〈あとがきのあとがき〉ラテンアメリカ文学の面白さを見直すために─短編作家としてのコルタサル─寺尾隆吉さんに聞く(前編)
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夢と仕掛けの中の日常/前半の4篇

 

──コルタサルの短編には、日常的な理屈だけで真っ正直に向かい合うとわからないというか、発想があちこちに跳んで、ともすると翻弄されて終わってしまいかねないところがあると思います。そういう意味では、「コルタサルの書く「幻想」は絵空事ではなく、劇的な「真実」のことだ」と言いきった保坂さんの読みは深いし、読み手にもある覚悟が必要だと言っているように感じました。そこでどうでしょう。ここで『奪われた家/天国の扉』の各短編について、読むポイントのようなものを教えていただきたいと思うのですが。

 

寺尾 はい。では、「奪われた家」から始めましょうか。

 

──登場人物の兄妹の関係が印象的でした。2人に性的な関係はあるのでしょうか。

 

寺尾 はっきりはしませんが、それを匂わせるところは確かにあります。それから、家そのものに命があるのか、それとも何かお化けでもやってきたのか、悪者が押し寄せてくるのか、これもはっきりしない。

 

──しかも、追い込まれる2人がわりと淡泊で印象が薄いというか。

 

寺尾 そう。抵抗しないんですよね。無気力になってしまっていて、なげやりな感じがする。コルタサルはこの作品について、自分の見た夢をそのまま書いたと言っています。多くの人は、ペロニズム*1に追い詰められていくアルゼンチンの象徴だと言いますが、そう決めつけて読んでしまうと、面白味が薄くなるので、登場人物の追いつめられていく様子をリアルにそのまま追っていくほうが面白いと思います。抵抗しないところがかえって不気味ですからね。

 

*1コルタサルの時代の政治を席捲した「愛国党」のフアン・ドミンゴ・ペロン(1895年~1974年)とその追随者たちが標榜した、権威主義的な愛国主義のこと。

 

──それに性的なイメージが重なってくると……。

 

寺尾 その曖昧な関係のせいで、何か楽園を追われる二人みたいなイメージも出てくるかもしれない。そうやって重層的に読んでいけば味わい深いですね。はじめは、外の世界が一切なかったけれど、追い出されることによって初めて出てくるという感じもあります。

 

──次が「パリに発った婦人宛ての手紙」。これ、わたしは主人公を女だとばかり思って読んでしまったんです。どうなんでしょう。主人公がコルタサルのなり替わりだとしたら、やはり男が女友達に向けて書いた手紙だと考えるほうがいいのですか。

 

寺尾 そうですね。

 

──でも、女から女に宛てた手紙として読んでもほとんど抵抗感がありませんでした。

 

寺尾 それも、そうでしょう、スペイン語で読んでも最初のうちはわかりませんからね(笑)。

 

──コルタサルは、この時代からすでにLGBTの発想があったのかと思ってしまった。

 

寺尾 コルタサルは謎の多い人で、この時期は、どこか中性的なところがあるんです。作品でそっと性関係を匂わせたりするわりに、実生活の彼自身には恋人がいた試しがほとんどない。その形跡がないんです。おかしなことに。

 

──え? すごいですね。どこかわかるような気もしますが。

 

寺尾 この時期の書簡にもラブレターの類いはまったく残っていません。普通は、何か暗示ぐらいはあるだろうと思うのですが。それで、そのままパリへ移ってから結婚する。で、何かの拍子に性に目覚めるわけです。

 

──結婚してから?

 

寺尾 その目覚めは結婚相手との間にもあったかもしれませんが、実は、二人目の女性と68年ごろからつき合い始めていて、この女性が本格的な目覚めを促したようですね。68年ですから、彼はもう54歳。老境に差しかかってから性に目覚め、おまけに政治活動にはしるという、ちょっとおかしな人だったようです。

 

──面白いです。この作品には、そういうところが現れているような気がします。

 

寺尾 そうですね。確かにこれ、日本語だと男でも女でも話が通っちゃいますよね。女友達が自分のやったことを隠して、回りくどく言っているという感じが続いて、でも最後まで告白せずに、ごめんなさいとだけ言い残して死んでいく。そんな読みも可能ですから。

 

──そう考えると、すごい(笑)。次は、「遥かな女――アリーナ・レエス日記」。これは変身譚ですね。

 

寺尾 そうですね。ブダペストへ行ったアルゼンチン人の女の子が、旅先でハンガリー人と入れ替わってしまうというカラクリがある話ですね。それが言葉遊びと関係しながら進んでいく。冒頭の回文、上から読んでも下から読んでも同じという言葉遊びを、ストーリーにも重ねて、クルッと登場人物を入れ替えるという仕掛けになっていますね。言葉遊びが先行して、言葉に物語が導かれていく例でしょう。

 

──「ダリ、無理だ」だとか「臭う兄貴に鬼」だとか「テレサまだ男のことを騙されて」などという回文が冒頭から頻繁にでてきます。あれ、すごいです。翻訳と言えるかどうかは異論のあるところでしょうが、わたしは、鮮やかな訳文だと思いました。

 

寺尾 うーん、まあ必死で考えるしかなかったです。普通にアルファベットを並べて、ほら、ひっくり返っているでしょと言っても、何のことがわかりませんし。「ダリ」なんかは原文に出てきます。そうすると、できるだけダリを使って回文を作ろうというふうに考えていくしかない。遊ぶしかなくて、この部分は完全に私が作りました。当然ながら原文とは対応していません。原文に出てくる言葉を利用しただけです。

 

──面白かったです。労は多かったと思いますが。

 

寺尾 楽しい作業でもあります。2014年に出た『TTT:トラのトリオのトラウマトロジー』(ギジェルモ・カブレラ インファンテ著、現代企画室)という作品があって、これは言葉遊びだらけなんです。ダジャレとか回文がいっぱい出てきて。で、一所懸命いろいろ考えて、いろいろ文を作りました。

 

──好きなんですね(笑)。

 

寺尾 言葉遊びは面白いです。

 

──それで「バス」が続きます。これについてはどうですか。

 

寺尾 コルタサルは、花の使い方が特徴的です。「黄色い花」というタイトルの小説が『遊戯の終わり』(木村榮一訳。国書刊行会。1990年)に入っていたりして、何気なく花を使う。この作品も、花を持った人たちがバスに乗ってきて、自分たちだけが持っていないという男女をめぐる話になっています。

 

──単純に考えると、花は政治的な悪の象徴かと思ってしまいそうですが……。

 

寺尾 そうかもしれないし、そうでないかもしれません。ともかく、何かにはっきり対応するというわけではないけれど、作家の内面にある何かを表現するときに使われる象徴というか、何かをぼんやりと暗示するシンボルとして使われるわけです。

 

──花を持っている不気味な連中が周りに無言のまま存在して、そこで持っていない二人が話しているという、追放か疎外感のような感じが出ていると思いました。

 

寺尾 ええ。「奪われた家」と対照的というか、2人で何とか耐えて、その苦境を乗り切る話ですね。

 

◆後半に続く>>

 

(聞き手:今野哲男)

 

 

奪われた家/天国の扉
動物寓話集• コルタサル/寺尾隆吉 訳

光文社古典新訳文庫

光文社古典新訳文庫

Kobunsha Classics
「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」
2006年9月創刊。世界中の古典作品を、気取らず、心の赴くままに、気軽に手にとって楽しんでいただけるように、新訳という光のもとに読者に届けることを使命としています。
光文社古典新訳文庫公式ウェブサイト:http://www.kotensinyaku.jp/
光文社古典新訳文庫公式Twitter:@kotensinyaku
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