人生100年時代、明るい未来をどう導くか『LIFE SHIFT』

藤代冥砂 写真家・作家

『LIFE SHIFT』東洋経済新報社
リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット/著 池村千秋/訳

 

快適な日常を送るためには、物質と精神、その両面での充実が求められるが、これらのバランスを取ることは、なかなか難しいことだ。

 

例えば、お金を充実させるためには、一般的にしっかり働くことになり、家族との時間や、精神的な充足感を得るための余暇が少なくなる。

 

だからといって、後者ばかりを優先させると、経済的に厳しくなる。

 

就労と余暇とのバランスだけでなく、様々な要素間の妥協点を探り、日常への満足度を高めるには、それぞれの個性に合った設計と遂行する努力が必要だ。

 

検討すべき要素や環境は様々で、自然、経済、家族などひとつひとつを細かに挙げれば切りがないが、寿命や健康寿命については必ず考慮しなくてはいけない要素だ。

 

引退以降に必要となる貯蓄額や、家族構成や、住む場所などは、自分がどのくらい生きるのかを予測しなければ、イメージ化できない。

 

数年前からの話題となっている本書では、近い将来人類の平均寿命は100歳まで届くとされ、それを前提にしたライフプランの練り直しについて詳細に記されている。

 

2000年前後に誕生した人を基準にすると、彼らは100歳まで生きるとされ、現在50歳前後の人でも90歳までは生きるらしい。

 

定年が65歳だとしたら、今50歳の人は、あと25年も生きることになる。健康でいられる状態だけを控えめに数えても20年の引退生活があるのだ。

 

先進国では、引退後の暮らしを支える年金だけでは、十分な生活資金とはならず、定年後も働き続けなくてはならなくなるとされ、こういう話は、とくに新奇でもないのだが、これからは、引退後の数十年を見越して勤労年数を延ばすための自身の職業上の再教育をライフプランに組み込んでいく必然性が語られている。

 

どういうことかと言うと、現在の標準的人生は自己教育、仕事、引退、という3ステージに分かれていて、これは今よりも短い平均寿命にフィットするようにデザインされたものだ。

 

だが、寿命が長くなると、この3ステージでは、それぞれの期間を長くするだけでは足りなくなり、4ないし、5つのステージを設定しないと、機能しないというのだ。

 

長く同じ仕事をしていると、単純に習熟は進むが、モチベーションを保ちづらくなる。それは幸福度の低下にもつながるだけでなく、雇用主からは、コスパの低い人材となってしまう。

 

そうしたことを踏まえて、引退前に別の知識やスキルを学習する移行期間が必要になり、それを支える家族やその期間にあてがう貯蓄を用意しなくてはならない。

 

また働き方自体も、いくつかの職業をかけもつポートフォリオワークが当たり前になり、それは経済的なリスク回避という面だけでなく、精神衛生上のリスク回避でもある。

 

個人的には、すでにそういったライフプランを偶然というか、本能的に手をつけ始めているので、未来予想図というよりも現在地を確認する地図のように読めた。

 

また本書が提示する内容は、自分よりも、これからまさに100年を生きることになる子供世代の未来を考える上で、ではいったい彼らにどんな教育を受けさせたらいいのかを考える良いきっかけになる。

 

わたしたち親世代と、その一つ前の親世代とですら、世の有り様はがらりと変わったとのだから、平均100歳まで生きる子世代の世界では、当然いろいろな変化が起こり得るはずだ。

 

未来予想というと、AIに仕事を奪われたりするような、なんとなく幸薄いイメージがあるが、現在の暮らし方をそれぞれの読者がふまえつつ、未来に展開していく発想のスタートラインとして、本書を利用できれば、楽しい想像を重ねて遊ぶことが可能だと思う。

 

要は、同じ情報からでも受け取り方次第で、明るい未来像を導くことは可能だ。

 

個人的には、先回りして利己的な利益を守ろうとする従来の勝ち組志向では、いずれ通用しない世界が来ることが、うっすらと想像できた。

 

100歳までずっと利己的に暮らすのは、結構しんどい。その発想では、眉間の皺が深い老人像しか浮かばない。どこかで利他に転じなくては、いずれ精神的に困窮してしまうのではないだろうか。金はあっても薄暗い人生というのは、避けたい。

 

100歳まで生きる世界とは、自分をじっくりと成長させることが時間的に可能となる世の中でもある。社会の幸福と、個人の幸福を擦り合わせていくために延長された寿命だとする私の解釈を、おそらく我が子の世代は、古い道徳観と疎んじるのかもしれないが。

 

『LIFE SHIFT』東洋経済新報社
リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット/著 池村千秋/訳

この記事を書いた人

藤代冥砂

-fujishiro-meisa-

写真家・作家

90年代から写真家としてのキャリアをスタートさせ、以後エディトリアル、コマーシャル、アートの分野を中心として活動。主な写真集として、2年間のバックパッカー時代の世界一周旅行記『ライドライドライド』、家族との日常を綴った愛しさと切なさに満ちた『もう家に帰ろう』、南米女性を現地で30人撮り下ろした太陽の輝きを感じさせる『肉』、沖縄の神々しい光と色をスピリチュアルに切り取った『あおあお』、高層ホテルの一室にヌードで佇む女性52人を撮った都市論的な,試みでもある『sketches of tokyo』、山岳写真とヌードを対比させる構成が新奇な『山と肌』など、一昨ごとに変わる表現法をスタイルとし、それによって写真を超えていこうとする試みは、アンチスタイルな全体写真家としてユニークな位置にいる。また小説家としても知られ著作に『誰も死なない恋愛小説』『ドライブ』がある。第34回講談社出版文化賞写真賞受賞

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