大切なことほど小さな声で語られ、見えないものの中にこそ真実が潜んでいる

横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店

『流星シネマ』角川春樹事務所
吉田篤弘/著

 

 

目には見えないものを、聴こえない声を――広い集めてしげしげと眺め、言葉という形にして世界に紡ぎだすのが、小説家の仕事なのかもしれない。その言葉は、その声は、心の深い場所にまで染み渡り、思いもよらない感情や景色を呼び起こす。
ただ、忘れていただけ。どうすることもできなくて、放り込んでしまっただけ。その場所では、子どもの頃の私もすやすやと眠っていて、物語の中で見つけた言葉をお守りのように、そっとその子の隣に置いてあげたい。悪い夢から守ってくれるように、ふいに目覚めたとき、さびしい思いをしないように。

 

『流星シネマ』の主人公の「僕」はある町のガケ下に暮らしていて、子どもの頃から出入りしている編集室で流星新聞という名の新聞を作っている。ただ、この新聞は新聞とは名ばかりのもので、編集長のアルフレッドが25年ほど前から細々と続けているタウン誌のようなものだ。編集室はアルフレッドの住居兼仕事場でもあるけれど、幼いころの僕も本を読むためにこの場所を訪れていたし、遠くからふらりと立ち寄るような人もいて、今も昔も開かれた場所だ。人々が立ち寄り通り過ぎ、年月はいたずらに過ぎていったけれど、この場所はいつも変わらずここにあった。錆びついた青い星は、この場所がこの場所である目印のように今日も入り口に飾られている。

 

ガケ上には給水所や駅があり、ガケ上とガケ下の幅は15メートルほどである。20年前、今は暗渠になっている川に一頭の鯨が迷い込んできたことがあった。さらに200年前にも巨大鯨が迷い込んできたという言い伝えもあって、絶命した鯨の亡骸を埋葬するために作られたのが「鯨塚」であり、のちにガケになったという人もいる。しかし、アルフレッドはその話を「マユツバ」だといい、星が落っこちて、出来たへこみがガケになったのだと一貫して主張している。(だから彼の作る新聞は流星新聞なのだ)
どちらにせよ、もう確かめようもなく、真実を知ることができないガケにまつわるあれこれは、この町に暮らす人々に、少なからず影響を及ぼしているものであった。

 

物語が動き出したのは、ガケ上からガケ下に吹き込むように、黒いコウモリのような傘が降ってきたあの日からだった。その日の昼、僕より一つ年上のミユキさんが久しぶりにこの町に戻ってきた。ミユキさん憧れのメリー・ポピンズ・スタイルのあの頃の姿のままで。アルフレッドが故郷に帰ることになり、僕が一人で流星新聞を続けていくことになった。ガケ上に一人暮らす編集者のカナさんが、何かの暗示のように「シ」を書きなさいと繰り返し伝えていた。怪しい鞄を抱えた男が変わらない日常に波紋を呼び起こし、記憶が薄れつつあるあの夏の出来事を思い出す。

 

やがて、大雨が降り崩れ落ちたガケから巨大な鯨の骨が見つかった。ある人には「マユツバ」であり、ある人には希望の象徴のような、あの伝説の鯨の骨だ。幻だと思われていたものが、現実に手で触れられる物体として姿を現したこと。それは、新たな始まりを予感させるものだった。
そして、アルフレッドのカメラの中に、あの夏姿を消した――忘れられない、忘れてはいけない少年の姿を見つけた。転校生のアキヤマ君と、僕と幼馴染のゴー君と、ミユキさんと4人で輝くような時間を過ごした日々があった。けれど、あの大雨の日、アキヤマ君は風にかき消されたかのように僕たちの前から姿を消した。記憶は曖昧で心許なく、思い出そうとすると頭に霞がかかったようになる。激しい衝撃と大いなる喪失。本当はそんな人なんていなかったのかもしれないと思えたら、どんなに楽だっただろう。

 

アキヤマ君は繊細で聡明な少年だった。小さな声に気づき、見えないものを感じる特殊な能力を持ち、みなに好かれ、“僕たち”の青春を照らしてくれていた、かけがえのない人だった。太陽のような明るさと、月のような冷静さを持った特別な友人だった。
彼がいなくなったことで、世界は灰色に染まり、僕はうまく呼吸をすることができなくなってしまった。でも、鯨の骨が見つかったことで、忘れていたアキヤマ君の声や姿かたちがありありと蘇ってくるように感じられた。「真実を知ること」はアキヤマ君の願いであり、夢だった。

 

「僕」は重く沈む冬の世界で基調音「ラ」を奏でながらゆらゆらと漂い続けていた。その音が鳴り響いている世界では、幻の鯨が悠々と泳ぎ、大切な人が今なお生きていたからだ。僕がその音を奏でるのをやめることは、忘れてはいけないものを忘れることであり、手放すことだと思っていた。でも、そうじゃなかった。「ラ」の世界でも、「シ」の世界でも鯨は自由に泳いでいたし、彼は聡明な瞳を宿したまま軽やかな足取りで歩いていた。今まで出会った誰一人、どの時間が欠けていても、ここまでたどり着くことはできなかった。過去と今が手をつなげたことで、僕はやっと自分の言葉で「シ」を紡いでいける。

 

大切なことほど小さな声で語られ、見えないものの中にこそ真実が潜んでいる。生れ落ちた時は全てを知っていたはずなのに、大人になるにつれ手のひらから零れ落ちるように、忘れてしまった大切なことだ。でも、その入り口はいつでも私たちのすぐ傍にあって、気づいていないだけで常に開かれている。
そこには、鈍い光を放つ星が飾られているかもしれないし、やさしい音色が重なりあり響き渡っているかもしれない。そして、この物語が目印のようにそっと置かれているのだ。

 

『流星シネマ』角川春樹事務所
吉田篤弘/著

この記事を書いた人

横田かおり

-yokota-kaori-

本の森セルバBRANCH岡山店

1986年、岡山県生まれ。担当は文芸書、児童書、学習参考書。 本を開けば人々の声が聞こえる。知らない世界を垣間見れる。 本は友だち。人生の伴走者。 本がこの世界にあって、ほんとうによかった。

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