私たちはほんとうに「見て」いるのか? 見えないものに怯え、見えるものが見えていない人間という生き物|小林エリカ『トリニティ、トリニティ、トリニティ』

馬場紀衣 文筆家・ライター

『トリニティ、トリニティ、トリニティ』集英社
小林エリカ/著 

 

 

タイトルにもある「トリニティ」とは、キリスト教の三位一体「父と子と精霊」のこと。作者が描くのは女性のトリニティ、すなわち「母と娘と血」の三位一体だ。本作に登場する女性たちを結びつけるものは、うっとりするような美しいもの、というより、むしろ打ちひしがれ、みっともなくて、情けない印象を与える。

 

オリンピックに湧く2020年の夏の東京が舞台だ。老人たちは、放射線量の高い物質を集めたがる「トリニティ」という新種の病を患っている。老人たちは、黒光りする石をどこからか拾ってきては「まるでそこから何かの声が聞こえるかのように、耳を澄まし」、放射能にまつわる話を口走る。奇行がはじまったのは原発事故の直後だ。電車のなかで老人がポケットをまさぐる場面では、放射性物質を車内に撒くつもりではないかと乗客のあいだに緊張が走る。放射能という「見えないもの」に動揺する乗客は大真面目だが、どこか滑稽に映る。

 

主人公の「私」は、高齢の母の体調を心配し、「あんなおどろおどろしい黒いTシャツなんかを着て、化粧もしない」とバンドに夢中になっている10代の娘の将来を気にかけながら暮らしている。そんな「私」のうっぷんを晴らしてくれるのが、「トリニティ」というサイバーセックスサイトだ。写真や動画、音声通話を使い、仮想空間でアバターを用いて、肉体を伴わないセックスめいた官能的なやりとりを楽しむというサービスらしい。

 

老人という言葉でひとくくりにされ、トリニティを疑われる人びと。「見えないもの」についての本当とも嘘ともつかない噂がいくつも流れては消え、「私」もまた見えない相手とのサイバーセックスに救いを求める。娘に「ちゃんと見ようとさえしない」と言われた「私」は、娘の言葉を笑い飛ばして言う。

 

「私の腹から生まれたこの私の娘の何をこれ以上、見ろというのか。私が母の腹から生まれでた瞬間からすでに、私の卵巣の中にはいずれ娘になるはずの卵子の卵、卵胞があったのだ。私は私の娘になる存在と四半世紀以上を一緒に生きてきて、さらに十年以上も、飽き飽きするほど毎日、娘のことを見ているのだから。ふざけてる。」

 

見えないものに怯え、見えるものが見えていない。老人、娘、乗客の一人一人、誰もが独立した個人である、そのことを私たちは「ほんとうに」理解しているのだろうか。もしかすると目の前にいるたった一人の人間の身体すら、きちんと捉えていないのではないか。物語の終盤、この矛盾のなかで存在を消されてしまった者たちの逆襲がはじまる。

 

『トリニティ、トリニティ、トリニティ』集英社
小林エリカ/著

この記事を書いた人

馬場紀衣

-baba-iori-

文筆家・ライター

東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。

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