井上荒野にしか書けない、私達の知らない「愛の話」――『あちらにいる鬼』

大平一枝 ライター、エッセイスト

『あちらにいる鬼』朝日新聞出版
井上荒野/著

 

撮影/大平一枝

 

作家の父には同業の愛人がいて、父の没後は、愛人と母が心を通い合わせていた。

 

自分がその“子”の立場としても、誰もこれほど、美しい企みを施した成熟した小説には昇華できまい。たとえいくらかセンセーショナルに書けたとはしても、こうはいかない。

 

それほど、井上荒野の筆力は圧倒的に巧みだ。

 

不可思議な男女の三角関係に読者をいざない、気づいたら、愛とはなにか、夫婦とは何かを考えさせられている。

 

井上荒野の巧妙な文学のダンスに、気持ちよく踊らされ、最後の1ページを閉じたとき、あらためて父、井上光晴や愛人、瀬戸内寂聴について調べたくなる。彼らがあのとき、このとき、どんな小説を書いていたのかを知りたくなる。そんな作品なのである。

 

執筆時、瀬戸内寂聴から、「何でも喋るから書いてちょうだい」と言われた。書き終えると、真っ先に、すごくよかったと電話が来たというのは、すでに知られた話である。

 

なかなか信じがたい関係だが、本書を読むと、さもありなんとじつに自然に受け止められる。

 

本作を、母とみはる(瀬戸内寂聴がモデル)の視点で描こうとした時点で、井上荒野は書き手として、すでに大きな勝利をしている。読み終えたとき、いちばん知りたいと私が思ったのは、この母である。行間から、娘としての柔らかな慈愛が滲み出ている。亡くなってからでしか書けなかったことがよくわかる。

 

そしてなんにつけても、本作最大の魅力はやはり、井上荒野にしかできない独創的な愛情表現の味わい深さだ。

 

やさしい言葉の組み合わせなのに、ぐっと胸を掴まれ、ゆさぶられる1行が、そこかしこにしかけられている。

 

どんな物語も始まれば終わるしかなくて、血を吐くような恋をした女も、歴史を動かした男も、やがて死んでしまい、そうなればただの物語の一部になってしまう。(112頁)

 

言葉もわからず、英語すら覚束ないくせに、おそらくは、珍しい昆虫を捕獲したがる子供みたいな一途な、無責任な情熱で女の心を虜にして。(118頁)

 

そんなふうな思いやりを、自分でそれとも気づかずに何かがぽろりとこぼれるみたいに見せるのが白木という男だった。(130頁)

 

白木(井上光晴がモデル)を、みはるの視点から描いた一説である。私は読みながら、みはるといっしょに、まんまとこの自由奔放で恋愛なしに生きられない作家、白木に心を持っていかれてしまった。どうしようもなく、放っておけない男なのである。

 

そんな人たらしな男に裏切られ続け、愛され続けた母。これは、じつは父と生きた母という女性の物語だと私は思っている。あなたには、誰の物語に映るだろうか。ぜひ荒野文学に溺れながら、確かめていただきたい。

 

 

『あちらにいる鬼』朝日新聞出版
井上荒野/著

この記事を書いた人

大平一枝

-oodaira-kazue-

ライター、エッセイスト

大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・失われつつあること、価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『昭和式もめない会話帖』(中央公論新社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)など。『東京の台所』(写真・文/朝日新聞デジタル「&w」)連載中。


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