オシャレなのは誰なんだ『40歳までにオシャレになりたい!』 

鈴木涼美 作家

『40歳までにオシャレになりたい!』扶桑社
トミヤマユキコ/著

 

かつて時代がもう少しシンプルで、全ての女がたった3種類に分かれていた頃、私はその一番右側のグループで、不自然なほど肌を焼いたり、布の存在よりも布の不在が目立つ服を着たり、目の周りを黒く塗ったり、eggを購読したりしていた。当然、個性やスタイルを追求する気などさらさらなく、時代の要請と時代を楽しむ気合いでそうしていたのであって、当時の渋谷センター街の雰囲気を知らない外国育ちの人から前衛的だねとかアートだねとか言われても全くピンとこないどころかワカッテナイナと思うだけだ。オシャレポリシーを全部放棄することこそが、我々の誇りだったわけですから。

 

というわけで私はオシャレではない。誇り高き、非・オシャレである。そして左側のグループで前髪をおでこの途中で切ったり、スニーカーやリュックにこだわったり、ラフォーレの前で待ち合わせしたりキューティーとかジッパーとか何が楽しいのか全くわからない雑誌を読んだりしている人たちこそが、オシャレな方々だと思っていた。別にそうなりたいとは思わないし、オシャレピーポーの必死感について若干小馬鹿にする気持ちがなくはないのだが、彼女たちが何かしらの哲学や美的センスを持ってあえて109に来なかったり日サロに来なかったりするのはわかったし、別の道を選んでこの東京を生き抜こうとする者同士、それなりのリスペクトも持っていた。ちなみに真ん中のグループでノンノ片手に駅ビルで買う服なんかを着ていた人たちについても、モテとか好感度とか彼女たちが選んだ価値を尊いと思って敬ってはいた。

 

さて、さすがの私も35歳の誕生日を前に、不自然に肌を黒くしたり、目の周りを白や黒に塗ってスーパールーズのボリュームを気にしたりはしていない。ポリシーのなさこそがポリシーだった我らは、やはり時代と加齢の要請に従い、男や世間に好かれ、女が社会的に求められるイメージを割とそのまま踏襲するような格好をしている。要するに恵比寿のアトレとかで揃えようと思えば揃えちゃえるような服を着ている。真ん中グループの女子との境界線は、ヒールの高さと爪のながさ、スカートの短さやせいぜいメイクの濃さくらいで、無難でちょっと派手めなのが元egg、無難でちょっと地味目なのが元ノンノ、全体をくくればOLファッション、よく言えばイイ女系ファッション、という具合に。ちなみに谷間を見せているのは元ギャルだ。

 

 

トミヤマユキコによる新著『40歳までにオシャレになりたい!』を読むとしかし、なぜかオシャレの定義はぐしゃぐしゃに脱構築される。本の中では、いい歳してちょっと面白い服とか買っちゃう著者が、無難で女子力が高くて万人ウケしそうなファッションを取り入れていく。要するに、ギャルソンとか着ている人が、そういった服を買いたくなっちゃう衝動を抑えて新宿ルミネっぽい格好の基礎を学ぶ本、のように見える。ちなみに、時折挿入される写真で著者のトミヤマさんは前髪をおでこの途中で切っている。

 

内容はかなり実践的で、軽やかな文章にお役立ち情報満載ではあるのだが、当然、登場するアイテムや着こなしは肩掛けカーディガン、小さいバッグ、白シャツ、ワンピースなどなど私のようなポリシーのない非・オシャレさんには馴染みのもの。というわけで、そこを学びとっていく過程に共感や学びはないし、ギャルソン→ルミネは明らかにオシャレピーポー→一般ピーポーのベクトルである気がするのだが、読み進めると確かにお勉強後の方が魅力的な気もしてくるし、妙な説得力がある。

 

オシャレってなんなんだ! 私には具体的なアイテムの着こなしよりもはるかにそっちのねじれについて深く考える契機となった。そう言えば、似たような違和感を覚えたことが過去に何度かあった。

 

私の勤めていた古き良き日本の新聞社には、高校時代に女子に3つのグループがあったことすら気づかずに生きて着たような愚鈍な男どもがたくさんいた。私のように生きているとそういった男たちに、「オシャレだもんね、君。キャンキャンとか読んでそう」とか言われる。今でも、ダサ目の男に「鈴木さんはオシャレだから」とか言われることもある。その度に、私があなたの目に留まったのはオシャレだからではないし、男ウケする範囲で派手だからだし、オシャレ系の人たちは今時スカルプネイルなんてしてないし、キャンキャンはこの世で最もオシャレじゃない人たちが読むポリシーなき名雑誌だし、ちょっとおにいさん、センター街からやり直してきてもらっていい?と心の中で雄叫びをあげてきた。

 

私は、25歳過ぎて突然、ギャル系とかお水系とか言われて派手とか言われていた私がオシャレとか言われる逆転現象を、女を値踏みするのが完全に男になるせいだと思っていた。女同士で格付けしているうちは、お互いの頭の中を全部ではなくともなんとなく把握した上で、肌が黒いのも目の周りが白いのも前衛的なアート感覚ではない、とか、ヒールが踏み台ほどに高いのも別にマノロ的哲学を理解しているわけではない、とか判断ができるのだが、愚鈍な男たちからすると、なんとなく髪の毛や爪や服にお金と気を使っている感じ、そして何より男自身が割と好きな服を着ている感じを、漠然とオシャレと呼んでいるだけだろう、と。

 

しかしトミヤマ本の世界観、および具体的指示の的確さや彼女自身がより一層魅力的になっていく過程を覗き見し、一旦自分の凝り固まった自己評価やオシャレピーポーへの嘲笑、じゃないやリスペクトなどをアンインストールしてみると、もう少し世界はクリアに見えてくる気がする。

 

オシャレというのは何も切りすぎじゃね? って感じの長さで前髪を揃えてギャルソンの着づらそうな服を買い揃えることでもないのかもしれない。少なくとも、30歳を過ぎてそれなりに大人になったのであれば、○○を着ているからオシャレ系、といったジャンルわけはあまり意味を持たない。

 

むしろ自分は何の雑誌を読んでいた何系であるといったジャンルを脱ぎ捨て、かつて自分とは無関係の道を歩んでいた者の良いところを再評価し、毛嫌いしていたアイテムに歩み寄っていくようなバランスの良い姿勢こそがオシャレと呼ばれるのだろうか。そう言えば大学に入った頃に、さすがにもうこの歳でマウジーのデニムしかないのもなんだからリーバイスとか買ってみようかな、なんて思ったことがあった。あれもオシャレへの第一歩だったのか。そう考えるとオシャレ道は差別や偏見のない世界平和に通じる道って気もしてくる。一人の前髪切り過ぎな女の愚直でフェアなオシャレレッスンを通して、宗教戦争や文明の衝突のない世界について考えさせられた夜だった。

 

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この記事を書いた人

鈴木涼美

-suzuki-suzumi-

作家

1983年東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業、東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。2013年、修士論文を元にした著書『「AV女優」の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか』(青土社)を刊行。2014年に日本経済新聞社を退社。AV出演、ホスト通い、キャバクラ勤務などの経験にもとづいた恋愛、セックスに関する論考などを多数執筆している。近著に『オンナの値段』(講談社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)などがある。

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