すごすぎて、宣伝用のPOPに何を書けばいいのかわからない。柴崎友香の豊饒な小説世界に浸る

内田 剛 ブックジャーナリスト

『百年と一日』筑摩書房
柴崎友香/著

 

 

なんと豊穣な文学世界なのだろう。読みながら何度ため息をついたか分からない。改めてこの作家の視線の確かさと表現力の逞しさを実感させられた。正直なところお手上げ状態なのだ。この作品の良さを語るほど野暮な行為はないのかもしれない。とにかく読んでもらうしかない。この凄さを体感してもらうしかない。POPの文言は「・・・」となってしまうだろう。素晴らしすぎる物語と対峙したらただ立ち尽くすしかない。久しぶりに本気で言葉を失った一冊だ。無茶を承知でその魅力の一端を紹介したい。

 

まずは『百年と一日』というタイトルに魅かれる。まさに一瞬を永遠に閉じこめたようなイメージだ。かけがえのない瞬間の連続でこの世は出来上がっている。時間は誰にでも等しく流れているが、時の経ち方をあえて意識している人間はほとんどいないだろう。この物語はそんな当たり前の日常が、愛おしい時間の積み重ねで構成されているのだと気づかせてくれる。普通に思える人生も実は様々なドラマによって彩られていると感じさせてくれる。読みながら目の前の風景、その色合いの変化を感じることだろう。それだけでも一読の価値があるといえるのだ。

 

タイトルの次は目次を凝視してもらいたい。こんなにも物語を感じる目次は記憶にないほどだ。ここには独立する二十七の掌編のタイトルが並んでおり、「娘の話」と「ファミリーツリー」という二編がそれぞれ(一)〜(三)あって絶妙に挟み込まれている。幹と枝葉の絡み合うような関係性もあり、構成もまた見事だ。最初の一編のタイトルはこうである。

 

「一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して二年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話」

 

もはやこれだけで奥深い文学性を堪能できる。物語に刻まれたさまざまなエピソード、人や街の記憶、それらはもちろん小説内で繰り広げられるフィクションなのだが、なぜか読んでいる自分自身の幼き思い出と重なり、また住んでいた土地のルーツまでも見えてくる。どことなく懐かしさ、切なさ、哀しさ、温かさが感じられて、不思議なくらいの普遍性があるのだ。これまた著者特有のテクニックなのである。

 

柴崎友香はデビュー時から追いかけている作家であるが、芥川賞受賞作『春の庭』をはじめ、作品から伝わってくる時間と場所を切り取るフレーム感が印象的だ。本当に時の経過の描き方と、細やかな感性で見たものをありのままに俯瞰する視線が素晴らしい。高感度の写真のようにある瞬間を一瞬に刻みつける「静」の巧さがあれば、映写機を覗くようにひとつひとつの情景を追いかけるような「動」の技にも長けている。本作『百年と一日』にもその最大長所が存分に堪能できるばかりか、地層となった人間の営みをも感じさせるまさに進化形も味わえる。文学の凄みがここにあるのだ。さらに今後どんな物語世界を極めていくのか楽しみでならない。だめ押しでものづくりとしての造本の良さも付け加えておこう。「装丁・本文設計」担当の名久井直子の仕事ぶりも鳥肌もの。ぜひ手に取って感じて欲しい。もうこれ以上、出るため息はない。

 

『百年と一日』筑摩書房
柴崎友香/著

この記事を書いた人

内田 剛

-uchida-takeshi-

ブックジャーナリスト

1969年生まれ。約30年の書店員勤務を経て2020年よりフリーに。 文芸書ジャンルを中心に各種媒体でのレビューや学校図書館などで講演やPOPワークショップを実施。NPO本屋大賞実行委員会理事で設立メンバーのひとり。POP作成を趣味として書いたPOPは4000枚以上。著書に『POP王の本!』(新風舎/絶版)がある。

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