インドの各地を巡る、12編の物語 『インド夜想曲』

大南武尊 研究員

『インド夜想曲』白水社
アントニオ・タブッキ/著 須賀敦子/訳

 

 

不眠の本であるだけでなく、ミスティックなミステリの本

 

インド夜想曲とは、どんな本なのか。
インドは国名。ノクターン(夜想曲)とは、たゆたうような音楽。
インドに関する音楽だろうか。

 

プロローグにはこう書かれている。

 

これは不眠の本であるだけでなく、旅の本である。
不眠はこの本を書いた人間に属し、旅行は旅をした人間に属している。
しかし、この本の主人公が旅したいくつかの場所へは、私自身も行ったことがあるので、
かんたんな道案内を付けることが適切と思われた。
地図上の場所リストが、現実だけが持つ威力を発揮して、《影》の探求であるこの《夜想曲》になんらかの光をもたらすかも知れないという錯覚が私にこんなことをさせたのかどうか、よくわからない。それとも、こんなつじつまのあわない行程をあいしてしまった誰かが、いつか、これをガイド・ブックとして活用するかも知れないという、ばかげた希望がさせたことか。

 

これが、本書のすべてである。

 

しかし私は、この本は不眠の本であるだけでなく、旅の本であるだけでなく、ミスティック(mystic)なミステリ(mystery)の本であると思う。
なぜなら、仕掛けが巧妙すぎて謎は深まるし、読み終わった瞬間に本書の意図に気づくと同時に新しい謎が生まれるからだ。
だから、最初から読み直してしまう。

 

本書は、インドで失踪した友人シャビエル(Xavier)を探すため、主人公がインド各所を旅する12篇の物語から成り立つ。
主人公は訪れる各所でシャビエルの影を追いかけるが、彼はいつもタイミングよく他の場所へと旅立ってしまう。
ボンベイ、マドラス、ゴア。実在する場所が舞台のため旅行記のように読みやすく、軽妙な筆致で描写が生々しい。
それでいて物語は幻想的であり、白昼夢を見ているようだ。夢と現を行き来する間に、インドを惑う主人公に憑依したかのような感覚に襲われる。

主人公とともにシャビエルの影を探す旅が進むにつれ、読者の抱く疑問が膨れ上がる。

 

シャビエルとは何者か。主人公は誰なのか。すべては夢想なのか。

 

生々しいインドと夢想的な出来事と粋な台詞。これらの引力で、一気にページが進んでしまう。鬼才タブッキによる仕掛けの巧妙さも、もう一つの引力である。プロローグの機能、名前の意味、ダブルミーニング、台詞の伏線……。

 

最後の旅にて、本書の真実に “肉薄” する。そしてすべての旅が終わったとき、一見ばらばらだった12篇のたゆたう旅は、ひとつの夜想曲として機能しだす。
きっと、読者はまた最初から旅に出たくなるだろう。

 

ここでは旅を楽しんで進めるための道案内として、仕掛けのいくつかに軽く触れよう。もちろん “かんたんな” 道案内である。

 

不眠の旅の本の中にある、旅の本

 

12篇のうち、シャビエル探しが語られているのは7篇のみである。残り5篇は、一見関係ない旅行記のような内容が書かれている。
しかし上でも述べたように、すべての旅を終えるとばらばらだったピースが一つのまとまり、調和のとれた旅の本になる。

 

これが扉で語られた「ガイドブック」としての機能である。
ガイドブックは読み手がその瞬間、不必要と思える情報さえ載っている。しかし、こういった情報は、大体旅が進むにつれて役に立つ。

 

面白いことに1章で主人公は、「ロンドンで買ったIndia, a travel survival kit」というガイドブックを購入したことを言及している。しかも「一見何の役にも立たない情報」が記載されている。しかし主人公は、このガイドブックを”のちに”役に立つと称している。

 

インド夜想曲という旅の本に、旅の本が入っている入れ子構造が実に面白い。

 

名前の仕掛けも興味深い。
主人公のあだ名はルゥ(Roux)であり、ポルトガル語のRouxinol(サヨナキドリ)の頭文字であることが示唆されている。
またシャビエルは、ある協会に送った手紙の中で、自分のことを夜の鳥(night bird)と述べている。更に泊まっていたホテルでは、ミスターナイチンゲール(nightingale:サヨナキドリ)と呼ばれていた。

 

サヨナキドリは夜行性の鳥(night bird)で、夜の間活動し続ける。
まるで不眠で夜更かしをしているみたいである。

 

 

本書は、イタリア現代文学の巨匠アントニオ・タブッキと、イタリア文学翻訳家須賀敦子による作品である。
タブッキの巧妙な構成をそのままに、須賀氏の絶妙な言葉選びで、原作の幻想性をそのままに保っている。一度読み始めると、睡眠を忘れてしまうほど牽引力で読み進めてしまうだろう。

 

この夜想曲は映画化もされており、映画という媒体を活かしタブッキの仕掛けを至妙に表現している。そちらもまた夢想的で一興である。

 

私の道案内はここでフィナーレを迎える。
それでは、夜のインドへ旅に出よう。

 

『インド夜想曲』白水社
アントニオ・タブッキ/著 須賀敦子/訳

この記事を書いた人

大南武尊

-ominami-takeru-

研究員

理論物理修士課程修了後、リトアニアのレーザー会社にてエンジニアとしてインターン。画像処理やレーザー評価等を行う。その後、AI研究員として化粧品会社に入社。機械学習やデータ分析、画像処理でデジタルビューティ創出に従事。最近はアクセラレーションプログラムの運営も行う。 興味の対象は、ネットワーク(理論と実践、人と人、言語と言語等任意の事象)の形成と遷移、科学と藝術の境界線、事象の表現方法、おいしいスイーツ。

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