名前も性別も持たず、定まらない染色体と体だけを持って、この世界に現れた「某」

横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店

『某』幻冬舎
川上弘美/著

 

 

この物語に登場するのは「某」(ぼう)という誰でもない者。名前も、記憶も性別も持たず、男なのか女なのか分からない外見と、定まらない染色体を持ち、ただ体だけを持って、この世界に現れた。

 

初めは女子高校生の丹羽ハルカ。次は男子高校生の野田春眠。さらに、山中文夫、マリ、ラモーナ、片山冬樹と変化を繰り返し、最後はひかりに変化した。

 

ハルカや春眠、初期の頃は、役を演じるように、その人物として他者とかかわり合いを持つことが最優先事項だった。次の者に変化するのは、その役柄ではこれ以上の変化が見られないと判断されたとき。けれど、変化を繰り返すうちに、自身の感情の芽生えに気づき、自らの意思で変化するようになっていく。

 

最初は「すき」とか「きらい」とか人間がもつ当たり前の感情すら持ち合わせていなかったが、人と触れあううちに、人の感情を知り、自身のこころの中にその感情が流れ込むことで、自らと他者のこころの機敏を知るようになる。まるで、人間の赤ん坊が成長する過程と同じよう。他者とふれ合い、学び、成長していく過程。けれど、設定に応じて変化する体と、からっぽの中身を持ち合わせているというところが、人間とは決定的に違うし、欠けている。

 

それに、変化をしても、変化以前の記憶は残っている。たとえば、丹羽ハルカは弁当を誰と食べるかということに、プレッシャーを抱いていたと春眠になってから気づく。野田春眠のときにふんだんに溢れでていた性欲は、山中文夫になると途端に消えうせた。マリは共に暮らしたナオの死に耐えきれず、ラモーナに変化したが、ラモーナは人の痛みに反応すると体の一部が痛むようになった。

 

やがて、たくさんの者に変化するうちに、からっぽだった「某」のこころは満たされていった。「某」はひとを愛するようになった。

 

「ひかり」は、誰でもない仲間である、高橋さんと鈴木さんが、仲間内で初めてうんだ子ども「みのり」と共に生きていくために、嬰児に変化した。

 

しかし、みのりは、誰でもない者からうまれてきたのに、一度も変化することなく成長し、「すき」や「きらい」の感情や、死への恐怖も抱いている。そんなみのりと過ごすうちに、ひかりは自らも変化ができなくなっていることに気づく。ひかりとみのりが十分に成長したころ、奇妙な家族は解散し、ひかりとみのりは自然に恋に落ちた。

 

「時が満ちたんだよ」

 

ひかりが変化できなくなったのは、たった一人の愛するひとと出会ってしまったから。あたしのままでみのりの傍にいたいと、願うようになったから。けれど、ひかりはひかりのままで、みのりはみのりのままで永遠に愛し合いたいという願いは叶わなかった。ひかりになってしまった「某」は永遠とも思えた生涯を終えた。一抹の光の束となって。

 

愛するって、本当はこわいことだ。愛する人を得たとたん、喪う恐怖を想う。愛する人を守るためなら、ナイフにだって、きっと立ち向かってしまうだろう。愛することはあたたかく、こころ震わすことばかりじゃない。ひりひりする痛みや、背後から迫りくるような恐怖を抱えながら、愛しつづけることに挑戦することでもある。

 

それでも。何ももたず、からっぽでわたしも生まれてきたのだ。からっぼのわたしに注ぎ込まれるのは、愛の体験を経て、うまれたものであってほしい。いつまでもと永遠を誓うより、愛するひとの瞳やこころに、わたしが一瞬でも宿ればいい。

 

「某」がおしえてくれたのは、ひとを愛する、恐怖とすばらしさだった。

 

『某』幻冬舎
川上弘美/著

この記事を書いた人

横田かおり

-yokota-kaori-

本の森セルバBRANCH岡山店

1986年、岡山県生まれ。担当は文芸書、児童書、一般文庫、人文書、学習参考書。 本を開けば人々の声が聞こえる。知らない世界を垣間見れる。 本は友だち。人生の伴走者。 本がこの世界にあって、ほんとうによかった。

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