ボブ・ディラン評伝の決定版。変わり続ける詩人の果てしなき軌跡『ノー・ディレクション・ホーム』

石戸諭 記者・ノンフィクションライター

『ノー・ディレクション・ホーム: ボブ・ディランの日々と音楽』
エリザベス トムソン (編集), パトリック ハンフリーズ (編集), Robert Shelton (原著), Elizabeth Thomson (原著), Patrick Humphries (原著), ロバート シェルトン (著), 樋口 武志 (翻訳), 田元 明日菜 (翻訳), 川野 太郎 (翻訳)

 

僕も含めたディランファンはその存在を語り、邦訳の刊行を待ちわびていた。それが本書だ。日本語版で値段は7800円+税、総ページ数は800P以上でケース付き。なぜ、そこまでの分量が必要なのかと疑問を持つ人は少なくないだろう。

 

最初に答えを示しておけば、ノーベル文学賞を受賞して、77歳にしてフジロックの大トリを務めるディランという「詩人」の切り開いた新しい道を書き尽くすのに必要な分量だから、となる。

 

ロバート・シェルトンによる大評伝はディランの歴史上、もっともインパクトを放った1960年代~70年代を中心に解き明かす。シェルトンは最初期からディランに注目し、彼のプライベートや肉親も取材しながら「ボブ・ディラン」とは何者なのかに迫る。

 

本人へのインタビューも難しくなってしまった現代において、本人のみならず肉親まで取材したという事実だけでこの本の価値はあるのだが、これはファン向け。

 

最も熱量が詰まっているのはディラン自身の言葉だ。例えばロックの歴史に残る名曲「Like A Rolling Stone」が収録された『追憶のハイウェイ61』(1965年発表)リリース後の会見での一コマを抜き出しておこう。

 

フォークシンガーとして絶大な人気を獲得しながら、そのスタイルを変化させたディランはロックバンドを従え、新しい道を進んでいた。彼は初期のファンから批判も浴び、メディアは「時代のアイコン」を執拗に追いかけた。そんな年の出来事である。

 

インタビュアーは問う。「あなたは自分の音楽で何を言おうとしているのですか? 私には一つとして理解できませんが」

 

ディランの答えが秀逸だ。「気にしなくてもいい。あなたに何かを言っているわけじゃないから。理解できないのなら考える必要はない、あなたに向けて書かれたものじゃないから」

 

ちなみに前後の会見で将来の望み、世界をどう変えたいか聞かれたディランは詩の一節のように返している。

 

「将来への望みはない。ただ履き替えられるだけのブーツは持っていたいと思う」

 

さて、この本のもう一つのポイントはシェルトンの先見性だ。ノーベル文学賞をディランが受賞するとなったとき、歓迎と同時に少なくない反発があった。つまるところ、ミュージシャンの歌詞が本当に「文学賞」なのか?というものだ。

 

シェルトンがその論争にとっくに決着をつけていた。彼は口承芸術の歴史を引きながら、ディランが達成した「とりわけ重要なのは、詩を再び大衆のもとへと引き戻した」ことだという。声に出して、読まれること。歌われることで「生命を得る詩は数知れない」と。

 

ディランもまたシェルトンに詩について語っている。彼が詩について語ること、それは自身を語ることと同義になる。曰く自身でやっていることは「書くこと」であるとし、詩人についてはこう定義している。

 

「詩人というのは自分で詩人と呼ばない人だと思う。自分を詩人と呼べてしまう人は詩人にはなれない。彼らはありもしない祖先のロマンスや歴史的事実に安住しているだけだ。そして周りの人間より少し高い位置にいると思いたがる」

 

「本気で書きたければ、歌うべきだ」

 

ここまで書いてきて、シェルトンが引き出した言葉にディランの表現活動のすべてが宿っている、とはたと思った。彼は本気で詩を書きたいから、今もバンドとともに世界を回りながら歌い、時々日本にもやってくる。

 

心地よい音楽に、心地よい言葉が乗る。ポピュラーミュージックに求められる「安心感」をディランは一切考慮しない。時に自分の過去も否定するように本気で歌い、書きながら常に新しい道を歩き、常に変化を続ける。

 

それ自体が「詩的」な行為と言えないだろうか。ディランは「こうだ」と決めつけられることから、常に自由であろうともがいてきた。

 

転がる石のような軌跡を大著はあますことなく描き出している。

 

 

『ノー・ディレクション・ホーム: ボブ・ディランの日々と音楽』
エリザベス トムソン (編集), パトリック ハンフリーズ (編集), Robert Shelton (原著), Elizabeth Thomson (原著), Patrick Humphries (原著), ロバート シェルトン (著), 樋口 武志 (翻訳), 田元 明日菜 (翻訳), 川野 太郎 (翻訳)

この記事を書いた人

石戸諭

-ishido-satoru-

記者・ノンフィクションライター

1984年生まれ、東京都出身。2006年立命館大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。その後、BuzzFeed Japanを経て独立。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)がある。

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