一人の人間を救うために、私たちはまっすぐ手を差し伸べることができるだろうか?

横田かおり 本の森セルバBRANCH岡山店

『団地のコトリ』ポプラ社
八束澄子/著

 

 

「悲しみのないー 自由な空へ、翼はためかせー 行きたいー」

 

下の階から聞こえてきたのは、きれいなソプラノの歌声だった。どこまでも羽ばたいていけそうな、伸びやかな女の子の声。部屋には「柴田のじいちゃん」しか住んでいなかったはずなのにと思いながら、うつくしい歌声に美月はそっと耳を澄ませる。この女の子はどんな姿をしているのだろう。どんな暮らしをしているのだろう。きっと、しあわせに暮らしているのだろうな。そう自然と思うような、心にまっすぐ届く歌声だった。

 

美月は母とインコのピーコと三人で、団地に暮らす中学三年生の女の子。父は美月が四年生のとき、過労で亡くなった。保育士の母は忙しく家にいないことも多い。そんなとき、美月はピーコと二人で過ごしている。ピーコは亡くなったおばあちゃん仕込みの「桃太郎」を語るおしゃべりさんで、大切な家族の一員だ。生活は有り余るほどの豊かさに満ちてはいないけれど、美月は充分にしあわせだった。

 

ある日、学校から帰ってきた美月は、あまりの暑さに窓を開けたままピーコをかごから出してしまう。気づいたとき、部屋の中にピーコはいなかった。慌てて外に飛び出した美月は、必死にピーコの名前を呼ぶけれど、見つからない。ふと、ひらめいて桃太郎の一節を口にすると「スッコッコ」というピーコの声が聞こえてきた。ピーコは美月の部屋の下に住む「柴田のじいちゃん」の部屋の網戸に引っかかって身動きが取れなくなっていた。

 

柴田のじいちゃんは、かつて団地のヒーローで自治会長もしていたが、数年前に奥さんを亡くしてからひとが変わったようになってしまった。頑固で怒りっぽくなって、付き合いを断ち、奥さんと二人で暮らしていた部屋に一人で暮らしている。
美月が外から叫ぶと窓が開いて、ポテトチップスの袋と、ふすまの向こうにいる誰かの顔が見えた気がした。じいちゃんはピーコを助けてくれたけれど、美月を冷たくあしらい、あっという間に窓を閉めてしまった。

 

あじさいの咲く頃、じいちゃんの部屋をふと見ると珍しく窓が開いていて、女の子の顔がのぞいていた。小学校高学年くらいに見えるその子は色が白くて切れ長の目を持つ、とてもかわいい女の子だった。時折、じいちゃんの部屋から聞こえてくる女性たちの声を、不思議に思っていた。大人の女性と子どもの笑い声。きれいな歌声はきっと、この子のもの。二人を外で見かけたことはないけれど、親戚のひとかなにかだろう。じいちゃんも久しぶりに、しあわせな時間を過ごしているんだろうな。

 

夏が過ぎ、二学期を迎えた。柴田のじいちゃんを見かけなくなって、一か月が過ぎようとしていた。母親が「じいちゃんが夏にスーパーで倒れ救急車で運ばれらしい」といううわさを耳にした。倒れたとき、子どもの喜びそうなお菓子が袋いっぱいにつめこまれていたとも。じいちゃんのところへお見舞いに行った母親は「じいちゃんは意識が戻っていない。家に電話しても誰も出ないし、誰もお見舞いに来ていないみたい」とつげた。急いで下の階に行くと、あの子のかすかな歌声が聞こえてきた。さらに一週間後、敬老の日のお祝いを持ってきた民生委員のひとがじいちゃんに会うことができず困っていた。誰もいないはずの部屋で、クーラーの室外機が動いていた。ついに窓が内側から開いて、消え入りそうな声がこう訴えた。

 

「・・・・コトリちゃん」「・・・・助けて」

 

美月の住む部屋の下では、想像もできないようなことが起こっていた。美月のことを「コトリちゃん」と呼んだのは、浮田市に籍のある11歳の陽菜という女の子だった。インコを探しにきた軽やかな足取りの女の子、だから美月のことを「コトリちゃん」と呼んでいたらしい。陽菜は母と二人、各地を転々としている居所不明児童だった。学校にはほとんど行ったことがない。児童養護施設にいたとき、母が突然迎えに来て、じいちゃんの部屋で暮し始めた。公園で倒れた母を柴田のじいちゃんが助けたことがきっかけで、身を寄せさせてもらうことになった。誰にもばれないように、どこにも出かけず、じいちゃんの部屋で息を潜める日々。見つかったらまた二人離れ離れになると、陽菜は母にきつく言われていた。陽菜自身も、またお母さんと離れて暮らしたくなんてなかった。陽菜の望みはお母さんと二人、しあわせに暮らすこと。ただ、それだけだった。
差し伸べられた手はいくつもあった。けれど、うまく手をつかむことができなかった。そして、つかむことすらやめてしまった。小さな間違いが積み重なって道は大きく逸れ、どうすることもできなくなった。

 

私が美月の立場だったなら、美月の年齢でこんな場面に遭遇したら、私は美月のようにまっすぐ手を差し伸べられただろうか。できなかっただろうと思う。そして、今の私にもできないことだとも。自分のことを投げやってまで手を差し伸べる勇気が、私にはやっぱりない。自分のことを、冷たく意気地のない人間だと思う。

 

だから、私は私にできることを考える。実際には足が竦んでしまうかもしれなくても、懸命に考え続ける。誰かのことを、本当に助けたいのならまず、自分自身が強くなくちゃいけない。人を救うと決めたなら、覚悟と責任が伴う。たしかな知識と、冷静な判断力もいる。そして何より、手を差し伸べる強さがいる。今の私にないものばかりで、課題は山積みだけれど、私のスタート地点はまずここからだ。
私に本当にできるだろうか?向き合うことができるだろうか?弱気になって、はたと思い出す。物語の中で、少女たちはやってのけたじゃないか。私よりうんと若いのに、最後まで諦めなかったじゃないか。
逃げだしそうになったなら、少女たちの未来を信じる強さを思い出し勇気を奮い立たせよう。何度でも、何度でも。

 

『団地のコトリ』ポプラ社
八束澄子/著

この記事を書いた人

横田かおり

-yokota-kaori-

本の森セルバBRANCH岡山店

1986年、岡山県生まれ。担当は文芸書、児童書、学習参考書。 本を開けば人々の声が聞こえる。知らない世界を垣間見れる。 本は友だち。人生の伴走者。 本がこの世界にあって、ほんとうによかった。

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