セックスの実体とは?――人間文化の知られざる基盤

馬場紀衣 文筆家・ライター

19世紀ロシアの作家トルストイの妻ソフィアは13回妊娠し、13人の子どもを産み、そのうち6人を難病の末に亡くしている。彼女は少なくとも1回は産褥熱を患い、熱病や胸の炎症に苦しみながら、トルストイの全作品と日記を(成人した娘に代行させていた時期を除いて)筆記していた。その合間を縫って夫の財産や版権にかかわる雑事を処理し、子供たちの面倒を見て、教育した。トルストイは、結婚生活の中でソフィアに多くのことを要求しすぎたのかもしれない。たとえば、頻繁なセックスとか。

 

セックスの後、冷たくあしらわれるのを彼女は当然だと思っていたし、憎んでもいた。結婚4ヶ月目にして彼女は、自分も夫のように働けたらと書き残している。もし夫婦の状況が変わるとするなら、セックスの場面でしかなかった。肉体的な愛は「私にとって、感情に訴える遊戯であったためしがなく、常に、苦しみとほぼ同類のものでした」とソフィアは書いている。

 

著者のアンドレア・ドウォーキンはアメリカの哲学者であり、作家、フェミニズム活動の理論的指導者でもある。インターコース【intercourse】とは性行為のこと。女とは何か、男とは何か、セックスは人間同士の親交になり得るのか。本書は、トルストイをはじめフローベル、プルースト、阿部公房など多くの文学作品を取り上げながら、性をめぐる強迫観念が人間文化の基盤になっていることを論じている。

 

一見すると、セックスは社会や政治の介入しない、個人と個人のプライベートな関係のように思える。しかし、著者は、セックスには社会制度や社会の価値観が介入している、と説く。政治的、経済的、市民権的な女の劣位はセックスの場において確認・強化されると言うのだ。

 

父権制社会が続いてきた中で、虐げられてきた女性たちや体制を著者は鋭く指摘する。たとえば、男にとって、女の身体を使用しセックスで女を搾取する権利は、男の側の徹底的な傲慢さと自分が全て所有しているという感覚から生じる悪夢的次元を備えているらしい。物としての女は、男のこうした悪魔的次元をそそのかしてはならない。さもないと、女の身体は彼の物ではないという認識に男は苦悶することになるというのだ。

 

オルレアンの解放を指揮したジャンヌ・ダルクは男の衣服を身につけ、男の中で暮らした(軍隊の中では兵士たちに混ざって眠ることもあった)。彼女は宗教裁判で魔女、異端、魔術など70の罪で告発されて火刑となった。著者によれば、ジャンヌが本当の意味で危険視されたのは、彼女の存在が女に対する男の権力を否認し、伝統的価値をくつがえしかねなかったからだと言う。

 

なにを着るか。なにを発言し、社会にどのような形で参加するか。自分のことは自分で決めるという自己の選択は、存在としての独立性のしるしだとの著者の分析は、多くの示唆を含んでいる。

 

本書で主題にされているのはキリスト教文化を基盤にする欧米の状況だが、男女の性差別問題や性の解放問題は日本人にも無縁ではない。女性の社会進出が進んでいるとはいえ、性をめぐる強迫観念や不合理な情緒は、今なお、人間文化にはりついたままだ。
従来、あまり気づかれていなかった角度から様々なヒントを与えてくれる、性の実体を追求する人間文化の書だ。

 

『インターコース―性的行為の政治学』青土社
アンドレア・ドウォーキン(訳)寺沢みづほ 

この記事を書いた人

馬場紀衣

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文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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