“神”としてのニホンオオカミを追う…日本文化の古層への旅

藤代冥砂 写真家・作家

『オオカミの護符』新潮社 
小倉美恵子/著

 

自分が何処からやって来たのか。

 

ふと気になって親や親類に連絡を取り、姓の出自を調べたのは20年ほど前の夏だったか。
季節の病に罹ったかのように、寝ても覚めても、そのことが気になって、図書館へ行き、本家の檀家寺の住職を尋ねて過去帳を紐解いてもらったり、人伝の話を聞いたり、検索サイトがおぼつかなかったあの時代に、個人ができるようなことをやり尽くして調べた。

 

藤代一族というのは、千葉に多いのだが、もともとは紀州の出であり、鈴木家発祥の地として有名な藤代神社の辺りが本拠だろうと分かった。

 

実際、和歌山県海南市にある藤代神社に赴き、宮司さんに話を聞くことで、取り憑かれたような好奇心を一旦は畳むことができた。
さらに文献を辿れば、物部氏へと繋がることも分かった。

 

だが、冷静に考えれば、藤代の血は、自分に流れるそれの極々一部でしかない。代々の配偶者の血筋だけでも、相当な数で、たとえ藤代の出が分かったところで、自分のルーツ全体を把握したことには、全くならない。というか、三代戻るだけでもすでに藤代筋は八分の一に過ぎないのだから。

 

それでも、自分の中に確実に流れている血筋のルーツを辿れただけでも、深いところから湧き上がる安堵を感じられた。それは、経験したことのないような大きな何かであり、属することへの肯定感が下地にあることは言うまでもない。

 

本書『オオカミの護符』は、著者が、生まれ育った神奈川県川崎市宮前区土橋の高度経済成長を通しての大変化に対する戸惑いが発端になっていて、失われてしまった、もしくは、消えつつあるかつてそこにあった人の暮らしを記録していくことから始まるノンフィクションだ。

 

はじめは、村で百姓をしていた古老を訪ねて話を聞き、伝統行事を記録することが主な活動であったが、実家のふるい土蔵の扉に貼ってあった紙片に描かれていた黒い犬科の動物の存在が、やがて好奇心の軸になっていく。

 

その黒い動物は、やがてニホンオオカミに他ならないと分かるのだが、その過程で芋づる式に出てくる日本の古層文化との出会いが、本書の愉しみだろう。

 

今は都会に住む著者が、山へ山へと人から遠のいて行くように入っていく導線は、週末のレジャーとして「自然の多い土地」に入って行く人々のそれとは違っていて、自身のルーツへとひたすらに向き合って行く、なにか鎮魂めいた静かな迫力がある。

 

私が20年前に、藤代姓のルーツを辿って取り憑かれたように和歌山県へと向かった旅とそれは重なり、ある人々には、自分の出自を何かしら掴みたくなる頃があるのだと感じた。

 

土橋には、御獄講があり、それは武蔵御獄神社への信仰である。オオカミの護符は、その講によって村人にもたらされたものである。

 

オオカミは、お犬様と呼ばれ、親しまれて来た。農家にとっては、鹿や猪などの作物を荒らす害獣を退治してくれる神様であり、気高い存在であった。また現代でいう精神病である狐憑きになった人を治してくれる存在としても知られ、家に護符を貼ることで、その守護の中に入れるとされていた。

 

その神様であるニホンオオカミが暮らす山は、元来そのものが信仰の対象とされてきた。修験道はその典型であるが、里に暮らす民衆にとっても、朝暮に手を合わせて拝む神様であった。

 

著者はオオカミを祀る文化を追って、山へと入っていくに従って、かつての日本文化において、山が今とは違う位置にあったことを知る。
現代においては、都会との対比から、どうしても僻地とされてしまうのだが、日本の古層文化においては、むしろ最先端の文化が生まれていた中心地であったというのだ。

 

関東平野はかつては蛇行する大河の氾濫に悩まされ、まともな街道が定まらない時代があったという。その頃に文化の交流点として賑わったのは、山を越えてこちらとあちらの文化を繋ぐ峠であった。

 

とりわけ秩父は、峠が多くあり、そこでは市がたち、そこから里へと文化や流行が平野部へと下っていった。年頃の男女が出会う縁結びの場所でもあった。

 

また山の麓の町である秩父は、鎌倉幕府に多くの有能人材を送った土地でもあり、千葉、川崎、川越、江戸、などの地名は鎌倉幕府に仕えた秩父発祥の武士団が元である。また、博打は、もともと山師のたちの文化であり、それが平野に下って定着した。などなど、山の文化が里に下ったとされるものは多く、かつての山と町との関係が今とは違うことに驚く。

 

そして、その山の文化の中心にいたのが、オオカミだった。

 

知っての通り、ニホンオオカミが絶滅してから100年以上過ぎている。ただ、いまだに秩父山塊では、目撃情報や、遠吠えを聞いたという報告があることから、もしかしたらという期待もある。

 

だが、ひとまずはお犬様は消えてしまったことになっている。神様の使いである眷属としてのニホンオオカミ、もしくは神そのもののニホンオオカミ。

 

それは古層文化の消失の象徴とも受け取れるし、一方で、目に見えない畏れ多き者として人々の信仰の中に残ってもいる、ともまだ取れる。

 

本書は、自身の古層へと、日本文化の古層へと旅する好奇心をとても高めてくれる。その手触りは、単なる歴史深訪や懐古趣味からは遠くて、今なお都会の裏に潜んでいるお犬様だったり、面々と引き継がれている古文化の呪術が、自分だけには見えるようになりそうな魅力に満ちている。

 

『オオカミの護符』新潮社 
小倉美恵子/著

この記事を書いた人

藤代冥砂

-fujishiro-meisa-

写真家・作家

90年代から写真家としてのキャリアをスタートさせ、以後エディトリアル、コマーシャル、アートの分野を中心として活動。主な写真集として、2年間のバックパッカー時代の世界一周旅行記『ライドライドライド』、家族との日常を綴った愛しさと切なさに満ちた『もう家に帰ろう』、南米女性を現地で30人撮り下ろした太陽の輝きを感じさせる『肉』、沖縄の神々しい光と色をスピリチュアルに切り取った『あおあお』、高層ホテルの一室にヌードで佇む女性52人を撮った都市論的な,試みでもある『sketches of tokyo』、山岳写真とヌードを対比させる構成が新奇な『山と肌』など、一昨ごとに変わる表現法をスタイルとし、それによって写真を超えていこうとする試みは、アンチスタイルな全体写真家としてユニークな位置にいる。また小説家としても知られ著作に『誰も死なない恋愛小説』『ドライブ』がある。第34回講談社出版文化賞写真賞受賞

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