ビックリするくらいつまらなかった本が、いつか心に響く傑作に変わる日がくる

金杉由美 図書室司書

『銀の夜』光文社
角田光代/著

 

 

唐突だが、サリンジャーの話から始めたい。

 

「ナインストーリーズ」を初めて読んだのは小学校高学年の時。
皆が読むサリンジャーを我も読んでみんとして文庫を買うなり。
そうしたら、これがもう、まったくビックリするくらいつまらなかった。
高校生の頃、念のために再読。
そうしたら、これがもう、まったくビックリするくらいすばらしかった。
「サリンジャー、大好き!」って「太宰治、大好き!」くらい公言しにくいけれど、あえて大きい声で言いたい。サリンジャー、大好き!
「ナインストーリーズ」におさめられた9つの短編の中のうち「コネティカットのひょこひょこおじさん」。特に、これに魅かれまくった。
学生時代のルームメイトで今は主婦になった二人の、久々の再会が描かれている。
昔話をしながら散々に酔っ払い泣いたり笑ったりの一夜。
オールタイムベスト級に好きな作品なのにもかかわらず、どこがそんなにも心に響くのか、自分でもよくわからないままだった。

 

「銀の夜」を読んでいるときに、その理由が突然パタパタと頭の中で解析され、しっくりゆっくりと腑に落ちてきた。

 

「銀の夜」は、女子高の同級生だった3人の物語。彼女たちには、おニャン子クラブが流行って女子高生ブームがきた時代に現役JKガールズバンドとして芸能活動をしていた過去がある。
二十年がたった今、専業主婦のちづるは夫の不倫に気がつかないふりをしている。麻友美は娘の芸能界デビューを狙っている。伊都子は大物翻訳家である母との関係がこじれている。それぞれが、自分でも説明の出来ないもやもやとした心のくもりに悩まされていた。
客観的に見れば何も不自由のない生活をおくっているのに、満たされない。
気がつかないふりをしているけれども、大きな欠落がどこかにある。
そしてその欠落は恋でも仕事でも趣味でも埋めることが出来ない。
かつて、無敵の女子高校生で親友同士だった彼女たち。
「人生のうちで、もっとも輝き華やかな時期はもうとっくに終わってしまっているのではないか」
そんな不安がじりじりと胸を焼く。
3人がバンドを組んでいた時代に戻りたいわけではないけれど、あの頃の自分たちはこんな闇を抱えていなかった。いつの間にか深く穿たれていた穴に彼女たちは囚われてしまい、お互いを思いやる気持ちも失くしていた。たまに顔を合わせてもみんなどこか上の空。自分の悩みと孤独に向き合っているだけ。

 

女子の友情は「同盟」と同義だ、という説を聞いたことがある。
その同盟は共感というツールで繋がれている。
だから結婚や出産で社会的立場が変わって共感が失われれば同盟も消滅してしまう。
それは真理かもしれない。学校を離れて、バンドも解散して、違う道を歩んで。そんなふうに共通の話題がなくなってしまったら疎遠になるのも仕方がないかもしれない。
でも女子の共感力をなめてはいけない。なめてはいけないのだ。

 

ある日突然伊都子に危機が訪れ、彼女からのSOSにちづると麻友美は応じる決心をする。それはもう、ためらいもなく即座にするりと決心する。それが伊都子にとってどうしてもやらなければならない何かなら、他の二人にとってもやり遂げなくてはならない何かだから。
同盟再び。
かくして、かつて無敵の少女だった3人による大作戦が決行される。

 

「コネティカットのひょこひょこおじさん」のヒロインも、自分の人生の頂点はもうとうに過ぎてしまったという喪失感を抱えている。大切なものをあの時代に置いてきてしまったかも知れないと怯えている。
親友と過ごした一夜は思い出と過去の自分を甦らせ、目をそらしていた今の生活の欠落を陽にさらしてしまった。
可能性に満ちて可愛らしく可哀そうだった、過去の自分。
愚かで残酷で無邪気だった、あの頃の自分。
でも。
やがて彼女たちは何事もなかったかのように前を向いてまた歩きだすだろう。
なにしろ女子は、とてつもなく感傷的だけど、おそろしく現実的なイキモノだから。

 

こちらもおすすめ。

『ナインストーリーズ』新潮社
J・D・サリンジャー/著 野崎考/翻訳

 

やっぱり小説には読むに適した年齢や状況があるのだなーと、しみじみ思う。
ぴったり合ったときに出会うことが出来たら生涯忘れられない一冊になるし、時期を逸したら残念なただの「名作」で終わってしまう。タイミング大切。

 

『銀の夜』光文社
角田光代/著

この記事を書いた人

金杉由美

-kanasugi-yumi-

図書室司書

都内の私立高校図書室で司書として勤務中。 図書室で購入した本のPOPを書いていたら、先生に「売れている本屋さんみたいですね!」と言われたけど、前職は売れない本屋の文芸書担当だったことは秘密。 本屋を辞めたら新刊なんか読まないで持ってる本だけ読み返して老後を過ごそう、と思っていたのに、気がついたらまた新刊を読むのに追われている。

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