当事者に寄り添うだけでは、社会は動かない 『ヤンキーと地元』

坂爪真吾 一般社団法人ホワイトハンズ代表理事

『ヤンキーと地元』筑摩書房
打越正行/著

 

 

本書『ヤンキーと地元』は、生きていくために建設業や風俗経営、ヤミ仕事に就いた沖縄の若者たちの声を、10年間という長期にわたって聞き取った労作である。

 

著者自身が暴走族のパシリになり、建設業の現場で鋼管や角材を運びながら、彼らの生きる世界における登場人物の一人として、共に汗と涙を流すことで得られた一次情報が詰まっている。著者以外の人間には決して書けない一冊だろう。

 

ただ、本書を読み終えた後、「膨大な時間と労力をかけて、極上の一次情報=『食材』を集めたのに、なぜそれを『料理』しないのだ?」という疑問が頭から離れなかった。

 

「はじめに」において、著者は本書の主題を「地元のつながりの中で生きる沖縄の若者が、どのような困難に直面しているのかを知ること」と設定している。

 

様々な社会課題を背負って生きる沖縄の若者たちに、これほどまでの長期にわたって、そして物理的にも精神的にも極めて近い距離で、社会学者が寄り添って参与観察した記録は、他に類例がない。

 

にもかかわらず、彼らが晒されている理不尽な暴力や生きづらさに関する学問的な考察や分析、それらを変えていくための提言は、ほとんど書かれていない。

 

例えるなら、極上の食材を使用しているという噂の料理店に行き、長蛇の列に並んでようやく席に座ることができ、期待に胸を膨らませて注文したら、テーブル一面に食材が未調理の状態で雑然と並べられて、「あとはお客様ご自身で料理してください」と言われたような気分だ。

 

もちろん、本書はエスノグラフィー(対象となる集団の特徴や日常的な行動様式を詳細に記述する研究手法)であり、著者の研究目標自体は十分に達成されている。そのため「分析が足りない」という批判は、外在的批判(=ないものねだり)にしかならない。

 

しかし、雑誌のルポや特集とは異なり、「社会学者による研究」と名乗るのであれば、その研究成果は、研究対象となった当事者、そして社会にとって何らかの意味(還元)があるものでなければいけないはずだ。

 

エスノグラフィーの対象として描かれること自体は、調査対象の若者たちにとっては、特にメリットがない。

 

暴走族、建設会社、性風俗店といった現場のエピソードも、沖縄の現状を全く知らない人にとっては衝撃的な内容に思えるかもしれないが、沖縄をはじめとする地方都市の貧困問題に取り組んでいる支援者や専門職にとっては、「今更」感に満ちた話ではある。

 

思想性や政治性が忌避され、直接的な表現や生々しい情報がもてはやされる現代社会においては、発信者のイデオロギーや問題意識等のフィルターを通さずに、現場の一次情報を裸のままで羅列する振る舞いが、「当事者に寄り添っている」として称賛されがちである。

 

しかし、ただ当事者に寄り添うだけでは、社会は動かない。分析や考察を回避したとしても、そうした振る舞い自体が一定の政治性を帯びることは避けられない。

 

自らの立場性や研究目的を明確にした上で、「寄り添い」という曖昧な言葉で逃げずに、得られた情報をきちんと分析し、自らの言葉と責任で発信すること。

 

そうした試行錯誤の繰り返しから、当事者と社会に多くの還元をもたらす『極上の料理』が生み出されるはずだ。

 

『ヤンキーと地元』筑摩書房
打越正行/著

この記事を書いた人

坂爪真吾

-sakatsume-shingo-

一般社団法人ホワイトハンズ代表理事

1981年新潟市生まれ。一般社団法人ホワイトハンズ代表理事。東京大学文学部卒。 新しい「性の公共」をつくるという理念の下、重度身体障がい者に対する射精介助サービス、風俗店で働く女性のための無料生活・法律相談事業「風テラス」など、社会的な切り口で現代の性問題の解決に取り組んでいる。2014年社会貢献者表彰。 著書に『はじめての不倫学』『誰も教えてくれない 大人の性の作法』(以上、光文社新書)、『セックスと障害者』(イースト新書)、『性風俗のいびつな現場』(ちくま新書)、『孤独とセックス』(扶桑社新書)など多数。

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