ふり落ちる/ひとひらの雪を/受けとめる/手のひらのように/とかしてくれる

竹内敦 さわや書店フェザン店 店長

『八月の銀の雪』新潮社
伊与原新/著

 

自然の摂理や動物の生態、人智を超えて美しい。奇跡的なほど合理的。科学を突き詰めていくと「神」のような存在を信じたくなる、かもしれない。複雑で絶妙なバランスに成り立つ世界には似たようなパターンもあって、未知の世界もパターンから想像できる。人間の心についても自然の摂理のパターンから説明できるのではないか。困難な状況を乗り越えるヒントがあるのではないか。

 

人生において閉塞的な状況にある人たちの5編の物語。就活が全くうまくいかない大学生、希望の持てないシングルマザー、情を捨てて働かなければいけない不動産管理会社の契約社員、恋人と同僚に裏切られたOL、会社の黒い部分を許せず退職した男。自分をとりまく厳しい状況に、理不尽な社会に、不満をもちときに愚痴を言う。それでも抜け出そうとあがいている。あがいているが抜け出せない。そして偶然の出会いが変えてくれる。科学との出会い。物理学、化学、生物学、地学。自分の状況とリンクして、あがいていた枠を壊してくれ、癒してくれる。科学に触れることで希望を見いだし前向きになれる素敵な小説たちだ。

 

前作「月まで三キロ」に続く短編集だ。苦しみから救ってみせる小説は数あれど、特別なのはそれが自然科学だということ。シリーズと言ってよければ、理系ゴコロをくすぐる最高に素敵なシリーズだ。勝手ながら既に続編が待ち遠しい。

 

「月まで三キロ」は私にとって、読み返しては心を満たされている至高の1冊だ。真っ先に感じたのは「月まで三キロ」とは似ているけどなんか違う、ということだった。少し変化したと言うべきかもしれない。どちらも、科学の原理や自然の法則を知ることで心の苦しさから救われる物語。違うなと感じたのは「科学」と「心」の距離感。それと人物や環境の身近感。「月」は遠くて「雪」は近いのだ。

 

「月まで三キロ」の主人公が絶望の中にいて受け入れたりあきらめたりしていた人々なら、こちらは絶望の手前で何かあがいてる人々。より人間らしさが強い。醜い部分もある。それは言ってしまえば読んでいる自分自身にも重なり、主役脇役の登場人物の醜い部分も鏡のようにうつりみえてしまう。これは自分だと思えば少々息苦しい。より現実的で、より住みにくい社会が身近だ。乱暴に言えば「月まで三キロ」が他人事なら、こちらは自分事。同情ならこちらは共感、シンクロ。鍵となる科学の知識もより直接的だ。ストレートでド直球。まるで「童話」と「寓話」。どちらも好きだ。もっともっと読みたい。

 

「月」が遠くから照らすなら、「雪」は実感を持って直接触れるもの。そんなうまいことをタイトルにからめただろうか。次はどんなタイトルだろうか。

 

『八月の銀の雪』新潮社
伊与原新/著

この記事を書いた人

竹内敦

-takeuchi-atsushi-

さわや書店フェザン店 店長

声に出して読んだら恥ずかしい日本語のひとつである「珍宝島事件」という世界史的出来事のあった日、1969年3月2日盛岡に生まれる。地元の国立大学文学部に入学し、新入生代表のあいさつを述べるも中退、後に理転し某国立大学医学部に入学するもまたもや中退、という華麗なるろくでもない経歴をもって1998年颯爽とさわや書店に入社。2016年、文庫のタイトルを組み合わせて五七五を作って遊んでいたら誰かが「文庫川柳」と名付けSNSで一瞬バズる。本を出すほどの社内のカリスマたちを横目で見ながら様々な支店を歴任し現在フェザン店店長。プロ野球チームでエース3人抜けて大丈夫か?って思ってたら4番手が大黒柱になるみたいな現象を励みにしている。

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