一生ずっと大切にしたい本。誰かの夜をほのかに照らす物語『月まで三キロ』

竹内敦 さわや書店フェザン店 店長

『月まで三キロ』新潮社
伊与原新/著

 

 

素晴らしい小説だった!静かな感動がじわじわじわじわ沁みていき、いつまでも心に残り忘れられない。読後、思い出すたびにじんわりする。著者はこの小説で第38回新田次郎文学賞を受賞した。

 

タクシーの運転手が乗せた客は自殺志願の男性で自殺場所として富士山を下見に行くという。辟易した運転手が自殺なら近場でいい場所があるよと連れて行ったのは、「月まで三キロ」という標識がある“月に一番近い場所”ーーー

 

そんな奇妙な一章から始まるこの小説は、自殺の場所を探す男の他に、学校に行けなくなった少年や母を亡くした幼い女の子など、失意の底、絶望の淵にいる人々がとある出会いによって少し救われていく6編の物語だ。

 

そのようなとき、何が救いになるのだろう?時間だろうか?抱える問題がスッキリ解決、なんてなかなか、ない。
しかし、その答えの道筋のひとつが6編を通して普遍的に示される。

 

提示されるのは、新しい知識を、とくに知らなかった自然の摂理を知らされること。知が広がると世界が広がる。今までの自分の世界でどん詰まりになってた人の世界が広がると、相対的に問題が小さくなり、遠くに希望すら見えてくる。暗いトンネルを歩いてまさに抜けようとして光が見えたときみたいな。

 

そしてそれぞれの主人公がさりげなく出会う人、結果的には運命的な出会いなのだが、それぞれが様々な科学の扉を開ける話をしてくれる。そしてその人たちの半生もまた一筋縄ではない。それなのに自然に前向きに生きている姿を見せてくれる。そこがまた救いに通じるのだ。

 

おどるぽんぽこりんによると、エジソンは偉い人、そんなの常識。しかし知ったときは世界が広がるだろう。困ったら発明すればいいんだ、とか。まあそれは例えばの話だけれども、知るだけでは足りなくて感じることがキモのように思う。宇宙の広さを実感するとき、例えばオリオン座の北角の赤い星ベテルギウスは500光年離れてるから、500年前の輝きだ。1光年は約9.5兆キロメートルだから…、どうだろう、気が遠くならないだろうか?

 

広がった世界に想いを馳せたり、新しいことに打ち込んだりすることで、ふんわり救われていくそのさまが、とても心地いい。主人公たちの心のベクトルが負から正へ切り替わる瞬間を目撃することで、自分の心も軽くなる。年々物理的に重みを増す重いお腹がふわっと軽くなった気さえする。

 

また、文章がたまらなく、いい。落ち着いた静かな佇まいで、決して軽くはない物語が語られていく。色で例えるならセピア色か。いや、夜の色とでも言おうか。

 

月が闇夜をほのかに照らすように、誰かの夜をほのかに照らしてくれる物語だ。

 

『月まで三キロ』新潮社
伊与原新/著

この記事を書いた人

竹内敦

-takeuchi-atsushi-

さわや書店フェザン店 店長

声に出して読んだら恥ずかしい日本語のひとつである「珍宝島事件」という世界史的出来事のあった日、1969年3月2日盛岡に生まれる。地元の国立大学文学部に入学し、新入生代表のあいさつを述べるも中退、後に理転し某国立大学医学部に入学するもまたもや中退、という華麗なるろくでもない経歴をもって1998年颯爽とさわや書店に入社。2016年、文庫のタイトルを組み合わせて五七五を作って遊んでいたら誰かが「文庫川柳」と名付けSNSで一瞬バズる。本を出すほどの社内のカリスマたちを横目で見ながら様々な支店を歴任し現在フェザン店店長。プロ野球チームでエース3人抜けて大丈夫か?って思ってたら4番手が大黒柱になるみたいな現象を励みにしている。

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