築地で、東京すしアカデミーで。魚が怖いアメリカ女性が日本の魚文化を学ぶ『サカナ・レッスン』――食卓から考える(2)

三砂慶明 梅田 蔦屋書店人文コンシェルジュ

『サカナ・レッスン 美味しい日本で寿司に死す』CCCメディアハウス
キャスリーン・フリン著/村井理子訳

 

 

うまい、安い、早い――。

 

忙しい現代人のお腹を満たすための魔法の食べ物のようなインスタントやレトルト食品は、食品スーパーの売場を席捲し、日夜激戦が繰り広げられているコンビニエンス・ストアでも不動の定番商品として君臨しています。

 

料理に時間が割けなくても、何より簡単で便利で賞味期限も長くて安い、と来たら買わない理由はほとんどなさそうですが、そんな夢のような料理が実在するわけではありません。

 

あくまで、グラタンは「グラタン風」でしかなく、カレーやパスタソースの原材料は、食品加工関係者にしかわからない、魔法陣のような記号と解読不可能なカタカナで満たされています。

 

いつまでもカビのはえないパンと、すぐダメになってしまうパンのどちらを選ぶべきなのか。選択肢は一つしかなさそうですが、その答えがマーケット上では不正解なのを、日々のコマーシャルは教えてくれます。

 

なぜ、レモン味の炭酸飲料が無果汁なのか? など、多くの人がこうした食べ物に根本的な疑問を抱かない原因は、時間がないからで、自分の経験を顧みて言うならば、おいしいものを食べるのは好きだけれど、それを自分で作ることにあまり興味がなく、またそれができるとも思っていないからではないかと考えています。

 

かつて、シェアハウスに住んでいたときに、台所が共有で、住人は曜日ごとに晩御飯を担当していました。引っ越した初日に、本気を出して、納豆と卵とパスタをかきまぜて、永谷園のお茶漬け海苔をふりかけて、サーブしたところ、住人たちから「とても美味しかった」「最高だよ」と口々にほめたたえられましたが、その後、私に料理当番がまわってくることはありませんでした。

 

怒涛のように押し寄せる仕事や、友人たちからのSNSに返答している間に、私たちが今一体何を飲み、食べているのか? などという疑問が脳裏をかすめることはありません。こうした手軽な食べ物と時短料理への依存は、もちろん、日本だけではなく、世界中で進行しています。その象徴こそが、スーパーマーケットの食品売場です。

 

スーパーの買い物カートには、その人の人生が詰まっている――。

 

箱詰め加工食品や冷凍食品や缶詰ばかりを選んでいるアメリカ人の母親の買い物カートをつけまわし、大胆にも話しかけて料理の方法を伝え、しっかりと献立を考えて食材を買えばオーガニックの方がむしろ安く、健康になれるのだと教えた女性がいます。

 

37歳で世界屈指の料理学校、ル・コルドン・ブルーを卒業したキャスリーン・フリンがそのひとです。

 

キャスリーン・フリンは、全米ベストセラーになった『ダメ女たちの人生を変えた奇蹟の料理教室』(きこ書房)で、両親との思い出の味が「マクドナルド」という女性や、子供を栄養不足にしてしまうセレブ女性など、包丁をにぎるのが怖いと料理に怯えていた大人たちを、たった半年で自信たっぷりにキッチンに立てるように、ゼロから手ほどきしていきます。

 

そして、料理を教えることを通じて、さまざまな背景をもつ大人たちに、生きていく上で学ぶべき最も大切なことは何か、を問いかけます。

 

その答えこそ、自分自身、そして周りにいる人間に栄養を与える方法、すなわち、料理です。

 

脳に「おいしい」というスイッチを最短で早押しさせる科学的な方法ではなくて、おいしいと身体が喜ぶ料理を日々の食卓にどうやって届けるのか。

 

アメリカでは料理が苦手な女性たちを啓発する先生だったキャスリーン・フリンが、今度は、料理を教わる生徒として日本にやってきます。

 

テーマは、魚。

 

その体験記を記したタイトルは、その名も『サカナ・レッスン』。

 

『Culture Shock: Japan: a Guide to Customs And Etiquette (Culture Shock! Guides)』という、抱腹絶倒の体当たり系日本文化ガイドブックを小脇に抱えながら、東京すしアカデミーで、魚を学び、寿司をにぎります。

 

食材が生きていることに苦しめられながらも、築地で寿司をほおばり、さらには、築地市場の最後を見届けます。そして、ある日本人男性の家を訪れ、食卓を囲み、ともに料理をすることで、たくさんの気づきにひらかれていきます。

 

 

「アメリカと日本は海を隔てた遠い国だとはいえ、料理する人たちは同じ難題に直面し、同じ答えを求めているのだと思い起させた。それは、学びだ。自分に自信を持つこと、人生のヒントに触発されたいと願っているということ」

 

魚料理を通じて、食を見つめなおすことが、自分自身の人生を見つめなおすキッカケになることを、本書ははっきりと教えてくれます。

 

「学ぶことは選択肢を増やすことだ。家庭料理人にとって、毎回だしを取ることは現実的でないかもしれない。だから、その日ごとの献立やライフスタイルに合わせて、多様な選択肢を持てばいい。インスタントとトップ・シェフの間に、あなたにとって心地よい場所を見つければ、それでいい」

 

キャスリーン・フリンの共感力と想像力に触れていると、料理が苦手な私でも、もしかしたら食べた人に喜んでもらえる料理を作れるのではないかと思えてきます。

 

冒頭からユーモア全開で、まるで映画のような実在の人物たちとの邂逅を通じて、料理はキッチンの中で完結するものではなく、テーブルの上まで広がるのだと、気づかせてくれます。

 

本書がすさまじいのは、その面白さだけでなく、「原書が存在しない翻訳書」という、熱のこもった本のレシピそのものにも秘密があります。

 

前著『ダメ女たちの人生を変えた奇蹟の料理教室』が、料理が苦手と思い込んでいる人々の蒙をひらく、未知への扉を開く本だとしたら、本書は、誰もが人生の中に抱えている苦手なことへの挑戦を温かく後押しする本です。

 

脂ののった秋刀魚(サンマ)に醤油をたらして、あつあつのごはんにのせて、わしわしとかきこむように、お読みください。

 

『サカナ・レッスン 美味しい日本で寿司に死す』CCCメディアハウス
キャスリーン・フリン著/村井理子訳

この記事を書いた人

三砂慶明

-misago-yoshiaki-

梅田 蔦屋書店人文コンシェルジュ

1982年兵庫県生まれ。大学卒業後、工作社『室内』編集部に入社。休刊後は、本とその周辺をうろうろしながら、梅田 蔦屋書店で念願の書籍担当に。『サンガジャパン』(サンガ)、『ひとりふたり・・』(法蔵館)、WEB本の雑誌「横丁カフェ」(第一木曜日)の読書案内を担当。(著者写真撮影/濱崎 崇)

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