運命がどうなるか、ということに興味を持って読み進めます。

 

ところが、たまに——というのは私のように、物語の筋(プロット)も楽しむけれども、そこで語られたことばも楽しむ、という読者がいるのです。

 

たとえば、石田衣良の作品『チッチと子』。ストーリーはこんな感じです。

 

【小説家・青田耕平はデビューからはや10年、このまま「売れない作家」として終わってしまうのではないかという不安を抱きながら息子と二人暮らしをしている。担当編集者、熱心な書店員、文壇バーの仲間たちに励まされつつ小説を書き続けていたある日、権威ある文学賞の候補にノミネートされるが——。】

 

耕平の作品の水準はかなり高いものです。今回の作品も十分に文学賞の価値があると、編集者の大久保高志は考えています。
神楽坂のカフェで、赤字の入った校正刷りを受け取った彼は、耕平に対して深々と頭を下げます。

 

「青田さん、ご苦労さまでございました。よいご本をいただいて感謝しています」

 

おや、いくらブレイク未満の人とはいえ、作家に向かって「ご苦労さま」なんて言っていいのかな——と、疑問に思った読者もいるのではないでしょうか。

 

というのも、最近のビジネスマナーの教室などでは、
「『ご苦労さま』は目下に使います。目上には『お疲れさま』と言いましょう」
などと教育しているからです。大久保はマナー研修を受けなかったのか。

 

いえ、実は、彼のことば遣いこそが適切です。作家が粒々辛苦して紡ぎ出した作品。それは苦労の成果としか言えないものです。その営為は「お疲れさま」と表現してもいいけれど、苦労をねぎらう感じは弱くなります。この場合は、「ご苦労さまでございました」が最も状況にふさわしい表現です。

 

「『ご苦労』は昔は主君が家来に使ったものだ、目上の苦労をねぎらうのは失礼だ」と言う人もいます。このことについて、私は以前、著書で明確に否定しました(『遊ぶ日本語 不思議な日本語』)。歴史的には話があべこべです。江戸時代の本を見ると、家来が主君に向かって「ご登城、ご苦労千万」のように言っています。

 

三遊亭圓生の落語でも、長屋の女房が大家に、あるいは、寄席の経営者が落語の師匠に、「ご苦労さまでございました」と丁寧に言っています。「ご苦労さま」は、ごく最近まで、一般庶民が普通に交わす挨拶でした。

 

敬語とは不思議なもので、十分に敬意の足りている表現でも、「もっと丁寧に言わないと失礼ではないか」と言う人が必ず現れ、元の表現が忌避されるようになります。「ご苦労さま」は、まさに今、そうした一種の風評被害に遭っている表現です。

 

編集者が作家に「ご苦労!」「ご苦労さん!」などと言えば、これはもちろん失礼です。でも、大久保のように「ご苦労さまでございました」と丁寧に述べれば、礼儀正しい気持ちが伝わるのです。

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小説の言葉尻をとらえてみた

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飯間浩明(いいまひろあき)
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