ネットサーフィンを止められないのは「障害」なのか?
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◆「非道徳的な行動」から「発達障害」へ

 

最近は何にでも病名がつく――ADHDもそう思われがちなものの一つではないでしょうか。

 

イギリスの医師・ジョージ・フレデリック・スティルが1902年に初めて医学論文で子どもの行動を症例として報告するまで、ADHDは「非道徳的な行動」として扱われていました。

じっとしていなければならない席で、じっとしていられなかったり、ぼーっとしていて考えられないような怪我をしてしまうなど、ADHDの人によく見られる行動は「しつけの不足」や「怠け癖」と考えられていたのです。

しかし、医学界では1900年代にはすでにADHDを「しつけの不足」や「怠け癖」ではなく、何らかの脳機能の障害としてとらえ、研究が行われてきているのです。

 

脳科学は進化しているものの、ADHDの原因は、まだはっきりと解明されていません。しかし、その原因として、実行機能障害仮説という高次の脳機能の発達の遅れが有力説として考えられています。

実行機能とは、計画を立て、その計画どおりに集中(覚醒)することの維持、別の刺激に飛びつくことを抑制するプロセスを言います。このプロセスを行う高次の脳機能の発達に遅れや障害があることが原因ではないかとする仮説です。

たとえば、自分の部屋へ着替えを取りにいった子どもが、部屋で目についたおもちゃに心を奪われ、着替えを取りに来たことを忘れてしまう……子どもの行動としては年齢相応と言えます。

 

この仮説だけではADHDのすべての説明がつかないのですが、この仮説を前提にすると、未発達の子どものうちはできなかったことが、成人になるとできるようになり、例に挙げたような「困りごと」が解決していることがあることや、そんなこと、誰にでもあるじゃないかと考えられてしまうのも納得ができます。

 

◆誤解を生む、真逆の特性が理解を困難にしていた

 

ADHDには3つの特性がありますが、この3つが組み合わさって顕在化する行動の中には、周囲に誤解を生じさせている行動があります。

ゲームやネットサーフィン、テレビなどでは、じっとして集中することができることです。

誰でも、楽しいことばかりで生活をしているわけではありません。一つのことに集中し続けるのが難しいことは理解できても、ギャンブルやゲーム、ネットサーフィンなら続けられるということに対しては、それを障害と言えるのか?と考えられがちなのです。

 

イギリスの心理学者エドモンド・ソヌガ・バークらは、ADHDの子どもたちに神経心理学検査を行い、ADHDの原因そのものではなく、脳でどのような障害がどの程度起きているのかという、症状が起きるプロセスに関する研究を行いました。その結果、ADHDの子どもたちが持っている3つの特性を明らかにしました。

 

1.抑制制御の障害(Inhibitory control)
他に気がそれてしまい、本来、集中しなければならない課題に集中することができない障害

 

2.報酬遅延の障害(Delay aversion)
すぐに手に入る報酬を好む特性を言います。

 

3.時間処理の障害(Temporal processing)
時間の経過を感覚的につかむ能力にかかわる障害

 

たとえば、明日朝早いとわかっているのにゲームやネットサーフィンを止められず、徹夜になっても集中し続けてしまう状態を「過集中」と言うそうです。ADHDの人は、一度この状態に陥ると、自分の力で制御することが難しいのですが、この状態は、2の報酬遅延の障害が関わっていると考えられています。

報酬遅延の障害には、すぐに結果が出ることを好むということと、「我慢ができない」という二つの要素が含まれているそうです。

 

ADHDの人にありがちな行動に、質問が終わる前に答え始めたり、相手の話を遮って自分の話をするという行動がありますが、ゲームなどに過集中してしまうのも、実は同じ背景があるというのです。

 

◆診断は「理解」への第一歩

 

自分がADHDであると知らずにいる人は、自身を怠け者だと責めさいなみ、周囲からもそのように思われて、自尊心を削り込むことが多いと言います。

 

著者の中島美鈴さんは、このように諭します。

 

ADHDの人に対して、ADHDではない人と同じ基準を求めることは「無茶ぶり」です。

ADHDの診断がつくことや、診断を受けることに対して否定的な受け止め方をする人たちは、失敗をADHDのせいにしても何の解決にもならない、ADHDであることを「言い訳」ととらえがちです。

診断がつくというのは免罪符を与える話ではなく、対処法がわかる、その人に期待できる範囲がわかるということなのです。

 

今回取り上げた過集中の問題は、子どもだけではなく、ADHDが残る大人でも起きる問題です。中島先生は、ADHDを「言い訳」や「免罪符」ではなく、本人の自覚や周囲の理解を促し、対処法を講じることで、本人も、周囲の人も「生きやすく」なろうと訴えているのです。

 

この記事は『もしかして、私、大人のADHD?』(光文社新書)より一部を抜粋、再構成してお届けしました。

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もしかして、私、大人のADHD?

もしかして、私、大人のADHD?認知行動療法で「生きづらさ」を解決する

中島美鈴(なかしまみすず)

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