身体から五感が失われたら?「できない」ことは恥ずかしいこと?――生きづらさを抱えているすべての人へ

馬場紀衣 文筆家・ライター

『誤作動する脳』医学書院
樋口直美/著

 

失われた匂い。乗っ取られた耳。今まであった世界が消えて、べつの世界へと入っていく感覚――50歳でレビー小体型認知症と診断された著者の身体からは五感が奪われた。その、あまりにも暴力的な現実を細かに観察し、誤作動を繰りかえす自身の脳についての苦悩と葛藤を語ったのが本書『誤作動する脳』だ。

 

自分の嗅覚に障害があることに気づいたのは、家族と一緒に紅葉の名所として有名なお寺の参道を歩いているときだったという。家族の満足気な声にあたりを見まわすと、鰻屋の店先では蒲焼が音を立てて焼かれていて、その匂いに自分だけが気づけなかったのだ。レストランで美味しいものを食べれば自宅で再現し、隠し味は何だろうと味からレシピを想像するほどの料理好きだったのに、よりによって一番の好物である鰻の匂いが失われてしまった。以来、ハーブやスパイスを使ったスープは作らなくなったし、匂いが失われたことで料理が与えてくれる達成感や満足感、そして幸福感も得られなくなくなった。「いま私は、空気のなかから香りだけが消えた世界に暮らしています」と語る著者の言葉が重く響く。

 

匂いだけではない。幻視や幻聴にも悩まされた。店の空調が「ふいに轟音」に聞こえたり、普段なら気づくはずのない秒針の音を耳が拾ってしまったり。疲労感を解消するために向かった温泉では、誰もがうっとりとお湯に浸かるなか、ひとり「寝汗で濡れたパジャマを着ているような不快さ」だったという。「明るさ」にも変化が起こった。夜に店に入る時などは「光が目から脳に突き刺さるように」感じる。そのほかにも壁が半球状に盛り上がり、カーペットの模様や写真のなかの物が動くこともある。

 

「この世界の何が本物で何が幻なのか、私にはもう区別がつかないんだ。私は、私を信じることも、私が目にする世界を信じることも、もうできないんだ」

 

眼に異常を感じれば眼科へ、耳に問題があれば耳鼻科へ行く。けれど目でも耳でも舌でもなく脳の誤作動で引き起こされた過敏性にはどう対処したらよいのか。こうした幻を恐ろしく、情けなく感じる一方で著者は実在しないものが突然見えるという未知の現象を「おもしろい」と思いはじめている自分に気づきはじめる。

 

「今の私は、たびたび誤作動する自分の脳とのつきあい方に精通し、ポンコツの身体を熟知して巧みに操り、困りごとには工夫を積み重ね、病前とは違う『新型の私』として善戦しているのです。」

 

映画を見て感動するのも、料理の献立を考えるのも、お風呂に入るのだってじつはエネルギーが必要になる。その事実を私たちは普段の生活ではすっかり忘れて暮らしている。そして体調を崩したり、心が弱っているときに思い出すのだ。「やればできる。ただし多大なエネルギーを払って」。ストレスが脳に与える悪影響を本書はくり返し説く。何かをできずにいる自分を恥ずかしく感じたりなんてしなくていい。脳機能障害に関心のある人はもちろん、生き辛さを感じているすべての人に気づきを与えてくれる一冊だ。

 

『誤作動する脳』医学書院
樋口直美/著

この記事を書いた人

馬場紀衣

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文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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